みだれめも 第103回
水鏡子
古本屋の百円コーナーで『ザ・トレンド(1988)』(UPU)という本を買った。いろんな事象をめぐる現状分析とこれからの傾向の予測をした小論集。八〇人という大量の執筆者の中に、村上陽一郎とか森毅、橋本治といった贔屓筋の顔がけっこう並んでいる。
この種の本は、ふだんだらけた人間が、知的な部分にも興味をなくしたわけではないぞと、自分を慰撫し、リフレッシュするのに役立つ。自己正当化アイテムとして、重視したい。勉強気分に浸れるつまみ読み本として予想以上に楽しめた。
問題は、一九八七年に出たこの本が、ぼくには現代日本の最新動向を解説した本にしか視えないこと。そりゃ、テーマによっては、ちゃんと十年古びたものもなくはない。でも、本全体から受ける印象はやっぱり〈最新動向集〉なのだ。携帯電話の普及であるとか、景気の長期低迷だとか、この十年は文化的社会的に激変の時代を迎えていると思うのに、10年前のパースペクティヴが依然古びてみえない、それどころか最新事情であるかにみえるというこは、要は自分のなかでの現在世界のイメージが、八十年代前半以前、たぶん七〇年代半ばあたりで固定化し、若干の微調整はあるにしろ、そのパースペクティヴの中からしか解釈できずにいるということだろう。
それは困ったことでもあるし、そんなイメージの持ち主が現在について云々するのを聞かされるのは、それより若い現在世界のイメージの所有者にとっていらだたしい限りのことだろう。
それでも〈現在〉というイメージは、他の様々の固着していく観念同様、種々の経験、想念のゲシュタルトとして安定感性してしまうものであり、いったんできあがったパースペクテイヴにどれだけ修正と調整を加えても、柱と構図は旧来の型からなかなかはずせない。とりわけ歴史主義的色合いのの濃いわたしなんぞは、おいそれ修正のきくものではない。同じように現在を俯瞰しても、猪熊虎茲郎の視ている世界は、本阿弥さやかとも猪熊柔ともちがう現在なのである。むしろ問題は、そういう古いパースペクティヴを改宗させる、頑固者を納得させる〈現在〉に関する視野構造(フレーム・オブ・リファレンス)を「図式的なかたち」でだれも呈示してくれないことである。
「図式化」自体がまちがいだという意見があるのも、承知しているのだけれど、頭の固い人間は比較照合する「図式」の呈示をうけないとなかなかパラダイムの乗り替えが困難なのである。
これはなにかと言うと、じつはSFM5月号の竜ケ崎じゃなかった本阿弥さやか嬢への反論じゃないな、弁明と居直り発言だったりする。
SFM5月号の本阿弥お嬢の発言には基本的に異論はないのであるけれど、一言不満を申し述べれば、言及された当方の文章は作品評価の文脈ではなく、〈読書=文化共同体〉という社会学的側面からの文脈での発言である。(言及された文章は『みだれめも 雑多繚乱2』にあります)
ただ、では改宗して、あたらしい現在イメージでSFを語るのがよいことかと言えば、そんな付け焼き刃の修正発言など底の浅くて矛盾をはらんだものになるのにきまっている。そもそも先述のとおり年寄りには現在状況を軸としての現在イメージが見えないのであり、そのことを執筆者読者が共に認識し、それらは過去の遺産に基づく〈現在〉の解釈なのだと了解し合うことが必要なのだ。むしろ古い人たちは古いイメージを声高に主張し続け、そうした意見に若い人から、古さを、それもどう古く、どう間違ってるかを強力に指摘し続けるという作業こそ重要なのだ。もっとも本阿弥お嬢の世代にしてもすでに四〇の大台に迎えているという別の問題もあるのだけれど。だいたい経験の蓄積に立った他人の意見は、ちがう経験の蓄積に立つ自分の意見と、たとえ同じ答えになったばあいでも絶対に過程において相違点があるのだと、人の意見を吸込むときには常にそういう視座を抱えておきたい。
●『ニッポンマンガ論』フレデリック・L・ショット(マール社)
日本文化のへんな理解をまじえた外国人おたくによる奇本。というのを期待して買ってみたらごめんなさいだった。日本のコミック事情について異様に詳しく、しかも異様にまっとう。「鳥獣戯画」を皮切りにした絵草紙文化に日本漫画のルーツを見てとるあたりにやや違和感が残るのと、それと関連があるのかどうか、好みの漫画家にやまだ紫、杉浦日向子、花輪和一、土田世紀といったリアリズム系が並んでいる。暴力シーン、セックスシーン、それに金髪碧眼の日本人キャラへの拒絶反応はかなりのもののようだが、批判をオブラートでくるむ姿勢も著者の性格の温厚さを感じさせる。 業界とのパイプもおそろしく太い。 日本コミック市場の俯瞰図として、むしろ日本人に読ませたい。
●『こちら異星人対策局』ゴードン・R・ディクスン(ハヤカワ文庫)
ディクスンのユーモアSFということで飛びついて読んだのだけど、期待外れ。定版にのっとった展開なのだけど、パンチ力がぜんぜんない。異星人連合機構にまるで奥行が感じられない。手垢のついた段取りを手軽になぞって1冊仕上げただけである。『ドラゴンの騎士』の場合だと、冗長に流れる部分はないでもなかったものの、百年戦争の時代に対するこだわりと蘊蓄が作品全体を好感のもてる印象に仕立てていたが、本書の場合、作品設定もキャラ間の会話もすべて浅薄にすぎる。この本でディクスンを評価する人が出てくるとやだなあ。
●『盗品つき魔法旅行』ロバート・アスプリン(ハヤカワ文庫)
それなら、むしろこちらのアスプリンをお勧めする。本書で5冊目。全作すべて気軽く読めて、楽しめる。この軽さと安定感は特筆ものである。この人が編集して評判になった『盗賊世界』はいったいいつ出るのだろうか。