内 輪 第117回
大野万紀
5月3日〜4日はSFセミナーに行ってきました。とりあえず、その感想から。
会場風景 | 今年は新人女子アナのり(?)の司会つき | 大森望 VS 角川春樹 |
今年のセミナーは会場が例年と違い、水道橋ではなくお茶の水で降りる。いつもより少し遅い時間に始まるので、開場前に到着できた。セミナー会場はゆったりしていて、いい感じだった。今年はなんと美女二人による総合司会つき。新人女子アナのりでやってますということだったが、会場の雰囲気とのミスマッチ感が、何ともいえない味をかもしだし、そのギャグには会場は一瞬沈黙し、そして涼しげな風が吹き渡ったのだった。一生懸命やってるんだから、もう少しバックアップしてあげたら良かったのにね。でも、次第に慣れてきて、違和感も減ってきた。これはセミナーの新たな顔となるのでしょうか。
最初の講演は大森望による角川春樹インタビュー。日本SFの黎明期に立ち会い、最初のSFブーム、次にはファンタジー、次はホラーのブームを作った。今度はまたSFのブームが来るのだ、とのご託宣。まあ、確かにカリスマのある人だ。変わった人には違いないが、力強い。小松左京に『虚無回廊』の続きを書かせるのだとか、富野に小松作品をアニメ化させるのだとか。実際にその力のある人なのだから、うまくいけば、とても素晴らしいことだと思う。でもそれが難しいんだろうな。うっかりすると色物企画になりかねないところが、スタッフと大森望の奮闘で、聞き応えのある面白い講演となった。
牧眞司「ブックハンターの冒険」を語る | 日本SF論争史 | 新人作家パネル |
二番目は牧眞司の『ブックハンターの冒険』を語る。これはまあ、牧眞司がいかに「なまいきな中学生」だったかという話。ぼくは古本極道じゃないので、古本話にはあまり興味がなく、牧版異色作家短編集を選ぶなら、というあたりが面白かった。バンチの「モデラン」、ロバーツの「アニタ」、その他がエムシュウィラー、バトラー、レム、ラファティという選択だ。いかにも牧くんらしい。
次に巽孝之の日本SF論争史。司会の森太郎が、最近のSFの冬論争に引きつけて(ここではクズ論争といっていた)、昔からみんな同じことをやっていたという方向でまとめようとしていたが、これはあまり面白みのないまとめ方だ。それこそ、「論争が煮詰まったころにそれまで眺めていた野次馬が第三者として発言し、『この論争は不毛だ』と一言いって去る」みたいな。ちなみに、これは巽氏による論争パターンの一般論。
次はみらい子司会で、『BH85』の森青花、『クリスタルサイレンス』の藤崎慎吾、『M.G.H.』の三雲岳斗による新人作家パネル。それぞれ大体3〜4年の年齢差があるそうで、SFとの関わりについて語る。森氏は70年代後半、大学時代にハインライン、クラークを始めSFを読みふけり、『夏への扉』が特に好き。80年代〜90年代はSFから離れていたが、それというのも「ニューロマンサー」でギブアップ、「ヴァリス」でごめんなさい、ということだった。藤崎氏は、小中学校ですでにSFにふれ、父親からこれを読めと『銀河帝国の興亡』を渡された。ブラッドベリにはまり、別冊奇想天外「SF再入門大全集」でベスト作品をチェックしながら読んだ。シマック、ヴォネガットが好みで、ディレーニイまでは何とかついていける。日本では小松、光瀬、半村。理科好きの文学好きなので、書く物はそういう意識じゃなくてもSFみたいになる。三雲氏は(この人は一番若く、発言内容も確かに若い)70年生まれ。マジンガーZ、アニメのキャプテンフューチャー、ガンダム、小4でハインラインを(ガンダムの流れで)読み、ギブスンはかっこいいと思った。なるほどね。でも、このように明らかなSFファンでありながら、三人とも「SFには詳しくないので」と声をそろえるのが印象的。続いて自らの作品について語る。『BH85』は実は18世紀風の哲学小説を書きたかった。ヴォルテールとか。後半の身体性に関わる問題がそう。ところで、『ブラッドミュージック』は本当に読んでいなかったとのこと。SFマガジン編集長が送ってきたのを読んでみると、確かに同じだったのでびっくりしたとか。『M.G.H.』は若い女性のためのSF入門をめざした。SFにもYAにもこだわりがある。いずれ海外進出したい。例えば東南アジアとか。それから、三人ともバーチャルな世界を描いているが、身体性を重視するかバーチャルでもOKかという話になった。森氏は身体性を重視。藤崎氏は迷いがあるが、でもいざとなったら身体性を取る。三雲氏はバーチャルでOK。それはもう、アメリカで実際にあったという、ゲームの電源を消されたら、キャラクターが死んじゃったといって泣いた少年に共感するということ。そして、SFと恋愛ものとは切っても切れない関係にあり、恋愛とはそもそもバーチャルなものであるとか(これは森氏だったかな)。このパネルも大変面白かった。
最後にアニメの脚本家小中千昭さんのインタビュー。最近のアニメは良く知らないのでもうひとつわからなかったが、ファンダム出身ではないSFファンが(SFには詳しくないのでなどとエクスキューズしながら……でも実体はSFファン以外の何ものでもない)、プロの世界でその感覚をいかに生かしていこうとするかという話として、面白く聞くことができた。クトゥルーはハネス・ボクの絵から入ったので、愛嬌があると思っているとか、21世紀を舞台にした脚本を書いたら、そこにモデムの絵を描かれてしまって困ったとか。
いつものように合宿開会 | 進化SF総解説 | なぜなにファンジン |
夕方に雨が降ったらしく、まだ少し雨が残っていたが、食事に行き、本郷の合宿所へ。オープニングは大広間に集まると足の踏み場もない状態。
夜の部はまず野田令子と大森望の進化SFの部屋へ。でも『ダーウィンの使者』や『フレームシフト』の内容に関する話よりも、遺伝学や進化論の初歩的な解説や、DNA解析の技術的な議論に話が流れ、それはそれで面白かったのだが、もう少しSFよりの話も聞きたかった気がする。ソウヤーは研究者にも面白いのだそうだ。それは現場に近い描写がしっかりしているからということらしい。ただ、ぼくの感覚でいうと、SFとしてはその重要度にベアとは大きな差がある。SFにおける進化論テーマという面を(中村融もいたことだし)もっと議論して欲しかった。
その後は「なぜなにファンジン」というファンダムの歴史を語る部屋。高橋良平さんの昔話はぼくにも面白かったが、牧眞司は昼間の「なまいきな中学生」話の続きという感じで、それはそれでいいのだが、もっと当時何があって、みんなが何をしていた(ように自分としては見えた)かを証言してほしかった。というのも、小浜徹也のファンダム史論が(大森望にも突っ込まれていたが)思いこみの強い独自な史観で語られるので、ちょっと困るなと思うのだ。個々の事実が間違っているというわけじゃないが、そのまとめ方は違うんじゃないのということ。二次資料じゃなく、当事者による基本的な歴史の集成がまず必要だ。解釈や史観はその後でしょう。その意味で、この場で回覧されていた古いファンジンは面白かった。恥ずかしくてギャっといいたくなるのもあったけどね。
ところで、岡本俊弥がまたファンダムの歴史を語りだした。彼もまた個性の強い人物であり、独特の史観の持ち主であるから、若いファンがそのままうのみにされては困るのだが、それでもこうして色んな所で歴史が語られていくのは面白いことだと思う。今のところ、明らかにおかしいという所もないようす(といっても、ぼくは当時のメモや日記を残していたわけじゃないんで、はっきり確認はできないんだけど)。
ライブ・スキャナー | 山岸真 & 中村融 新企画を語る | 翌朝はいつも眠たいエンディング |
それからライブ・スキャナーに流れたが、東茅子の語り口がやっぱり面白かった以外は大きな収穫なし。最近読んだ本について紹介するのではなく、読んで面白かった本について紹介して欲しい。その後は山岸真と中村融による秋頃に出る新アンソロジーの話が延々とつづく。これが架空のアンソロジーなら、その作家ならこの作品でしょうなどといくらでも突っ込めるのだが、現実の話なので今さら突っ込みどころはない。さあ、ぼくも早くラファティの「スカイ」を訳さなくちゃ。というわけで、寝部屋に入ったのは4時過ぎていた。
朝はそれでも9時には起き、全員のエンディングの後は、水鏡子、古沢とSFマガジン勢、SFオンライン勢、桐山さんたちと喫茶店へ。セミナーの合宿中に、広島で高速バスのバスジャックが発生、一人殺されるという大事件が起こっていたが、朝には解決していた。喫茶店では水鏡子をさかなにえんえんと話を続けていたが、午後はちょっと用事があったので、牧眞司の出版記念パーティに行くみんなと別れて、そのまま大阪へ。牧くんのパーティは本人にはないしょのサプライズ・パーティ形式だった。行った人の話によると、最後まで気づいていなくて、本当にびっくりしていたとか。でも、ぼくは牧くんに、明日は用事があるんで、早く帰るからごめん、てなことを言っちゃったんだよねえ。セミナーを早く切り上げて帰ると解釈してくれていたようで、ほっと一息。でも危ないところだった。みんなから恨まれるところだったよ。冷や汗。
それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『ダーウィンの使者』 グレッグ・ベア (ソニー・マガジンズ)
ベアの新作は人類進化テーマSFであり、バイオパニック小説でもある。科学者と政治に遺伝子と疫病とくれば、いささか食傷気味なアイテムだが、本書の場合、ストレートなストーリイ部分が(ベアとは思えないくらい)しっかりと真面目に、感情豊かに書かれており、最近のベアの作品の中では抜群に良くできている。ハードSFとしても、その結論は伝統的進化論にまっこうから挑戦しているわけで、到底うのみにするわけにはいかないが、いかにもそれらしく描かれている。だが、何よりも、この長い小説が地味に地道に日常的リアリティを積み重ねていったあげく、結末に至って、あからさまなSF的イメージを展開してくれたこと、人によってはぶちこわしと読めるかも知れないこのシーンが、あのさりげないSF的な一行が、SFファンであるぼくにとっては思わずにっこりして口笛でも吹きたい気分になる、とても嬉しい読書体験だったのだ。ベアの近作では、このように結末で大きくSF的なイメージを広げようとして、空回りしたりずっこけたりするケースが少なくなかった。今回は大成功といいたい。でも、SFファンじゃない人(本書をミステリや医学パニックとして読むのかな)は、逆にこれでずっこけてしまうのかも知れない。訳者はあとがきでベアを小松左京と比較している。本書の場合、確かに『継ぐのは誰か?』テーマではあるのだが、ぼくとしては、むしろ「静寂の通路」や「牙の時代」といった中短編を思い浮かべた(今西進化論!)。結末が明るいか暗いかという違いはあるが、一人一人の日常生活の中で、自分自身の内部からどうしようもなく変容していく種という大きな物語へとつながっていく重さのようなものが、共通した読後感を与えてくれた。
『猫の地球儀/焔の章』『猫の地球儀その2/幽の章』 秋山瑞人 (電撃文庫)
人類が滅びた後のスペースコロニーに、残されたロボットと猫が文明を作り上げていて、スカイウォーカーと呼ばれる異端の、天才的な黒猫が、地球へ降り立とうと努力をする話。これは傑作だ。確かにヤングアダルトである。マンガな可愛らしいイラストが入っている。でも内容はハード。SF的な意味でもハードだし、テーマ的にもハードだ。真理をめざそうとする天才は(あるいは知性は)普通の人々の日常に大きな犠牲をもたらすという、『キリンヤガ』にも見られたテーマがここにはある。だから読後感は「空にふれた少女」と同じものがあり、こちらはさらに寓話的に描かれているので、むしろ奥深く心を打つ。ヤングアダルトには違いないが、文章にそう違和感はなく、それこそコードウェイナー・スミスにも通じる、伝統的なSFの良さがある。ロボットのクリスマスがふと漏らす言葉に、このコロニーの過去がすけてみえるが、これはちょっと雰囲気を壊す面があるので、もう少しあいまいに押さえても良かった。でもまあ、この程度ならいいか。これまで読んできたヤングアダルト小説の中でも、SFファンとしてのぼくの琴線に最もしっくりと触れた、いい話、いいSFだった。この人の作品はもっと読んでみようと思う。
『稲妻よ、聖なる星をめざせ!』 キャサリン・アサロ (ハヤカワ文庫)
スコーリア戦史の2巻。アメリカ版〈星界の紋章〉という帯のコピーは顰蹙だからやめた方がいい。むしろハーレクイン・ハード・スペースオペラというところで、特に重点はハーレクインというところにあるからだ(というか、ハーレクイン・ロマンスは一冊も読んだことがないので、突っ込まれたら自信はないのだが、あの叢書の商品イメージということで理解して下さい)。本書でも星間帝国の王子と地球の貧しい少女との一目惚れによる(まあそこにもアサロらしいSF的理屈付けはあるが)ロマンスが物語りの中心にある。王子と一体化しているジャグ機という戦闘機も含めた愛情関係が面白い。解説の小谷真理も指摘しているが、濡れ場がコンピュータ用語や技術用語で語られるというのが笑える。作者が科学者なのでハードSFとしての面にも注目されているようだが、細かな描写にそれらしいところはあるものの、さほど重要ではないだろう。ぼくの感覚としては、作者は理論系の人であり、技術的ディテールを重視しているわけではなさそうだ。そのぶん複素空間で極の回りを回ったらどうなるかとか、そこにカットが入っていたらどうだとかいうような、物理数学を習ったばかりの大学生が喜びそうなことが書いてある。ところで本書はいきなり20世紀の地球(?)で物語が始まる。ロサンジェルスの下町に住むメキシコ系の貧しい少女と、突然そこに現れたスコーリアの王子。この地球に落ちてきた男ストーリイが結構面白い。むしろ舞台が宇宙に移ってからはありきたりな感じで、ロマンスものとしては前半の方がずっと良くできている。
『E.G.コンバット』『E.G.コンバット2nd』『E.G.コンバット3rd』 秋山瑞人 (電撃文庫)
『猫の地球儀』が良かったので、作者のデビュー作を読んでみた。あ、でもこれは作者のオリジナルというより、イラストをつけているよしみる氏の原案を小説化したものなのね。3冊出ているが、連続した一つの長編である。そして、まだ完結していないのだ。一気読みして、まだ続きが出ていないという、このおあずけ感を何とかして欲しい。続きが読みたいよー。つまり、とても面白かったということだ。「猫」にくらべて、はるかにヤングアダルトな文章だし、SF的な魅力よりはヒロインたちの魅力とアクションで読ませるタイプの話だが、いつものぼくならそこで引っかかってしまう「字で書くマンガやアニメ」の部分がほとんど気にならず、どんどん読めたのは、ぼくが慣れてきたせいか、いや、やっぱり作者の筆力というものだろう。とにかくメカで戦う少女たちの、一種の学園生活をめいっぱい書きたいといった感じの設定は、いかにも無理すぎだが、あまり大きな状況が気にならないうちに、あれよあれよと話が進んでいく。もしかしたら、最終巻あたりで大きな話が出るのかも知れないが、それとここまでの面白さとはさほど関係なさそうといっておこう。はっきりいって新兵さん物語であり、おちこぼれグループの「友情・努力・勝利」の話なのだ。あ、まだ勝利はこれからだなあ。どうなんだろう。ここまでは本当にあっさりとしか書かれていないのだが、この物語の背景にはとても寒々とした残酷な世界があるのだ(それなのに、日常世界が何も変わっていないがごとく、こういう学園物っぽい会話やなんかが成立するというのがYAなところなのだろうか)。「猫」でも見えたような作者のある種突き放したリアルな認識――それがSF的な観点というものだ)からすれば、何だかとてつもなく悲しい結末が待っている気がする。それはそれで傑作だといえるだろうが、ここまでつき合ってきた彼女たちに、そんな悲しい思いはさせたくないよねえ。まあ、次作を待つとしよう。