みだれめも 第122回

水鏡子


 ごめんなさい。世評に高い『バガジーマヌパナス』も『風車祭』も読んでいません。「まさかこんなものを書くとは思わなかった」といった評判がもっぱらの『レキオス』(文藝春秋)が初めて読む池上永一です。そういうわけで、作家についての総体的評価はいまのところ保留ということで。
 なんともいかがわしい小説である。出だしから、伝奇ヴァイオレンスそこのけの思わずのけぞる展開で、まずファンタジイ・ノベル大賞受賞作家という先入観を打ち砕く。出だしだけかと思いきや、そのまま最後までヒートアップしつづけながら、『カムナビ』すら穏当に見えてくる理不尽過激なキャラクターらが理不尽過激な言葉と行為で話をひっぱる。現実離れの物語空間を支えるのは実に濃厚猥雑で魅力あふれる文体で、疾走感の心地いいローラーコースター・ノベルであるというのに、読むのにけっこう時間がかかった。元気があるのは史上最強の変態女性科学者サマンサ・オルレンショー博士を筆頭に、コニー、ユタのおばあにデニスといった女ばかりで、男はボスキャラ、キャラダインも含め、どいつもどっか影が薄くてなさけない。
 文体が生み出す稠密な小説空間は、ある意味今年一番といってもいい満喫感を味わわせてくれたのだが、結末につながる道筋は、何度も通いなれた稀有壮大で陳腐な行程。判断評価にためらいと保留が生じ、うさんくささがぬぐえないのは、もうほとんど初っ端から、『電脳***組』あたりのTVアニメの印象がかぶってしまうせいである。案の定終わりのほうでローゼンクロイツなんて名前まで出てきたりしてしまったりして。
 細部に宿る神は充分評価に値するけれど、俯瞰して見る大枠が使い古しの三文小説。それを単なる器にすぎないと切り捨てるには、小説の全体的な構図のなかで大枠にかかる比重が重すぎる。本書を読んだかぎりでは、池上永一という作家に対しては残りの本も早い時期に読まなければと遅ればせに思い定めさせられたけど、それでも本書自体に関しては褒めるのが正しいかけなすのが正しいか、ちょっとどうしたらいいか困っている。
 でも、もしかしたら今年読んだSFの1位に推すかもしれない。
 以上。混乱しています。

 秋山瑞人『猫の地球儀 焔の章・幽の章』(電撃文庫)
 焔の章評価中の下。幽の章上の下。発想、構想、設定、主張と、まあSFファンの琴線に触れる骨組みを組み上げてくれているのだけれど、アニメ文化系ヤングアダルト・ステロタイプの文体と言い回しと展開が、物語の遠近を壊して安っぽくしているところがあって、もちろんそれが効果をあげている面がいっぱいあるのも事実だけれど、これだけ普遍的な物語ならもっと広範の読者層を意識して話を仕上げてほしかった。クリスマスのしゃべりなんか、ほんとうに作家的センスを感じるのだけどね。脇役よりも主役級の焔とか大僧正にキャラとして出来合いの物足りなさがあった。
 ほとんどアニメ顔負けの話を小説家の文体で組み伏せた感のある『レキオス』と正反対。これだけ力強い物語が、作品世界としてあらだらけの安っぽさを印象づけたという点で、並の作品に対して以上に不満が残った。

 小林恭三『首の信長』(集英社)
 95年から98年にかけて書かれた歴史スラプステッィック・ファンタジイ八篇を収録している。昔の筒井康隆のエピゴーネンを読んでいるみたい。しかも小林恭二への期待からすれば書き散らかしたような軽さがある。中の下。


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