みだれめも 第132回

水鏡子


 しばらく前に読んだ『ああでもなくこうでもなく』(だっけ)は、みだれめもで印象を書きとめたおかげでおぼろげに読んだ記憶が思い出される。
 最近読んだ『20世紀』はそれなりに面白がった記憶はあるけど、書き残してなかったせいで具体的な細部がほとんど思い出せない。困ったものである。
 橋本治『「わからない」という方法』(集英社新書 700円)は、著者が自分の考え方について<解説>した、もしかしたら初めての本。書いてあることは、橋本治の読者にとってそれなりにあたりまえの話であるというか、なんとなく見覚えのある景色であったりするのだけれど、前にあげた2冊も含めて著書に向かうスタンスが微妙に変わってきている感じがある。
 これまでの本というのは、いろいろなよしなしごとに橋本治流の考え方を披露していた感があり、いろんなことどもに対しての鋭くそのくせまわりくどかったりもする、切り口まとめ方を通すかたちで、橋本治という個性に接近していくところがあったわけだけど、意外と著者本人は自分についてブラックボックス化して触れようとしないところがあったなと今になって思いかけている。
 本書がとくにそうであるわけだけど、自分の見てきた「20世紀」をコンパクトにまとめてみた前掲書にしても、本の持つ固有のテーマと別のところで来し方の<自分>をまとめようとする意志が近作には顕著に見え隠れする気がするのだ。
 本書に書かれている内容は、「わかる」を前提にした20世紀から「わからない」に基づいて物事を考えるべき21世紀に時代は移った、などとはったりも散見するけど、思考の進め方としてはきわめてまともで、奇をてらったところは、まあこの人だからなくはないけど、まあかなり実用性もあるわかりやすい本でないかと思う。一言でいってしまえば、わからないものをわかろうとすることが仕事をすることであるということで、そのためにはなにがわからないか、あるいはどうわからないかがわかる必要があるということを実作を例にあげて説明している。よく読むと、そのためには必要になったときに引き出せる、退屈で地道な基礎教養の習得の時間を持っておかなければならないという、おそろしくまっとうな教養主義が潜んでいる。「枕草子」の翻訳論については若干の異論がないでもない。

 ぼくの贔屓筋のひとつとして、アンノウン型ファンタジイというサブ・ジャンル区分を好んで口にするのだけれど、あれ、よく考えるとユーモア・ファンタジイとイコールではないのだ。結果的にユーモアを読ませどころにすることが多いのだけど、基本にあるのはファンタジイや日常世界の世界律を科学的手順を想起させるロジックでかきみだしていく存在論的ファンタジイである。ハインラインの「かれら」とかブラウンの「エタオイン・シュルドゥル」、ハーネス「現実創造」といったところも含めてしまっていいだろう。その魅力は、煩雑な科学知識を捨象した思考実験の純粋さを感じさせて、なににもまして魅力的な存在に映る。
 年をとるにしたがって、羅列された科学知識を咀嚼したり、安っぽい不倫ドラマや人間関係の軋轢をえんえん読まされるのをがまんするのにうざったくなってきたところがあって、能天気なアンノウン型ファンタジイがないものか、ないよなあとぼやくことしきりであるのだけれども、そんなぼくの頭の中でも、いつのまにやらアンノウン型ファンタジイ、イコール、ユーモア・ファンタジイというイメージが染みついてしまっていた。
 アンノウン型ファンタジイとは基本的に惣菜論、あれまちがった、存在論ファンタジイなのだと思い返すと、けっこうそのての話というのは、ぼくの好みの作品の中心部分に相変わらず固まっている。
 ふつうのSF作品とみなしていたけど、上遠野浩平のブギーポップなどまさしくそういう意味でアンノウン型ファンタジイではないか。『ハートレス・レッド』は、とくに目新しい風景もなく、既知のブギーポップ・ワールドに重ね塗りがなされているにすぎないが、重ね塗りの繰り返しが生み出す世界の質感の充実というものもあるのだ。前作『エンブリオ』同様、期待はずれであるけれど、失望まではいたらない。

 ブギーポップがアンノウン・ファンタジイと気がついたのは、じつは同じ作者の『紫骸城事件』を読んだせい。こちらはふだんのイメージどうりのアンノウン・ファンタジイ。『殺竜事件』と同じ世界を舞台にしたシリーズ第二弾である。世界の白地図を書くのに手をとられていた前作よりもだいぶんコンパクトにまとまった。アンノウン型発想と本格ミステリ仕立ての構成が、放恣に流れがちなファンタジイ世界の気儘さに二重のたがをはめている。それでもなお若干放恣に流れる印象が残るところがそこそこの評価にとどまる理由であったりするのだが。そこそこの割と評判の悪い前作も含めて、たちのわるい性格のの造形を楽しんでいるこのシリーズ、ぼくとしては「虚空牙」の方より楽しみにしている。金子一馬のイラストはこの世界とは違和感がある。  

 小林恭二『モンスターフルーツの熟れる時』(新潮社 1400円)
 猿楽町という町を舞台に繰り広げられる神話的ファンタジイ4篇からなる連作集。
 最初の1篇がすばらしくいい。大地母神的イメージの横溢した傑作。第2話は並。物語の収束を目指した3話4話は、収束を急いだせいで理に落ち、平凡に堕ちた。
 もともとが「猿楽町サーガ」というタイトルでの連載だったという。それならそれでバタバタと収束を目指さず、第2話のレベルで充分だから、十数話、数年がかりでぽつぽつと書き溜めていってほしかった。それだけのボリュームがあれば、第1話の照り返しが全篇をおおう、豊穣の幻想世界が生み出され得たと思うのに、性急な完結が枠組み自体にかえって貧相な印象を与えた。


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