内 輪 第144回
大野万紀
ここのところ本業が忙しくて、帰りも遅くなり、休日も出勤したりとなかなか大変です。でもどういうわけか、そういう時の方がたくさんの本が読めたりするわけで、何だか不思議ですねえ。本を読む以外のことができないからかな。
でも、かろうじてとれた休日には本を読まずに新しいパソコンを組み立てていました。ペンティアム4の1.8Gという標準的なスペックで、でも一応FFXIが動くことを想定して組んでいます(本当にやるかどうかは別。たぶん時間がないからやらないだろうな)。
それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。
『群青神殿』 小川一水 ソノラマ文庫
野尻抱介の後に続く注目すべき若手として小川一水がいる。地に足の着いたハードSFの書ける作家だ。小説としてはヤングアダルトなのだが、正統的なジュヴナイルSFの側面があり、また普通に生活し働く人々の登場する、それなりにリアリティのある(すなわち共感できる)作風を持っている。スタイリッシュじゃないし、むしろ地味で昔風な感じすらある文体なのだが、作品世界はしっかりと構築されており、安心して読むことができる。昨年のSF大会でぼくは宇宙SF作家パネルの司会をしたのだが、そのとき初対面だった作者の、真面目で前向きな姿勢がとても印象に残った。本書はそんな作者の最新作で、海洋冒険SFである。海底資源探索艇のクルーである主人公たち二人が、海の安全を脅かしはじめた謎の存在と立ち向かう話だ。謎といっても、科学的な謎であり、超自然的なものでも、秘密組織の陰謀でもない。あっと驚くというより、なるほどそういうものかと思う類のものである。それをディテール豊かに描いている。クライマックスは大スペクタクルな怪獣映画のノリだし、深海に秘められた世界の描写は神秘的で美しい。強烈ではないが、センス・オブ・ワンダーがある。ヒロインと脇役のおじさんたちが、やっぱりちょっとヤングアダルト風に類型的なのと、きみら、いくら周囲が認めた恋人同士でも仕事中にそれはあかんやろ、といった側面はあるにせよ、大人が読んでも充分に楽しめるりっぱなSFである。
『ここほれONE-ONE!1』 小川一水 スーパーダッシュ文庫
『ここほれONE-ONE!2』 小川一水 スーパーダッシュ文庫
2冊に分かれているが、一つの長編である。こちらは「土木SF」。東北地方の地下に眠る鉄床石という不思議な鉱物をめぐって、美少女が社長をしている山水ジオテクノという小さな物理探査会社と、そこへ古地図を持ち込んだ風変わりな高校生たちの物語。そもそも〈土木SF〉というと、小松左京ブルドーザーを思い浮かべるのがぼくらの世代だろう。黒部の太陽(古いか!)的な巨大プロジェクトの物語。しかし、こっちはもっと身近で、近所の空き地でユンボやボーリング機械が動いているようなイメージがある。もっとも物語はすぐさま宇宙的なスケールへ発展するのだが、これは書き方のせいだろう、ちっともそんな巨大で壮大な感じはしないで、あくまでも等身大な世界が描かれている。大きな事件といえば、東北地方で大地震が起こるのがせいぜいだ(震災経験者としては、この地震の描写には違和感があるが)。小さいスケールのところではしっかりと書き込みされているのに、今回、巨視的な部分ではハードSF的整合性に不満が残る。スーパーダッシュ文庫という媒体を考えると仕方がないところかもしれないが。しかし、人物は生き生きとしていてストーリーも面白く、著者の研究熱心で前向きなところには共感できる。
『導きの星 I 目覚めの大地』 小川一水 ハルキ文庫
『導きの星 II 争いの地平』 小川一水 ハルキ文庫
こっちはシリーズである。まだ終わっていない。異星の文明の勃興からその発達を見守る〈外文明観察官〉の物語。いやあSFですねえ。第一巻の帯には、「異星人(リスっぽい)を宇宙航行種族へと育てあげる!〈観察官〉とアンドロイド(美少女)はこの任務を成し遂げられるか?」とあり、他の作者の小説とはだいぶ様子が異なる。あんまり地に足がついてはいない。「異星の文明を育てる」といった傲慢さに『神様はつらい』同様、主人公たち(そして作者)は当然気づいているのだが、そういう側面の追求よりは〈シムアース〉的シミュレーションゲームの興味に視点は集中している。何しろ最初からアクシデントだらけで、あるべき原則など無視されているのだ。異星人にとってモノリスや神様に等しいはずの主人公たちは、ただのパラメータと化し、彼ら自身もこのシミュレーションの一要素になってしまう。では実際にゲームをしているのは誰なのか? 異星の文明史はありがちで特に目新しくはないが、よく考えられていてゲーム世界設定の面白さがある。今のところ文明勃興から科学技術の芽生えくらいまでで、まさにもう一つの世界史そのままだが、これが地球人の世界史の流れから逸脱し始めるあたりからSFとしての興味が増してくるだろう。次の巻がその転回にあたるのではないだろうか。
『言の葉の樹』 アーシュラ・K・ル・グィン 早川文庫
久々にル・グィンのSF長編を読む。SFファン用語かどうか知らないが(ひょっとしたら水鏡子用語かも)「説教くさい」というのがある。政治的・倫理的主張がはっきりしていて、小説のテーマがそれに引きずられている。プロパガンダ小説というと言い過ぎだが、ノンポリ指向の強いSFファン(特にわれわれの世代前後では、ノンポリというのはわりと積極的にポリティカルなものへの反発を含んでいたと思う)にとって、多少ともその気配のあるものは「説教じみている」などといったものだ。本書では久々にそのことを思い出した。グローバリズムの問題ですねえ。まさに今日的な話題であり、テーマである。主人公の思考がアメリカのリベラルで政治的に正しく、やや70年代っぽい東洋指向のある、まことに典型的な人物として描かれていて(とても強権政治の下での、本当の政治的抑圧を経験したことがあるようには見えない、まるでナイーブな、〈現地〉の人から反発を受けがちな人物だ)、舞台となる惑星の状況も、はー、これは中国共産党に対する批判が目的なんですか(あるいは近代日本、最近のイスラム諸国でもいい)と思ってしまうくらい、カリカチュアライズされたものだ。特権的な異邦人として、現政権に否定された過去の文化を求め、理想化された〈民衆〉の中に入ってスピリチュアルなものを得るという話は、しかし誰に対して「説教」しているのだろうか。テーマに関していえば『キリンヤガ』の方が問題を相対化して取り出しているだけに、心に共鳴するものがある。とはいえ、その説教くささを除けば、本書は楽しめるものだった。特に後半の、聖地である山へ向かう旅の描写がすばらしい。その前に一瞬、本書が本格SFかファンタジーになり得る瞬間があるのだが、そっちへ進んでいればすごい傑作になったかも知れないと思う。
『クリプトノミコン4/データヘブン』 ニール・スティーヴンスン ハヤカワ文庫
やっと完結。「隠匿された莫大な金塊をめぐり熾烈な暗号戦は最終局面を迎える」(帯)というわけだ。結局SFではなかったが(SFテイスト、あるいはおたくテイストはたっぷりあった)、すごく面白かった。収まるべきところに話がちゃんと収まって大団円を迎えるのはエンターテインメントとして大正解だろう。もっとも、これだけ長い話になると、はてなという疑問点も残ってしまうのだが。それと、多くの人が指摘している、物語に直接関係ない脱線、あるいは過剰、おたく知識の披露についてだが、これが作者の持ち味なんだよな。ストーリーを追いかけたい、これから一体どうなるのかという時にも、えんえんと別のエッセイを一編読まされるようなものだが、これがあんまり苦にならない。面白いから。そのあたりがSFファンに受ける部分だと思う。
『ウロボロスの波動』 林譲治 ハヤカワSFシリーズJコレクション
太陽系に発見されたブラックホール・カーリー。人類はそのまわりに人工降着円盤を建設し、太陽系全域へのエネルギー供給源とした。という話をベースに展開する6編のハードSFオムニバス長編である。各短編には年代がついていて、往年の光瀬龍の宇宙年代記を思わせる。もっとも読後感は光瀬龍とは違い、ずっと科学技術よりのハードSFである。未知の現象や宇宙的な謎の解明も含まれているが、それと同等かより以上にプロジェクトの組織論や人間関係、社会のあり方に力が注がれている。とてつもない派手な事件ではなく、後から思い起こして見て歴史のひとつのポイントであったというような事件を淡々と扱っているが、連作短編という形式によく合っていて面白く読めた。解説的な文章の読ませ方など、小説の技術的側面でまだぎごちないところがあるように思うが、それもしばらくすると気にならなくなる。日本的文化の扱いに個性があり、特に関西の人間には面白く読めるだろう。