続・サンタロガ・バリア  (第13回)
津田文夫

 2月があっという間に過ぎたなあ。本を出せば少しは暇になるかと思ったが、出したあとの後始末も結構時間を食ってる。
 月末に東京出張にいった。2泊3日で、初日は仕事明けにサントリーホール。何にも情報仕入れずに行くので、岩城宏之指揮の東京フィルだと知って、ちょっとうれしい。プログラムをちゃんと読まずに曲の始まるのを待っていたら、いきなり強烈な音響が。プログラムをちらっと見て、オール・ラフマニノフ・プロだと思いこんでいた。じつはそれはオーチャード・ホールのプロであって、サントリーはなんとオール・黛敏郎・プロだったのだ。「涅槃交響曲」以外聴くのははじめてのものばかり。「涅槃交響曲」でさえラジオで1,2回上の空で聴いたっきりだ。疲れたねえ。1曲目でミュージック・ソー(ノコギリですな)が、ヒョヨヨーンと鳴るのを聴いてたしかに菊池博士の奏するアノ音にそっくりだと思いました。2日目は、お茶の水から神田古書店街を流したのだけれど、疲れがたまっていてコレといった収穫もなし。

 CDは椎名林檎の3枚目以外は古いのばっかりきいていた。いや『ロスト・イン・スペース』は去年のか。椎名林檎は一聴してよくわからなかった。3回聴いたら慣れたけど。1枚目、2枚目は生のステージで可能なサウンドだったけれど、これはスタジオと生に落差がありそうだ。ジューシーな感じがやや後退気味。スタジオ入りしたビートルズみたい。
エイミー・マン『ロスト・イン・スペース』は、洋楽の女性ボーカルでお気に入りを探している状態なので、評判を聞いてトライした1枚。まだぴったりじゃない。アラニス・モリセットとかフィオナ・アップルとかもちろんビョークとかシャーデーとか、聴いてはみるものの繰り返し聴くところまでいかない。この10年でいちばんよく聴いた女性ボーカル曲はホールのコートニー・ラヴが歌う「ノーザン・スター」だった。
 温故知新CDは発売30周年記念『百眼の巨人アーガス』。LPは買わなかったはずなのに全曲知っている。最後に聴いたのも30年近く前のはず。ウィッシュボーン・アッシュってこんなに音が軽かったっけ。と思いつつ聴き終わってから音を反芻すると、結構強烈なキックが入っているんだよ、これが。で、また聴くと、やっぱり軽いんだよね。でも頭の中ではヘヴィに響いている。昔『ライヴ・デイト』を買ったのもきっとそんな感じがしていたんだろうな。ジェネシスの『幻惑のブロードウェイ』(だったっけ、邦題は)も音は貧弱になったけど、面白いことは相変わらず。クラッシックはケンペが10枚もでてちょっと困ってる。

 音楽を聴く方が、SFを読むよりは楽なのは確かで2月に読めたのはたった3冊。『最果ての銀河船団』が漸く読めた。「ゆーこん」で安田さんが、「おもしろいよ、わっはっは」といっていたので、ヴィンジだしつまらないわけはないよなと思いつつ読み始めたのだが、どうも調子が狂う。それは蜘蛛族の扱いに起因している。作中翻訳がそうさせていることはわかっていても、あまりなアメリカン・スタイルにとまどってしまう。そのせいで蜘蛛族の物語の方が、宇宙船団内のサスペンスよりもすんなりと読めてしまうことも変な感じが続く原因になっている。エンターテインメントのお約束をきっちり守って書いてあるように見えて、かなりぎくしゃくしたものを持ち込んでいるなあというのが感想として残る。このあとに読んだのが小松左京賞受賞作、機本伸司『神様のパズル』。ヴィンジの雄大なスケールから一挙に手のひら宇宙の話にまでスケールダウン。読みやすいというだけなら、ヴィンジよりもはるかに読みやすいし、おもしろさも人を選ばない一般性がある。頭ではわかっていても、SFというものが作り方によってこんなにも違う印象をもたらすものか、という感想が生まれたのは久しぶりだった。結末がやや不満(特にヒロインの扱い)なのを除けば、ほぼ満点の出来。でもなあ、これがSFですって人に紹介するのもちょっとイヤ。
 オオアリクイこと佐藤亜紀『天使』は、やはり普通じゃない。300ページにも満たない作品世界はまるで19世紀ロシアの大長編みたいな雰囲気。作品の時代は第1次世界大戦だが、世紀末の暗さがそこかしこに漂っている。それをあっさりと閉じてしまう結末には納得がいかないが、読んでる間は結構しあわせである。内容とは関係ないが、印刷文字がひとつひとつムラになっているのは、作者の要請なのか。それとも編集側がわざわざこんな活字を集めてきたのか。ときどき活字をジッと睨んでしまった。


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