内 輪   第153回

大野万紀


 HDD-DVDレコーダーはさすがに便利です。もはやビデオには戻れない感じ。特にRD-XS40のインターネット予約機能は便利。これでスカパーとの連携がもっと楽にできればいいのだが、チューナーとからむから難しい。コクーンを買えってか?
 パナウェーブといわず白装束というのは、やはり松下さんに遠慮しているのか、の白装束集団ですが、SF作家の飛浩隆さんはかつて彼らと島根で対峙したそうで、SFセミナーでも話題になっていました。オウムと違って無害な集団に思えたのですが、送電ケーブルや鉄塔の破壊ともし関係があるのだとしたら、確かに反社会的なのかも。ただ、こういう問題を考えるにあたっても(SARSもそうですが)、セキュリティと自由という東浩紀さんの問題提起がとても重要に思えます。今読みかけている東さんと大澤真幸さんの対談集『自由を考える』が色々と考えさせてくれます。
 そのSARSですが、発病した台湾の医師が関西旅行をしていたというので、大騒ぎとなりました。オマハからシカゴへ飛ぶ機内で目撃され、モスクワの会議でスピーチし、最後は香港から大阪を通ってアメリカへ向かったティプトリーのエイン博士のように、台湾人医師の足取りは事細かに報道されました。もし医師がTHATTA関係者の知り合いのような台湾人オタクだったら、日本橋や秋葉原のあちこちが大騒ぎになっていたでしょう。まあしかし、医師はエイン博士じゃないし、SARSが感染力の強い未解明な病気であることの危険性は過小評価してはいけないとしても、インフルエンザが大流行したらたちまち万というオーダーの死者が出ることを考えると、もっと冷静になってもいいんじゃないかと思います。逆にエイン博士だったらノーチェックでしょ。これからはマスクしないで咳をしている人がいたら、保健所に密告されるようになるよ。10日間家にじっとしていて、問題なければ「ただの風邪で、もう直りました」と近所や職場に挨拶回りしないといけないのだ。ちゃんと診断書とおみやげをもってね。風邪で10日休めるなら、それもいいかも。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『ハートレス・シティ』 友野詳 ソノラマ文庫
 機械と人間の融合した未来の東京。巨大移民宇宙船の転移の失敗で起こった事態だった。ここに住む人々は、機械と融合した何らかの能力を持つものが多い。主人公の青年、ナビは、この宇宙船のナビゲータとして自責の念にかられながら生きていたが、その能力を生かして探し屋として暮らしていた。そこへお約束のように謎の美少女が依頼に現れるのだが、美しい生首の入ったかごを下げ、この首がおさまるべき胴体を探して欲しいというのだ。とまあ、グロテスクに変容した世界での奇怪なファンタジーである。すごく面白い設定が色々と考えられているのだが、世界を語るより、セキュリティと呼ばれる組織のすごい奴らとの闘いが中心にあって、とてもゲーム的な展開となっている。しかし、クライマックスの、まさにゲームによる決着のつけ方など、異様な迫力があって、とても面白い。書き足りない部分がかなり多いようだが、なかなかの力作である。

『スカーレット・ウィザード 1』 茅田砂胡 中央公論新社
 水鏡子おすすめのシリーズ。いや、評判が高いとは聞いていたのだが、長大なシリーズものはなかなか手が出なくて、と言い訳してみる。というのも、実際に読んでみて、確かに面白かったからだ。でも、早く次が読みたい、といらいらせずにまとめて読めるのだから、これで良かったのかも。人並み外れた(外れすぎかも)美女と美男がヒロイン・ヒーローのスペースオペラである。男は一匹狼の宇宙海賊。女はこの宇宙で知らぬ者のないクーア財閥の跡取り娘。女王と呼ばれているが、まあそこらの男では相手にならない大変なアクション系の傑物だ。で、男は1年間という期限での契約結婚を強要される。スピーディな展開とキャラクターの魅力で読ませるエンターテイメントだ。ステレオタイプをいい具合に裏切ってくれる展開のドライブ感が良い。

『スカーレット・ウィザード 2』 茅田砂胡 中央公論新社
 二巻目も相変わらず面白い。ただ、こういう作品を面白い以外の言葉で語りにくいのも事実。キャラクターもストーリーも第一巻の驚きはなく、相変わらずとんでもない無茶をしているすごい人たちというところ。ま、今回は〈ロマンス〉の要素があって(子供を作っちゃうんだから、ロマンスだわなあ)、それにはちょっと驚かされた。相変わらず波瀾万丈ではあるけれど、新たな驚くべき展開はない2巻目でした。

『スカーレット・ウィザード 3』 茅田砂胡 中央公論新社
 とうとう子供が生まれちゃったよ。びっくり。でももちろん家庭的な話になるわけもなく、今回は乱暴な田舎者の宇宙海賊が出てきたりで、なかなか落ち着かない。まだまだ話は終わっていません。巻末でいきなりひとり宇宙を旅するダイアナ(ケリーの宇宙船の頭脳)の話があっておやっと思うが、これはおまけの短編だったのね。

『スカーレット・ウィザード 4』 茅田砂胡 中央公論新社
 乱暴な宇宙海賊に誘拐(?)されたケリーの逆襲・大暴れが前半、そしてそれが解決したと思ったら今度は子供が誘拐されてジャスミンが切れた。こっちの話は次号へ続く。まあ過去の秘密が少しずつ露わになったりしているのだが、そういうストーリーよりも、主人公二人と宇宙船頭脳のダイアナ(彼女ももうひとりの主人公だ)がどんな無茶をしでかすか、という方がはるかに重要な小説である。そういう意味ではオーケーすぎるくらいオーケーなのだが、はて次回で完結するの?

『スカーレット・ウィザード 5』 茅田砂胡 中央公論新社
 完結編。スター・ウォーズのデススターか、銀英伝のイゼルローン要塞みたいなのをやっつける(でもぶっこわしちゃいけないところが、ちょっと違うか)話。ちゃんと完結したし、ある意味驚きの結末である。宇宙をかきまわしたすごい二人の話だったのだなあ。どうしてこんなにすごい二人だったのかという説明は一応あるのだが、そういったことより、とにかく目の前で繰り広げられる漢たち(ジャスミンも漢でしょう)の超人的な活躍に一喜一憂。あとがきで作者が「これは『SF』ではない」と断っていることについて、やっぱりひとこと書いておこう。どうやら作者は誰かに「こんな小説は〈ほんとうの〉SFではない」てなことを言われたようなのだね。作者はSFだと思っていたから、かちんときた。そりゃそうだわなあ。本書をSFじゃないというのは、相当無理があるもの。確かに40年ちかくSFファンやっている身として、時に「これはSFじゃない」といいたくなることはある。でもそれって、たいていの場合、基本的にSFのカテゴリーとして読んでいる時に、微妙なところでこちらの内面にあるSFの定義とアンマッチが生じている場合だ(SFでないことが自明なものをあえてSFじゃないなんて言わないでしょう)。作者には無関係だし、あくまで読者の側の問題であり、ジャンルとしてのSF論を深めるには意味があるが、個々の作品論にはあんまり関係しない。SFの定義自体が多義性のあるもので、多かれ少なかれ自己言及的なものだからね。「これはSFじゃない」という人は、自分のSF観のどこにそれがあてはまらないのかを語るべきだろう。それなら(ジャンルとしてのSFに興味がある人にとっては)議論する意味がある。でなきゃ単なる感想にすぎないのだから、「あ、そう」で終わり。とはいっても作家も人間だから、そういう感想を目にしちゃうとかちんときたり気にしたりするだろうね。インターネット時代のややこしい問題だなあ。

『どうぶつ図鑑 その1かめ』 北野勇作 ハヤカワ文庫
 北野勇作の短編集を可愛らしい装丁で、折り紙付きという「どうぶつ図鑑」全6巻。なるほど、折り紙付きか。裏表紙に「かならずお読みください」と注意書きがあり、小説の品質には充分注意をはらっていますが、おもわずほろっとしたり、わけもなくなつかしいきもちになったりしても責任はおいかねます、といったことが書いてある(でも字が小さく、白抜きなのでとても読みにくいよ)。で、中身はというと、これは特別なものではなく、いつもの北野勇作。小説は7個入りです、と書いてあるのに4つしかないぞ、と思ったら、これはショートショート「生き物カレンダー」の「1月」から「4月」をそれぞれ1編と数えたのね。本書のテーマはかめだが、さすがにかめは作者のとくいわざ。どれも作者らしい面白さがある(でも「生き物カレンダー」でかめが出てくるのは1編だけだけれど)。短くて、さっと読めるのが嬉しい。

『どうぶつ図鑑 その2とんぼ』 北野勇作 ハヤカワ文庫
 かめと同時発売の2巻目。いつもの〈日常性への侵略〉テーマの3編が収録されている。テーマがトンボなのに、トンボが出てくるのは「トンボの眼鏡」の1編だけというのはどういうわけだ。やはり作者にはトンボへの愛が(かめよりも)少ないのだろう。そりゃそうだよな、トンボって、始めからロボットっぽいというか、機械っぽい感じで、脊椎動物の親しみやすさに乏しいのだ。作者が描く、町工場への侵略というテーマからは、トンボって何だか当たり前すぎて面白みに欠ける。ま、「新しいキカイ」はイソギンチャクだし、「西瓜の国の戦争」にいたっては西瓜なわけで、どちらも脊椎動物じゃないわなあ。そのわりに面白かったのは、頭の中への侵略というテーマが、まさに作者のツボだからだろう。

『プレイ −獲物−』 マイクル・クライトン 早川書房
 ナノテク版『ジュラシックパーク』と帯にある。ナノテクで作られた生命体が人間を襲うというバイオ・パニックものだ。ナノテクといいながら、後半は全くアリやハチのような小さい生物の集団の恐怖というパターンで、前半でけっこう細かく描かれていたナノテクの話はどこかへいってしまっている。この技術的ディテールって、どうも映画『ジュラシックパーク』のCGで使われていた技術がヒントになっているようだ。最後はとってもSFになるのだが、多くのSF作家とはおそらくベクトルが逆だわなあと感じてしまった。しかし、読んでいる間はとにかく面白い。一気に読めてしまうし、読ませる力がある。さすがクライトンだ。ただ、読み終わると、色々といいたくなるのも事実で、前半の細かな技術的ディテールが後半でどうでも良くなるところや、要するにレムの『砂漠の惑星』やペレグリーノの『ダスト』と同じテーマを扱いながら、大きなテーマには向かわず、当たり前のホラーやサスペンスになってしまうところが、物足りない。現実にSARSが流行している時代なのだから、もっと大きな話になってもいいと思うのだが、息もつかせぬサスペンスが終わってみると、妙にこじんまりした話だったのだなあという印象が残るのだ。

『強救戦艦メデューシン 上・下』 小川一水 ソノラマ文庫
 「ER緊急救命室」であり、「ブラックジャック」であり、空飛ぶスーパーナースの物語である。下巻のあとがきで作者本人が書いているように、どこか別世界が舞台でありながら、本書は職業人たちの活躍や苦悩を描く作品系列の方に属している。というか、世界設定の方を気にすると、説明不足であんまり楽しめないだろう。こちらの世界によく似たパラレルワールドのひとつ、といった感じである。とにかく、昔の日本みたいな国が南方を侵略してもう十数年も戦争が続いている。北には中国やロシアみたいな国もあり、こちらへも戦線が拡大中。最前線での救命医療活動にあたるため、巨大な空飛ぶ戦艦みたいな航空機が作られ(そのひとつがメデューシン)、その中には看護婦さんがたくさん乗り込んでいる。看護婦さんではあるが、何しろスーパーナースで、最前線で脳外科手術だってやってのけるのだ。で、せっかく命を救っても、助けた兵士は次の戦線へ送られるわけで、彼女たちはアンビバレンツな感情を抱き、悩むことになる。しかし、確かにそうなのだが、何だかストレートすぎて、本当にこのような形式で描く必要がある話なのか、そのあたりが気になったところだ。


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