みだれめも 第161回

水鏡子

 


 傑作が集まった。

 「電車が地上高くに上りつめ、右手の窓に空き地が広がった。そこはまさに、あの夢の島だった。ブッコワース光線が東京を隅々まで破壊し、ロボットにすり替った首相が電子冷凍器でこの世界を永遠の冬に閉じ込めようとしたごみ捨て場だった。」(427ページ)
 とくに飛び抜けていい文章というわけではない。でも、こうやって描写しながら「ゼロマン」のゼの字も口にしないところが矢作らしい。
 学園紛争の最中、警官殺人未遂で指名手配された青年が、文化大革命の中国に渡る。その彼が蛇頭の船で30年ぶりに日本の土を踏むところから物語ははじまる。当時の親友は裏社会の大物になっていて、彼の援助を受けながら男は日本での生活を営み、生き別れた妹の消息を尋ねる。
 『ららら科学の子』は、『スズキさんの放浪と遍歴』『あ・じゃぱ・ん』に匹敵する矢作俊彦の最新傑作である。『点子ちゃんとアントン』と『猫のゆりかご』のふたつの本が重要なファクターを占め、「博士の異常な愛情」について語られ、当然アトムと手塚治虫の話も出てくる。SFファン向けにひっぱるとしたら、そんなところであるけれど、もちろんSFではない。
 全篇いいとこだらけで、気持ちよすぎて、余韻を壊すような「まとめ」をあまりしたくない。妹に対するこだわりが、妻となった少女との回想に連なり、彼女と同じ学校の制服を着た女の子との交流が生れる。『赤頭巾ちゃん気をつけて』に似た浄化感がある。今年の収穫には、やけに兄妹ネタが目につくが、そのなかでも、本書の扱いはずば抜けていい。妹萌えという意味ではないからね。
 『猫のゆりかご』のおかげで気がついた。思い出したというべきか。今では見限り気分の強いヴォネガットだけど、彼の新作を待ち焦がれていたころの気分は、矢作俊彦を待つというかたちでぼくのなかには引き継がれている。昔、まるでヴォネガットみたいだ、と話題になった作品のひとつが『スズキさんの放浪と遍歴』だった。あとのふたつは村上春樹の『風の歌を聞け』と高橋源一郎の『さよならギャングたち』だった。(ちなみにさっきあげた庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』は『ライ麦畑』のまがいものと言われていた)
 その後の作品を並べてみると、矢作俊彦がいちばん色濃くいちばんいつまでもヴォネガットのよさを保ちつづけてくれている。最良のころのヴォネガットを。当のヴォネガット本人よりも。『ローズウォーターさん』『母なる夜』といったところの好きな方にはぜひお勧めをしておきたい。

 映画のおかげで連日大宣伝がしばらく続いたエリック・ガルシア第3作『マッチスティック・メン』。ガルシアのコン・ゲーム小説ということで、詐欺師が悪徳業者から大金をふんだくる陽気な悪漢小説かと思ったら、ユーモアを抑えた、苦い後味のある辛気臭い小説だった。どんでん返しは鮮烈で、ある意味いかにもガルシアらしい話ではある。トリックの出来上がり方に共通性が感じられる。恐竜ぬいぐるみ社会でおきるぬいぐるみ事件。詐欺師社会でおきる詐欺事件。でもそのアイデアを生かすために作られた物語には、うーむ、あんまり読みたくなかったかな。うまいけどね。
 それにしても、こんな話、小説にしろ(たぶん)映画の方にしろ、見どころ読みどころがどんでん返しの展開そのものにある。読んだあと見たら、見たあと読んだら、カスみたいなものじゃないかしら。

 『イリヤの空 UFOの夏』が4巻で完結。ドタバタを排したストレートでせつない逃避行ロードノベルにしぼりこまれ、第4巻だけに限れば、これはこれでいい物語にしあがった。けれどもこのかたちで収まると、全体としては、水前寺と晶穂のふたりについての物語が宙に浮いている。落ち着くところに落ち着いていない。その意味でいちばん落ち着くところに収まったのは、榎本と椎名の二人の物語だろう。この二人のそれぞれの物語がきちんと片づいたことが全体に奥行きをもたらしている。
 「エヴァの子供たち」のひとつという印象は最後まで変わらなかった。榎本/加持、椎名/ミサトと印象がかぶり、かれらを中心とした、もっとふつうであったかもしれないエヴァのもうひとつの物語。たぶん作者にとっていちばん寄り添えるキャラは、主人公でなく榎本だったように思える。
 持ち前の器用さで手堅くまとめているけれど、作者はまだ自分の声を模索中に見える。このレベルではまだ誉めたくない。まして同じ戦闘機械少女とのラブ・ストーリイでもある次の作品と並べると、よけいそう思う。

 年末のベスト選びを控えて、そろそろ今年のとりまとめを意識する時期になった。今年も日本SFのレベルは高くて、『神様のパズル』と『マルドゥック・スクランブル』、どちらを1位にもってこようと迷いながら、在庫調整のつもりで福井晴敏『終戦のローレライ』を読んだ。
 なんだこのとんでもない話は。落ちこぼれ乗組員の集まった員数外の潜水艦が、たった1隻で米太平洋艦隊を向こうに回して大立ち回り。緻密に書き込まれた細部に気持ちを熱くする真情吐露が重ね合わされ、破天荒な設定が破綻なく完遂されていくクライマックスは感動的で、「椰子の実」を口ずさみながらマリアナ海溝へ向かうシーンにはまさに感涙胸に満ちる。浅倉大佐の構想には説得力に欠ける部分があるし、フリッツ少尉も後半存在感が薄くなる。「SFとして」とか言い出せば、他の本に軍配をあげることはできるけど、とにかくなにより剛球一直線で、小説として、正直格の違いを見せつけられた感じがした。脇を固める人間が芸達者なら主人公二人は木偶で充分なのがよくわかる。そういう部分も、『イリヤの空 UFOの夏』と共通する。『神様のパズル』も『マルドゥック・スクランブル』も弾きとばされ、文句なしの今年の1位。他の作品も読まなければ。

 兄妹ネタの部分については、『終戦のローレライ』はたいしたことはない。『ららら科学の子』や『ルナ』の方が上。まだ半分しか読んでいない古川日出男はどうこなすか。うーむ。これは兄妹ネタといっていいのかどうか。来月はたぶんこの人の本。


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