みだれめも 第162回

水鏡子

 


 『サウンドトラック』古川日出男を読むのはこれが3つ目。高いレベルで不満をかこっていたけれど、本書については期待以上の満足感。『アラビアの夜の種族』より、はるかにいい。亜熱帯と化した数年先の東京を舞台に、無人島で育った少年と少女が烏や犬や猫と一緒に日本国やコロポックルと戦う話、といってみてもほとんど要約にはならないな。少女の話は「昴」がブギーポップのいうところの世界の敵になってしまうみたいな話だ。少年の話は烏の仇討の助っ人が本伝だけど枝伝が3倍くらいある。少年の話も少女の話もほとんど交錯しなくなるし、ひとつひとつの断片を拾っていくと意味があるのかないのか、つながりがあるのかどうかわからない細部がどんどん積みあがっていく。これに比べれば池上永一『レキオス』なんか、まだずっと普通の小説だったなと思う。ふつうなら、なにが言いたいのかと首を傾げるめちゃくちゃだけど、たぶんなにも言いたいわけでなく、ただ単に狂熱的なリズムに乗せた叩きつけるような文体でこういう風景を描き出したかっただけなのだろう。世界の手ごたえはしっかりしている。支えているのは熱に浮かされたような文体だ。自他ともに認める音楽的素養の欠如した人間なので、こういう比喩は使いたくないのだけれど、とくに後半の文章は、野性味あふれる音楽だ。
 傑作だと思う。たぶん。
 この作品がSFであるのは明らかなのだけど、どうSFであるのか、じつはぼくのSF観と意外と整合性がとれずにいる。むしろこの本の中にこそ、SFが進むべきひとつの方向があると思うのだけど、けっこう言葉に詰まっている。自分のSF論に再構築を促す契機を秘めた本。
 三部作の第一部だという話も聞いた。続編を読みたくないわけではないけれど、これはこれで完成していて、続きはいらないという気もする。

 読んだことも忘れていた。『サウンドトラック』の熱帯化した東京について、書くならどう書いたらいいかイメージを転がしていて思い出した。アミタヴ・ゴーシュ『カルカッタ染色体』はインドを舞台にした熱病的世界。ちょっと『サウンドトラック』に似たおさまりの悪さがある。古川本はそれすら破格という長所に変えてしまっているけれど、こっちの方はそこまでの奔放さに欠ける。中途半端。

 E空間で最初に出てきた巨大な蛇は結局なんだったんだろう。だいたいこのE空間はなんのために必要だったんだろうか。まあ、楽しいからいいことにしよう。たぶん以下次号ということなんだろう。
 えー、ほったらかしていた<知性化の嵐>、完結しちゃったので、しかたなしにまとめて読みました、酒井様。いやあおもしろいじゃないですか。ジュブナイル風で、いまどき珍しく理想主義でありながら右がからず、むしろ左寄りだけれど先鋭化もせずバランスがとれてて、ほとんどエドモンド・ハミルトンで、ちゃんとスペースオペラも現代SFもやれている。6冊三千頁を、ほとんど飽きさせず、反感も持たせず、最後まで読ませた。訳者も指摘するように、『星海の楽園』ではロー・ケン・ネタを中心に明らかにはしょりが目についたけど、逆に引き伸ばしをしないところを潔しとしよう。馬鹿なあるいは間の抜けた異星人・超知性体を賢い地球人が翻弄する、箱庭宇宙の組み上げに喜々として取り組む様を、若々しさととるかこどもっぽさととるか微妙なところがあるけれど、今は三千頁を楽しく読んだ自分を誉めたい気分もあって、一瞬、チャン、イーガンより上位に置こうかとさえ思った。ついでに読んだ後日談「誘惑」(『遥かなる地平(1)』)は、唯一賢そうに見えていたブユルまでが底の浅さを露呈して、わりとつまらなかった。はるか昔にけなしまくった前作『スタータイド・ライジング』にはこんな稚性あふれるかわいらしさはまるで感じなかった記憶がある。念の為にもういちど目を通しておくことにする。  


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