内 輪   第169回

大野万紀


 東京生活がけっこう多忙で、なかなか本が読めません。通勤電車の混み具合が大阪と全然違うので、ちょっと勝手が違って本が読みにくいというのもありますね。
 それはともかく、長年使っていたEPSONのインクジェットプリンタがへたってきたので、思い切って買い換えました。この際なのでスキャナーもついて単体でコピーもできる、いわゆる複合機というやつですね、ちょっと高かったのですがHPのPSC2550というのにしました。本当は今まで通りに(印刷品質が気に入っている)EPSONにしたかったのですが、スキャナーも含めてLAN対応しているのが(買った時点では)これしかなかったのですね。プリンタだけなら今までもプリンタサーバを使っていたのだけれど、スキャナーのTWAINをLAN経由で使おうと思うとずいぶん高くついてしまうようで。もう少し待てば、年末の新製品がどっと出て状況が変わったかも知れないのですが。まあ、詰め替えインクを使えば維持費も安くすみそうだし、これはこれで満足というところ。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『リスクテイカー』 川端裕人 文春文庫
 1999年に出た、『夏のロケット』に続く著者の第2作。文庫本になったので(といっても去年のことだけど)今ごろ読む。すごく良かった。川端裕人の本はどれもこれもぼくのツボにはまってくれる。本書も金融工学SFだ。とってもハードSF。1996年から99年の3年間(ってことは9.11以前ということだなあ)、アメリカのビジネススクールを出たばかりの3人の若者が、ヘッジファンドの世界に最新のカオス理論を武器に飛び込み、国際経済を左右するほどのビッグマネーを動かす話。ぼくは経済や金融にはまったく詳しくないのだが、それでも本書を読めば今の金融の世界というのがどういうものなのか(悪役としてではなく、まさに自走するテクノロジーと同様なものとして)よく理解できる(ような気がする)。リアルで日常的なお金、生活と密着するお金とはかけ離れた、まさに自走するバーチャル世界の生き物としてのマネー。ずっと昔からではなく、ごく最近になって金融政策やらテクノロジーの進歩やらによって、まさしく怪物的に膨れ上がった存在だ。3人の若者たちが、おんぼろ車に乗り、ラフな格好で宅配ピザなど食べながら、何十億ドルという別次元のマネーを左右する、この乖離がすさまじい。『夏のロケット』同様、ロマンティックな青春小説としても良くできているし、本当に存在するバーチャルリアリティの世界(つまり国際金融の世界)を描いたSF(ScienceFiction)としても傑作だ。ただし、ぼくが一番共感したのは、主人公の3人の若者でも、食えない怪老人のルイスでも、ゲイのトレーダーのビートでも、元NASAのエンジニアのソフト技術者ルーディでもなくて(この連中も、みんなすごく個性的で面白かったのだが)、日本の製鉄会社の技術者だったおじさん、タカハシさんである。いいなあ、この人。大好きだ。現実世界でぼくの知っている、あの人やこの人を思い浮かべてしまう。やっぱマネーよりモノですよ。

『蒼穹の槍』 陰山琢磨 光文社
 近未来の国際軍事サスペンス小説。アフガニスタンの麻薬マフィアによる国際テロと、巻き込まれたオタクな男女の物語。ロケットや軍事技術のリアルっぽさに読みごたえがあり、新たな「貧者の原爆」がテロリストの手に渡る恐怖もリアルなものだ。ホンダのロボットを違法改造した殺人ロボットなんてのもいい。でも、本書の面白さは、それ以上に、大阪で〈やくざのシステムエンジニア〉をやっているゲームデザイナーの男や、ケニヤで民間のロケット打ち上げ会社に勤める打ち上げ技術者の女性という、オタクっぽい感性を持ちながら行動的なヒーローとヒロインの造形にあるといっていいだろう。何だかすごくガイナックスな感じがあった。ちょっとストーリーが散らかっていて、ポイントがずれていったり、敵があいまいだったりする欠点もあるが、それも含めて(いい意味での)オタクなアニメを見るような楽しさがあった。

『小説探偵GEDO』 桐生祐狩 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 小説の中に入り込んで、登場人物たちのその後や、物語の中の問題を解決する〈小説探偵〉。ユニークなアイデアかと思ったら、結構よくある発想みたいだねえ。まあそれはともかく、本書の場合、内部の小説世界と外部の(主人公にとっての)現実世界がわりと簡単に行き来できるようで、しかもお互いに影響を及ぼし合うことができる。となると、主人公にとっての現実もわれわれからみたら同等に虚構世界なわけで、しかも出てくる小説がこれまたわれわれの知らない(虚構の)小説なので、そういう意味での本当の現実に作用するようなメタフィクショナル力はここにはない。でも、こういう設定(複数の世界を縦横に行き来する登場人物たち)の物語として読めばそれで何ら問題なし。ゲームでもよくあるよね。本書の場合、特に登場人物たちが個性的で魅力があり、お話として面白く読めた。でも小説内小説があんまり面白そうじゃないんだよなあ。中で「青き追憶の森」は、何というかオカズが少ないだけにストレートな面白さがあって、印象に残った。児童虐待に関する小説内の扱いはちょっと挑発的。

『グアルディア』 仁木稔 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 新人作家の書き下ろしで大長編というので、ちょっと敬遠気味だったが、これは収穫だった。文明崩壊後の27世紀の南米、今のコロンビアからベネズエラあたりが舞台というのがちょっと魅力がある。文明崩壊後といっても、現代との連続性もあり、地域的には科学技術も復活している。大長編だが、こういう細かな設定がよくきいていて効果を上げている。まあ設定自体は特に目新しいというわけではないが、よく考えられて一貫性があるのが良い。ストーリーは超人たちの凄まじい闘いを主軸に、数多くの悲劇が語られる叙事詩的な物語である。登場人物たちはみなそれぞれに魅力的だが、ただし、この長大な物語を支えるにはやや性格的に弱いと思う(最悪なヒロインであるアンヘルの個性は際だっているが、それでも〈大きな物語〉に生きているわけではないのだ)。魅力的な設定の数々も、結局は主要な人物たちの愛の物語に集約されてしまうのが、物足りない。テーマとしては、様々なレベル(文明、人類、知性、国家……)でのアポトーシスの発現というものがあり、SF的に面白い発展ができたように思う。ともあれ、なかなか先の楽しみな新人の登場だ。

『夜陰譚』 菅浩江 光文社文庫
 『異形コレクション』などに載ったホラー系の短編集。書き下ろしも1篇収録されている。ホラー系といっても、菅浩江の場合、人の悪意や弱さ、世間や伝統のしがらみや圧力と、それに順応しようとしてしきれない個人(特に女性)の苦しさ、辛さ、あきらめといったものから立ち現れる怖さ(恐怖というより、こわいという感覚)が中心となっているので、読んでいて辛くなる個所が多い。芸事のような(われわれからすれば)ちょっと非日常な世界が扱われた作品もあるが、もっと普通のOLが主人公の作品もあり、いずれもごく普通の日常の隙間から悪意ある異世界が侵入してくるのである。このこちら側の世界がとてもしっかりと書き込まれており、伝統芸の世界だったり会社の仕事だったりするが、それが生き生きとディテール豊かに描かれている。そんなリアルさと、どこかがほんの少し狂った異世界とが交差するこわさ。超常現象も描かれるが、それも心理的なものと解釈できる、そのこわさ。そして、異世界の美しさ。唐突だが、スタージョンを連想してしまう。微妙で魅惑的な身体の動き、どこからともなく聞こえる声や、手や足首や首筋といったパーツへの執着など、そういったものが共通性を思い起こさせるのだろう。


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