みだれめも 第182回

水鏡子


作品 著者 出版社 総合 作品性 興味度 義務感
『となり町戦争』 三崎亜記 集英社 ★★★★☆
『空獏』 北野勇作 ハヤカワJコレクション ★★
『魔物を狩る少年』 クリス・ウッディング 創元推理文庫 ★☆
『神狩り2』 山田正紀 徳間書店 ★★★☆
『鉤爪の収穫』 エリック・ガルシア ヴィレッジブックス ★★☆

 日常に制度的なるものが介入し、隠れていた世界の仕組みが浮き上がる、マクロスケールの風景が立ち上がる。その制度的なるものを支えているのが科学という世界律であったり、あるいは制度の正体そのものが科学であったりするところにSFの醍醐味がある。
 それが十年一日の、ぼくの基本的SF観であるのだけれど、そういう醍醐味を得られるタイプの作品が年々少なくなっているのが実情だ。
 根本的な原因は、たぶん日常的な常識に科学的なものの見方が浸透し、あたりまえのものとなってしまったことだ。現在から飛翔して、<明日の世界>を見晴るかす力であったはずの科学が、いつのまにか現在を統率する常識へと変貌してしまった。グローバリズムというのはそんな傾向を指すものなのではないか。
 あるいは大量の情報が流通する中で、多くの社会科学的世界原理が神話性を喪失し、未来に向けた希望をなくしたところにあるのかもしれない。それは<スター>を失った芸能界とも通呈する。ぼくらの子供のころに較べて、<日常>や<現在>が取り込んでいる情報量は巨大化し、相対的に対峙していた<夢の世界>や<未来>を痩せ細らせた。
 SFに力がなくなったのではない。SFが足場としていた<世界>が衰えているのだ。結果的にマクロスケールな形而上的ヴィジョンというのはオカルティックや宗教的なところに振れがちで、ぼくらがSFに託していた制度的歯応えとはやっぱりちょっとテイストがちがう。

 『となり町戦争』は、奇怪な制度が浮きあがるそんな魅力を存分に発揮した傑作だ。
 ある日主人公は、自分の住む町の広報でとなり町との戦争が始まったことを知る。驚いて町境に行ってみるけど、そこには普段と変わらぬ日常が広がっていた。普段と変わらぬ日常。それでも、広報の住民情報欄には戦争による死亡者数が毎回掲載される。
 やがて主人公のところにも、偵察要員としての招集がかかる・・・
 地域再生事業としての戦争。筒井康隆的な、戯画化され、狂気がエスカレーションしていくパターンとは無縁の、もっとよくわからない、それでいて細部が妙に細かく既定された制度的な戦争である。カフカ的な不条理小説として評価されるのだろうけど、むしろ作者の意識は、この奇怪な戦争制度に整合性を持たし、リアルなものにしていくかに腐心する。なにせ単年度事業であるので戦争終結が3月31日と決まっているのである。計上された予算に基づくことしか許されない戦争。ただし本質はまちがいなく戦争であり、事業遂行の枠組みは繰り返し説明されるのだけど、具体的な戦争行為はほとんど主人公の目に触れない。主人公がその死の翼のはばたきに限りなく近づいた一瞬を軸とした戦争の始まりから終結までのドラマに、担当の町役場の女性職員とのラブストーリイを組み込んだ非常によく出来た小説である。短い枚数の中に魅力的な題材が畳み込まれている。今年読んだ日本SFのベスト。

 『かめくん』にしても『どーなつ』にしても、まとまりのつかない世界の背後に複雑に入れ子構造になった制度的構造が存在を主張し、表面の物語を楽しむとともに、背後の制度を読み解く快感にあふれていた。ホラー文庫で出た『人面町』はそのへんのガチャガチャがやや弱くて、それでもホラーという枠組みだからしかたがないとも思ったし、ホラーとしてはSFだと思ったのだけど、『空獏』はテイスト的には『人面町』より。短文で綴られる「獏」の物語が書き割りっぽく、深読みの魅力に欠ける。『となり町戦争』で制度的読みの楽しみを思い起こした直後であり、同じように戦争を取り扱っているだけに評価が低めになった。

 あらすじ紹介を読んで、まず失望はしないだろうと手にとった『魔物を狩る少年』。つまんなかった。プロシアの飛行船攻撃で壊滅的打撃を受けた(まるで第一次大戦を先取りしたような)異なる歴史を持つヴィクトリア朝イギリス。首都ロンドンにはなぜか魔物が跳梁跋扈する。そんな時代設定の中でウィッチハンターの少年が魔女に憑かれた美少女を守って仲間とともに魔を奉ずる巨大組織に立ち向かう。
 とんでもなく面白そうなのに面白くならない。SF的な魅力がありそうなのにSFとしてつまらない。魔物が跳梁跋扈する世界の謎が明かされる最後の大見得部分がまあSF的というべき部分なのだろうけど、あんまり感心しなかった。ゴーストハンターものの展開としてもあんまり目新しさも感じない。いろいろ細かな仕掛けは頑張ってるのにね。破綻とかもないけれど、なんか退屈。なんでだろう。ステッチ・フェイスなんかいい味出しているのだが。

 『神狩り2』正直最初の部分は読むのがつらかった。島津圭助の登場シーンのあたりからやっと小説らしくなるけど、それでもバランスは壊れている。単純に面白い小説、面白いSFが読みたいという人間は読まない方がいい。
 お勧めする相手は、まず<山田正紀>を読みたい人。<SF>を読みたい人。
 デビュー作『神狩り』の続編を書くことは著者の気持ちのなかで何年も何年もとんでもないオブセッションになっていたのだなあとそんなオブセッションの強さを感じさせるテンションの高さである。同じ続編でも『宝石泥棒2』にはここまでのテンションはなかったと思う。神を巡る言説、言語と認識、神学的な議論も含めて、SFの味わいもまたあふれんばかり。ただしそれらが黙示録世界の再現に結実していくことにはちがうのではないかという思いがある。
 それにしても、『ハイドゥナン』『サマー/タイム/トラベラー』と同様に『神狩り2』にも自閉症、言語障害、記憶障害、識覚障害などが頻出する。ほかにも思いつく作品はいくつかある。北野勇作はたぶんちがう。世代的にはバラバラで、それだけに、たぶん時代の風ということなのだろう。

 小説のうまさ、面白さについていえば『鉤爪の収穫』は『となり町戦争』を除く残りの本のなかでずば抜けていい。前二作に較べると種族レベルのマクロなテーマ設定が見られずSF的興趣は大幅に後退。それでも人間の皮をかぶって生息している恐竜たちの生態、社会に付随する子ネタ満載の才気の冴えは衰えを見せず、頭の二百ページはニコニコしながら読んでいた。
 テンションは最後まで落ちない。
 問題はひとつだけ。
 後味が悪い。
 陰惨さがすなおに楽しむことを妨げる。人死には前2作でもけっこうあったけど人類じゃなかった恐竜テーマのマクロスケールのSFネタが洗浄してくれてたようで、SF的(ゲーム的)な設定が死のおぞましさをヴァーチャルにしてしまうといった世間の非難は案外正しいのかもしれないなどと本書を読みながら逆説的に思ってしまった。『マッチスティック・メン』に続き、2冊続けてうまいけれど後味が悪い、という感想が繰り返されては、この作家からの撤退を考えなければと思ってしまう。あともうひとつ、ここまで強力な「分解パウダー」をすべての恐竜が所持しているというのは社会制度として無茶だと思う。
 


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