内 輪   第183回

大野万紀


 日本の探査機ハヤブサが、小惑星イトカワに着陸し、サンプル採取に成功したもよう(確認できるのはもっと先だけれど)というニュースはとても嬉しいニュースでした。松浦晋也さんのblogや、野尻抱介さんの掲示板、それにご本家JAXAのHayabusa Liveでリアルタイムに追うことができたのも新しい体験でした。プロジェクトの現場の雰囲気を一喜一憂しつつ生で味わい、3億キロ彼方の探査機の動きを追う。ハヤブサは指示を受けたら自分で考えて動くので、ついつい擬人化して見てしまうのです。一生懸命がんばってるな、なんて。
 NHKで越前クラゲの大襲来を特集していました。いやー、凄いですねえ。本当に大怪獣という感じ。子供の頃見た怪獣ドゴラを思い出します。それが1日5億匹というんだから冗談じゃない。でもねえ、クラゲにしてみれば、別に網を破りたくて来ているんじゃない。ただひたすらぷかぷか浮かんでいるだけなのになあ。とはいえ、山から下りてきて撃たれた熊さんとは違い、虐殺されててもあんまり可哀想とは感じないのは、やっぱり遺伝子の近さの問題なんでしょうか。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『啓示空間』 アレステア・レナルズ ハヤカワ文庫
 まずは分厚さと装丁に目を奪われる。最近話題となっているイギリス宇宙SFの一冊だ。26世紀、人類はエリダヌス座イプシロンなど、近距離恒星の惑星に植民地を築いている。この世界では光速を越える技術はなく、近光速船と呼ばれる巨大なラム・シップで宇宙を渡っている。当然、相対論的な時差で、惑星に残る人と宇宙を旅する人の間には何十年もの時間差が生じる。ソフトウェアにコピーされた意識も普通の存在で(でも、人格を認められるレベルや、単なるシミュレーションとみなされるレベルなど、色々ある)、登場人物に色々とアドバイスしたり皮肉をいったり悪さをしたりもする。こういった設定は細かくなされていて、ハードSF的な味わいもあり、とても魅力的だ。作者は元天文学者ということで、そのあたりも安心して読める。ただ、各章の始めに場所と西暦が記されているのだが、この相対論的な世界で、西暦がどのように決められているのかはよくわからない。主人公が持っている時計の時間ということだろうか。まあ、そんなに気にするようなことではないのだが。99万年前に滅びた異星人の謎を追う主人公に、凄腕の女暗殺者、近光速船を操る者たちがからみ、陰謀や戦いが繰り広げられる。長くてなかなか読み終わらないのだが、それでも視点が変わりながら短いストーリーが次々と語られるので、飽きることなくどんどん読める。特に巨大な近光速船の荒涼とした内部の雰囲気がいい。主人公はなかなかイヤな奴なのだが、彼にからむ女性陣はみんな魅力的だ。中でも女暗殺者のクーリと近光速船のイリアのコンビはもう最高。キャラクター小説としても楽しく読める。太古の銀河を揺るがした大事件が今によみがえろうとする結末もスリリングだ。

『宇宙舟歌』 R・A・ラファティ 国書刊行会
 ずいぶんと高級そうな表紙がついて、これがあのSpace Cahnteyか。実に大らかなSFホラ話である。バカSFとかそんなのじゃなくて、本当にラファティじいさんの神話的ホラ話。まことに豪快に人は死ぬわ、食われるわ、ぺしゃんこになるわ、殺すわ、食うわ、いかさまをするわ……。その語り口は、ホメロスじゃなくて、やっぱりラファティじいさん。〈どーん!〉ボタンはいいなあ。ぼくも欲しいなあ。ぼくにはどうしても昔の吾妻ひでおのイメージが頭に浮かぶ。なにしろ羊たちには「尻尾がない」だもんねえ。めちゃくちゃ面白いんだけど、だからどうだと言われても困る。ごっつい男たちが無茶苦茶の限りを尽くす、そして魔女マーガレットが茶々を入れる、宇宙船乗りたちの宇宙ホラ話なのである。(ここで宇宙というのは、とてもごっついという意味ね)。もちろん大傑作なのだが、いささか扱いに困る傑作でもある。

『太陽レンズの彼方へ』 チャールズ・シェフィールド 創元SF文庫
 マッカンドルー航宙記の2冊目。前作と合わせて航宙記の完全版となる日本オリジナルの短編集であり、4編が収録されている。前作はぼく好みなぶっ飛びハードSFだったが、今回はちょっと大人しめ。びっくりするようなアイデアはなく、どちらかというと普通のSFである。天才科学者マッカンドルーと女船長ジニーの太陽系近郊宙域での冒険が描かれるのだが、敵にしろ味方にしろ、登場人物がまあテレビドラマのような、というかジュヴナイルのようなというか、そんな型どおりのキャラクターで、ある意味安心して読めるとはいえ、ちょっと物足りない。そんな中で「母来る」は少し変わっていて、こういうひねり具合は楽しい。本編と同じくらいの分量のある科学解説も、特別すごいことが書いてあるわけではないが、わかりやすくて、サイエンス・フィクションの読者を増やすにはちょうどいいように思える。巻末の訳者解説と、これは本当にすごい作品リストは、大変な力作で、訳者の熱い思いが伝わってくる。作者への追悼の意味もこめて、長編を出そうよ、創元さん。

『ある日、爆弾がおちてきて』 古橋秀之 電撃文庫
 「私、爆弾なんです」と言われたら、激しくヴァーリイを思い出すのですが(まあ訳者なもんで)、本書はごく普通のボーイがまったく普通じゃないガールと出会う、ボーイ・ミーツ・ガールなお話が7編収録された短編集である。まあ、いかにもライトノベルだし、表紙もイラストもおじさんには気恥ずかしいし、すごいSF的なアイデアがあるわけでもないし、でも(後書きではっきり図解してあるのだが)すべて、男の子と女の子の時間の進み方が異なっているという、実に本格的にSFな物語なのだった。時間が停止したり逆行したりループしたり、さらには乗り換えたり飛び乗ったりという、こういうのはいかにも技巧的なアイデアストーリーになりがちなのだが、作者はボーイ・ミーツ・ガールの基本に忠実に、ほんのりと甘酸っぱい感傷を醸し出しながら、素直でストレートな物語を作り出している。集中では、記憶の逆行が風邪と同じくらいに普通に起こる世界を描いた「おおきくなあれ」と、時間の進み方が60億分の1となった少女との恋を描いた(これも激しくティプトリーを思い起こすのだけれど)「むかし、爆弾がおちてきて」がとりわけSF的で印象に残った。

『脳のなかの幽霊、ふたたび』 V・S・ラマチャンドラン 角川書店
 講演をもとにした本ということで、とても読みやすい。内容は『脳のなかの幽霊』とほぼ重複するが、いくつか新しい知見も含まれている。本書では特に、芸術の起源を脳科学で解明したり、「自己」や「自意識」が一種の錯覚に過ぎない(いや、過ぎないというには凄すぎるのだけど)といったことが書かれている。自意識というのは脳の勝手な行動を後付けで解釈しているようなものだとか。なるほど。でも自分は自分だよなあ。自意識って、自分では確かにあるような気がするのだけど、単なる気のせいなのか。

『血液魚雷』 町井登志夫 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 映画ミクロの決死圏のように、まるでミクロ化して人間の血管の中を航行するかのように3Dの映像を表示できる医療装置アシモフ。血栓を起こした患者をこの装置で検査した放射線科の女医が発見したのは、血管の中をあたかも意志を持つ魚雷のように超高速で動き回る謎の寄生虫だった。この「血液魚雷」とアシモフとの追いかけっこ、深まる謎、患者の夫は主人公の女医の昔の恋人だったなど、つかみは十分。病院の描写などはとてもリアルなのだが、アシモフの開発業者の描き方などには、『爆撃聖徳太子』などを書いた著者らしさが出ている。血液魚雷の挙動など、とても興味深くて読ませる。患者と女医の人間関係など、ちょっとうざったいところもあるが、まあ許容範囲。でも、なかなか話が進展しない。謎はなかなか解けず、結末にいたっても、あんまりカタルシスがない。これはこれでアリだとは思うが、あっけなさすぎるというか、ずいぶん大人しい結末である。もっとSF的な大風呂敷を広げて欲しかったという感じだ。

『沼地のある森を抜けて』 梨木香歩 新潮社
 化粧品メーカーの研究室に勤める独身OLのところに、それまで世話をしていた叔母が亡くなったのでと持ち込まれた、一族に代々伝わるというぬか床。これがやばい。おいしい漬け物ができるのは良いが、世話をさぼるとうめき出すし、卵を産むし、そこから得体の知れない人間もどきも現れる。というわけで、始まりはどことなくユーモラスなファンタジーかホラーのようだが、主人公が理科系なので、これがお決まりのオカルト方向には向かわない。ファンタジーには違いないが、生物の進化のあり得たかも知れない一つの形を示し、本格SFの味わいをもたらす。挿入されているもう一つの物語もいい。テーマ的には『ハイドゥナン』とも通じるところがある。傑作である。


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