みだれめも 第188回

水鏡子


●鳥のはなし
 こどものころ、街中でみかける鳥の種類はずいぶんと限られていたし、また生息している場所も種別にきれいに分かたれていた気がする。人の住まいの軒先にはつばめが巣をつくり、道端、地面にすずめたちが集団でたむろし、公園や陸橋その他の高層地には鳩が意外と鈍重、傍若無人に群れ集っていた。これに加えて、空の上でとんびが輪をかくことがあり、たまさかカラスがうろつくのとを目にしたような記憶があるが、この2種については北に広がる山すそから、昼間だけ人いきれの街中に出張ってきていた印象だった。それこそ、「山にかわいい七つの子がいる」世界だった。
 小学校三年生のときに、親の転勤で神戸市から播磨地方に移り住んだ。いままで旅行のときの列車の窓から見ることしかなかった田んぼが周囲に広がるようになったが鳥に対する印象にはそれほど変わりはなかった。河原なんかでひばりの鳴き声はよくきいたけれど姿はあまり見た記憶がない。ただ、田んぼにときおり飛来する白鷺の優雅さは子ども心に強い印象を残した。
 そういう風景がいつごろから変化したのかよくわからない。気がつくとすずめの群れを見ることがずいぶん少なくなった。見ても昔みたいな大きな集団ではない。考えてみるとぼくの記憶の中のすずめたちは、いつも土の地面にいる。アスファルトの道路にたむろしている印象はない。そしてすずめのかわりに昔は見かけなかった何種類かの鳥の集団が田んぼや道端にいるようになった。開発で山を追われたのか、街中の方が食い物に不自由しないのかよくわからない。いずれにしてもじぶんたちより大柄な小鳥たちに縄張りを侵食されて一番割りを食ったのがすずめたちでないかと思う。
 カラスが街鳥と化し、跳梁跋扈している。つばめ、すずめ、鳩のように棲み分けるわけでもなく、ごみ捨て場などを餌場としながら好き勝手にうろついている。つばめが減っている理由の中には、雛をカラスから守れないといった一面もあるのかもしれない。
 そして鳩だけは変わらない。あっちこっちで繁殖しては糞公害で周辺住民を悩ませ立ち退きを食らっているけれど、なんといっても平和の象徴である。カラスみたいな弾圧をうけるでもなく、変に人間ずれしながら、鈍重・傍若無人に生き長らえている。

○『イリアム』★★★
 漫画じゃん。
 結局シモンズのやりたかったことって第63章のシーンを書きたかっただけとしか思えない。
 かっこいいけど、2000枚読んできてこれかよと思った時点で脱力感に襲われた。
 物語が軽い。いや、物語というより<世界>が軽いというべきか。
 単純に物語としてみれば、<エンディミオン>の方が軽い。けれども<エンディミオン>の軽さは、<世界>の重みを<ハイペリオン>に委ねたうえでの軽さだ。心地いいまでの疾走感があった、
 『イリアム』では、冒険活劇とSF及び文藝趣味に淫する著者のファン気質の盛り上がりが先行するなかで、作品の重みに即した辻褄合わせを目的に世界設定がなされているように見えるのだ。
 なにより、これは福井晴敏『ローズダスト』で言ったところと共通するけど、どう考えても偶然の賜物で切り抜けた結果の積み重なりの結果のクライマックスが、神の見えざる手によるあらかじめ定められたシーンとしか見えないところに収束することに、説得力に欠ける面がある。
 風呂敷はでっかいけれど、本質的にはご都合主義的冗談SF。余技的気分が随所に感じられる。
 それでもこのレベル、この面白さ、このヴォリュームというところに、シモンズのすごさがあることは認めよう。
 それにしてもあざとい。各章の終わり方がとにかくあざとい。あざとさに関してはシモンズの作品中でも屈指といえる。同時にこのあざとさが作品を軽くしている一面がある。

●鳥のはなし
 職場の窓の外で鳥の叫び声がする。鳴き声というより叫び声である。あんまり長々と続くので、窓から見てみるとカラス2羽が取っ組み合いの大喧嘩である。少し離れたところで、もう1羽のカラスが喧嘩の様子を見ている。様子を見ているカラスをめぐる争いか、それとも縄張り争いかどちらかだろうと思うけど、意外だったのがその喧嘩の仕方。
 翼を使った飛んだり跳ねたりではなくて、完全な肉弾戦なのだ。片方のカラスがもう一方に馬乗りになって、両肩というか翼のつけね部分を完全に地面に押しつけ、フォールダウンの体制。
 めったにみられない光景に感動した。

○『デス博士の島その他の物語』★★★☆
 記憶のなかで美化された部分もあるけれど、「ケルベロス第五の首」(表題作)はウルフのなかでも群を抜く傑作だったような気がする。多義的な解釈が美しく調和を保ち、完璧な視覚的効果と相まって奥行きのある物語世界を作り出していたように思える。
 ウルフは本質的にアイデア・ストーリイ作家であるのだと思うようになった。ただし、物語世界を見せることに傾注する過程の中で、作り上げられる世界は、あくまで<世界>を見せる物語と化し、アイデア・ストーリイとしての構造は失われ、著者の真意を測りかねる仕上がりとなる。昔、なんかすごそうに思えた「アイランド博士の死」、何十年ぶりかに読み返した印象は、「ケルベロス」と比較して、物語の奥行きが二層ほど足りていない、明晰である分、世界と物語の不具合がなんとなく見えてくるような不安定感だった。
 見る、見せるという行為には、コミュニケーションの要素と同時にコミュニケーションを拒否する要素がある。見せるという行為は、一定の距離以上に近づかれると、破綻が生じる関係性なのだ。5感のなかで、聞く、嗅ぐ、味わう、触ると決定的に異なる、見ることだけの持つ特異性である。読むという行為も、この五感のどれか、いくつかをヴァーチャルに再現するわけだけど、ウルフの小説は、極端に見る見せる小説に特化している印象があり、それがとっつきの悪さの源でないかと思ったりする。

○『グリフォンの卵』★★★★
 やっとウルフを読み終えて、『グリフォンの卵』を読み出して愕然とした。小説がへた。というよりウルフはうまかったんだなあとあらためて思った。でも読んでるうちにだんだんと雰囲気に親和していく。ウルフが見る小説なら、スワンウイックは触れる小説。表題作は長い分だけとっちらかってやや不出来。SF的設定とファンタジイ的設定か混在するけど、どの作品にも永遠の場所的なものへの憧れが満ち溢れている。ユートピア、時空から隔絶した世界、神話的原型世界。ファースト・コンタクトものでさえ、異生物自体が生物化した<永遠存在>の趣がある。

●鳥のはなし
 めったにみられない光景といえば、通勤途上の同じ田んぼのなかに白鷺とカラスがいっしょにいるのをみかけたときもちょっと感動した。なんといっても「烏鷺合戦」とか「烏を鷺と言いくるめる」とか昔から言いまわされるふたつの鳥が、現実にいっしょにいる風景は、思いがけないものだけに見て得した気分になった。

○『ベータ2のバラード』★★★☆
 採点は個々の短篇の集計として。NWSF短編集と言われるとちょっと疑問がある。

○タカノ綾
 『Tokyo Space Diary』★★★
 『Hot banana fudge』★★☆
 『SPACE SHIP EE』
 SFマガジン連載の「飛ばされていく行く先」に惹かれて古い本もまとめて購入。「飛ばされて」が半分しか入っていないのが残念。コミックはそれなりに楽しんだけど、先に「飛ばされて」を読んで馴染んでなかったら読むのがつらかったところ。

●鳥のはなし
夏の夜の10時過ぎくらいと思う。信号待ちをしているとピイチク小鳥の声がする。盲人用に鳥の鳴き声を流しているのかと思ったが、青信号と連動しない。よくよくみると晧晧と照らす頭上の信号灯の周囲に10羽近くの小鳥が集まっている。
 おいおい鳥目の生き物がこんな時間に起きてていいんかい、と思わず突っ込みをいれてしまった。
 考えてみると、信号灯のまわりは明るいし(ただし一歩離れると真っ暗闇だ)、光に誘われて虫もいっぱい寄ってくる。まあ理屈はわからなくもないけれど、排気ガスを一晩中思いっきり浴びながら宵っ張りする小鳥というのは、人生じゃないや鳥生的にいかんのじゃないかと思ってしまう。最近の若い連中は、と小市民的モラルを抱える僕だったりする。

●パチンコの話
 三月四月とほぼ2ヶ月、エヴァ三昧の生活で、レア・パターンもだいぶ見尽くし、唯一心残りだったのが、ホールのエヴァ系景品類だった。どうも関西では「冬のソナタ」や「吉宗」「北斗の拳」といったとこしか見当たらない。で、5月にSFセミナーで行った東京で、やっとみつけて勇躍戦いを挑んだのだけど、旅先の散財気分も手伝って、五万円ぶちこんで玉砕した。さすがに反省した。
 この大愚行で、やっと我にかえって、エヴァ・オブセッションから開放された。自由になった。
 自由になってどうなったかというと、いままで見向きもしなかったいろんな機種に興味が出てきた。(おいおい)
 実際、最近のパチンコの演出はこのところとんでもなくレベルアップしており、リーチ予告、リーチ・パターン、確変、チャンスタイム・モードなどあらゆる部分で趣向を凝らし、単調なものが少なくなった。たとえば「冬のソナタ」などフィーバーするとドラマのあらすじが流れるのだけど、流れるあらすじが連続大当たりのたびに1話2話と進んでいく。最終話までみようとすると、26回大当たりを続けなければいけないわけだ。
 困ったことに調子が悪くない。東京の散財分も帰ってきて2週間くらいで取り戻してしまった。もっとも絶好調というわけでもない。四月ころは勝って勝って散財するといった状態だったのが、最近は、負けて負けて取り戻すという流れに、いずれは負けて負けて「取り戻せない」状態に移行するのは目にみえている。それでも、半年にも及ぶ長期間、長時間パチンコに費やして、トータル数万円負けているかという状態は長い人生でもはじめてで、本も読まずにうつつを抜かしておりまする。
 反動というのは面白いもので、ここ数ヶ月、エヴァの台には座るのもいやになっている。メインは「花満開・煌」という機種で大当たり時に流れる歌を暗記してしまったほどだけど、もひとつ出が悪くて最近ほとんどの店から撤去された。その他、遊んだ主な台は、キャラクターものだけあげてみても「ジョーズ」「冬のソナタ」「インディ・ジョーンズ」「サンダーバード」「フレディ&ジェイソン}「ガメラ」「ゲゲゲの鬼太郎」「真・三国無双」「電車でGO!」「ビックリマン」「新・影の軍団」「探偵物語」「スーパー・ジェッター」「水戸黄門」「エースを狙え」「子連れ狼」「浮浪雲」「男一匹ガキ大将」など。ちょっと古めなところでは、「ルパン三世」「俺の空」「タイムボカン」「怪物くん」「赤胴鈴之介」なんかもあった。
 うーむ。書き出してちょっと愕然としているのだけど、ここに並べた機種に関してどれも最低1回以上大当たりを拾っているわけで、かけた時間がなまはんかでないことをあらためて実感した。
 攻略雑誌はわんさかでているけれど、毎年発表される機種を一覧にした、ヴィジュアル満載の年鑑本というのがほしいなあ。それなりの文化だと思う。

○『EVA2nd 完全ヴィジュアルブック』辰巳出版 ★☆
 『新世紀エヴァンゲリオン セカンドインパクト プレミアムボックス』辰巳出版 ☆
 『熱血攻略 エヴァンゲリオン セカンドインパクト 第二次攻略報告』スコラマガジン★☆
 『パチンコ攻略マガジン増刊 ヴァンゲリオン セカンドインパクト 永久保存版』双葉社 ★


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