内 輪   第196回

大野万紀


 もう2007年が来てしまうわけですが、時間というのはまったく変化がないように見えて、突然大きく動いてみせる、そういう働きをするようです。THATTAの例会も十年一日のごとく続いてきたわけですが、ある日突然、いつもの喫茶店が閉店している。まあ、入居しているビルが立て替えになるので、だいぶ前から、いずれこの日が来ることはわかっていたはずなのですが。大阪梅田の富国ビルの喫茶店トレビが閉店し、おっさんたち、おばさんたちはうろうろとしたあげく、急遽別の喫茶店に目をつけたわけですが――これでまた長期安定するものかどうか。でも、もうみんな動き回るのは面倒だから、このまま安定するんじゃないかなあ。とりあえず、泉の広場の泉のテラスという店です。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『きつねのはなし』 森見登美彦 新潮社
 京都を舞台にした、ゆるやかにつながりのある連作短編集。骨董店、謎のケモノ、キツネの面、龍の根付けといったつながりはあるのだが、それぞれ独立した話として読める。SF的でにぎやかだったこれまでの作品と違い、とてもオーソドックスで端正な幻想小説、あるいは怪談集である。怪談といっても、怪しげなものは現れるが、それは古都の路地や祭りの喧噪や、そのような雰囲気の中で立ち現れるのであって、おどろおどろしいものではない。現代の学生たちが主人公なのだが、この雰囲気の中では、明治から現代までの時代は混交し、古都の時間に埋もれてしまう。収録された4編はいずれも印象深いが、中でも「果実の中の龍」と「水神」がいい。とりわけ「果実の中の龍」は物語の構成がミステリ・タッチで、ある種のどんでん返しがあり、面白く読んだ。「水神」に出てくる古い家の怪異も雰囲気があっていい。

『マルドゥック・ヴェロシティ 1〜3』 冲方丁 ハヤカワ文庫JA
 すごくかっこいいじゃないか。『マルドゥック・スクランブル』の前日談にあたるこの3分冊は、ウフコックの以前の使い手ボイルドが、ウフコックと出会い、パートナーとなり、やがて虚無へと落ち込んでいくグロテスクな悲劇の物語だ。フォーマットはもろにアメコミ――個性溢れる無茶苦茶な超人たちが集団で戦うところはXメンを思わせる――または、そのCGを駆使して映画化されたものという感じだが、本当に活字でそれを実現できようとは。そのために採用された文体――シナリオというか、コンテというか、正直なところ小説の文体としては違和感が大きく、慣れるまではかなりしんどかった――が、まさに超人たちの、しかも集団での動きを、速度を、ヴェロシティを直接たたき込んでくる。圧巻は09とカトル・カールたちの入り乱れるこれでもかというくらいの激しい戦闘シーンだ。前作のカジノのシーンと同様ののめり込み方で、この超人同士のあり得ない戦闘が描かれる。1対1や、せいぜい数人の戦いなら同じように迫力ある戦闘シーンを書ける作家は山ほどいるだろうが、敵味方の十数人がそれぞれの技や個性を発揮しながら入り乱れて戦うんだよ。すごいよ。しかし、物語が後半に向かうにつれて、本書のテーマである虚無の力、都市を覆うおぞましい闇が力を増してきて、読むのが辛くなるようなきついエンディングへと向かう。作者後書きで、ほとんど失踪状態で、魂を絞り出すような体験をしながらこの部分を書き上げたと書かれているが、ほんと、読む方もきついよ。プロローグが本当に虚無からの解放だったのだな、と納得する。まさにマンガ的な超能力を持つ超人たちのスーパーバトルというエンターテインメントのフォーマットで、こんな話を書いちゃうんだから、恐ろしいよ。

『僕たちは歩かない』 古川日出男 角川書店
 絵本のような作りの、すごく短い物語。例によって、東京の、山手線の話。シェフを目指す若い調理師たちの話。若い調理師たちと、高名な絵描きの話。終電車の止まる駅を2分間だけずらしたり、目の片隅で信号機を見たり、そういうちょっとした技により、2時間よぶんな時間を持つ、26時間制の東京に入り込むことができるのだ。彼ら(僕たち)はそうやって出会った。よくあるファンタジーだともいえる。こちらとちょっとだけ違う、もう一つの世界。作者の他の作品にも良く出てくるモチーフだ。しかし、後半、そういう異界の東京を結ぶ山手線が、ほとんど鬼太郎の魔列車と化し(あるいは「千と千尋」の海を走る電車か)、冥界への旅が始まる。表題は、この時の決められたルールの一つだ。とはいえ、あちら側は「僕ら」にとって、少し便利な〈場〉としての意味しかなく、主体はあくまでもこちら側にある。ま、こっちが24時間なのに対して、あっちはプラス2時間だけだからなあ。冥界というのがちょっと唐突なのだが、それも時間が大きくずれている、と理解すれば同じ異界の続きにあるのだとわかる。でもちょっと話が短すぎるし、前半と後半はほとんど別の話だし、幻想の質が作者にしてはありきたりにすぎる気がするし、読んでいる内は気持ちいいのだけれど、やっぱりもう一つ物足りないかなあ。

『僕僕先生』 仁木英之 新潮社
 日本ファンタジーノベル大賞の受賞作。唐の時代の美少女仙人と彼女に振り回されるニートな青年の、のほほんとした物語。というか、そのまんまな話で、この美少女仙人が、かなり謎めいていて、はっきりしたことを語ってくれないものだから、天界までもひとっ飛びするようなスケールの大きな話にもかかわらず、結局何が起こっているのやら、何が語られているのやら、よくわからないままに終わってしまう。まあ、青年もちょっとは成長しているのだけれど、何でこんな大物の仙人(でも美少女)に気に入られてしまったのか、本人にもわからないし、読者にもわからない。どうやら作者は小説として物語を語ることよりも、中国の神仙たちのエピソードをあれこれ語って楽しみたかっただけではないかと思えてくる。まあ、それもいいけどね。エピソードのつながりはあまり見えてこず、地上を歩いても、仙界を飛び回っても、同じようなペースでののんびりとした会話が続く。確かに僕僕先生は魅力的だけどね。


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