内 輪   第204回

大野万紀


 暑い夏です。読みたい本は溜まっていくのに、全然本が読めません。おのれ、こんなはずではなかったのに、ページをめくっている内に、意識がどこかへ飛んでいきます。セミの声ばかりがうるさい。というわけで、今月は3冊のみとなりました。
 しかし、セミといえば、本当にやつらの声はけたたましい。昔はそれほどでもなかったと思うのに、今や大阪のセミはほとんどがあのシャーシャーとうるさいクマゼミに占領されてしまったようです。ぼくらがまだ学生のころには、まあ六甲山の近くだったからかも知れないが、アブラゼミやニイニイゼミ、そしてミンミンゼミがけっこう優勢だったように思うのですが。最近読んだ記事によると、そのクマゼミが今度は東京へも進出しようとしているようですね。東京はまだまだアブラゼミが優勢のようですが、ぐんぐんと増えてきているとか。これも温暖化のせいなのか。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『サムサーラ・ジャンクション』 ジョン・コートニー・グリムウッド ハヤカワ文庫
 グリムウッドの長編初紹介だが、何というか、評価に困る。筆力はある。特に生理的な痛みや嫌悪感を伴う残虐描写、バイオレンス描写は、読んでいて気分が悪くなるくらい凄い。だけど、ストーリーはわかりにくく、世界観はさらに謎めいている。本書の世界はナポレオンの帝国が存続している別の時間線の22世紀を舞台にしているのだそうだが、そんな世界にどうしてホンダやボーイングやソ連や韓国やIMFがあるのか。現在から続く22世紀と普通に考えた方がまだ理解できる。そして巨大な難民収容所と化した宇宙コロニー、サムサーラ。テロ、内戦、虐殺、難民といった現在の第三世界の悲劇が集約しているこの世界が、何で宇宙コロニーである必然性があるのか。ハードSF的には突っ込みどころ満載だが、それはまあ重要ではないだろう。それより何より、主人公が一体何をしているのか、さっぱりわからない、というか主人公自身にもわかっていないのだから、仕方がないか。痛いバイオレンス描写の迫力と情け容赦のなさばかりが印象に残る。

『輝くもの天より堕ち』 ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア ハヤカワ文庫
 ティプトリーの第2長編。こんなにも美しく読みやすい話を読むのに、どうしてすんなりと頭に入ってこないのだろうか。どうも自分はミステリが苦手だという意識があるようだ。物語は典型的な、しかもかなり古風なミステリのスタイルをもっている。孤立した、互いによく知らない客たちのこもるロッジ。事件が起こる予感。犯人と被害者、恐ろしい展開、探偵役(たち)の大活躍、解決と、さらなる余韻。その上に、これまたすばらしく古典的な宇宙SFの設定がかぶさる。星の破壊や異星種族の悲劇といった宇宙的な惨劇がその背景にある。そして、そういったまるで50年代のジュブナイルSFのような物語に、真にティプトリーらしい、老いと死への賛歌が、しだいに高まりながら奏でられる。そうか、違和感の原因はそこだったのかも知れない。このテーマはどちらかというと唐突に現れる。若くて元気なスーパーボーイの活躍に目を奪われているうちに、突然露わになり、そして他のあらゆるテーマを覆い尽くし、最後には浅倉さんが訳者後書きで書いているように、その迫力と感動に圧倒されるまでに至る。ぼくらは当然そこにティプトリー本人の姿を見てしまう。感動的であると同時に、その境地には反発を覚える部分でもある。それにしても、古風で上品な、モラルと美意識に満ちた作品である。善と悪がはっきりと明確に存在し、まるで往時の手塚治虫のような、愛と死の賛歌を歌い上げる。いつものティプトリーのエッジのきいた悪意やアイロニー、押しつけのモラルへの反感は影を潜め、古風な、古き良きアメリカの美意識が全編を覆っている。老いたティプトリーが子供のころに読んだ、読みたかったSFとは、こういうものだったのかも知れない。

『ゴーレム100』 アルフレッド・ベスター 国書刊行会
 何とか読み終えたよ。原書でもわけわからなかったけど、翻訳でもやっぱりわけわからない。でも、あの原文をここまで翻訳できるという、訳者には本当に脱帽だ。すごい。本当に、とってもすごいんだけれども、やっぱりこれって無茶苦茶な話だ。20年以上前に原書で読んだときもあじゃじゃと思ったのだが、今日本語で読んでもうじゃじゃだ。表面的なストーリーは未来のスプロール化したニューヨークで有閑マダム(死語?)たちが悪魔召還をやって、ゴーレム100(ゴーレム100乗。ゴーレム**100)が現れ、おぞましい奇怪な殺人事件が続発。今をときめく香水デザイナーで二重人格の日系のハカセ、シマと黒人美女の精神工学者グレッチェン、そして神秘的な警察のインドゥニ隊長の三人が、それぞれの理由で事件に巻き込まれていく。そして、ちょっとネタバレになるけれど、ゴーレム100というのはいわゆるイドの怪物で、こちらの世界とは別の精神世界、今風にはバーチャルリアリティとリアリティの狭間みたいな世界の住人であって、その上、クラークみたいな新人類テーマが被さってくる。というわけで、(面白いんだけれど)ネタ的にはよくあるSF(今じゃアニメでもおなじみ)なのである。でもそれをストレートに描いたら、面白いB級のエンターテインメントなハードボイルドSFになっただろうが、それじゃあベスターのSFにはならない。そこでベスター・スタイル。これでもかという猥雑な未来語の羅列とどぎつい風俗描写とスピード感。ジャック・ゴーハンの内宇宙描写のイラスト付き。それってすごいとは思うのだが、げっぷが出る。単なる悪趣味となってしまう。もちろん表層の下には様々なブンガク的蘊蓄やあれやこれやがあるのだろうが、あんまし興味ないし。


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