続・サンタロガ・バリア  (第69回)
津田文夫


 12月はヘヴィな出来事が多くて完全に凹んでた。忘年会で京都に行けたのが、唯一の救いだったな。皆さんお世話になりました。

 最近のシングルを聴いて、なんとなく期待がもりあがらなかったBUMP OF CHICKINの新作「orbital period」は、意外といい感じに仕上がっていた。収録されたシングル曲がシングルで聴いていたときよりもしっくりと他の曲の間に収まっている。バンプはここ数年、プラトー状態だったような気がする。わずかずつ変わっていってはいるのだろうが、2枚目のアルバムを出すまでの頃の新鮮な勢いが新曲に感じられなくなっていた。でも新作を聴いて、生真面目さがマンネリ的なスタイルを決して手放さずに前進することを可能にしているという気がしてきた。付録の絵本もそのような印象を強めている。もうしばらく付き合うことができそうだ。 

 牧野修『ネクロダイバー 潜死能力者』はタイトルからすると夢枕獏かという感じだが、読んだ感触はずっと軽くて、いかにもこの作者らしい手堅いエンターテインメントになっていた。もっと凄惨な話に持っていける題材だけれど、軽く流す方向で物語を作っているので、おもしろく読める代わりに強く残るものもない。おもしろさに欠けるところはないのでこれでいいんだろう。

 奇想コレクションで3冊目のスタージョンは若島正編『[ウィジェット]と[ワジェット]とボフ』。久方ぶりに「帰り道」を読んで、ああこんなによくできた話だったのかと新鮮な感銘を受けた。またすぐに内容は忘れてしまうだろうけれど、その感銘だけは残るだろう。「午砲」以下表題作までどれもたしかに編者のいうスタージョンらしさにあふれていると思うけれど、ある意味スタージョンを読む楽しさという点では、ちょっと一方の極に偏りすぎている印象もある。これだけ立て続けに短編集がでてくれば、スタージョンの何が凄いのか何が読む者を惹きつけるのかがある程度認識されるわけで、その中で若島正の見るスタージョンらしさを強調されると、「文学の偽物」というレムの批判が当たっているところがあるのではないかという気もしてくる。そういう点でも若島セレクトは強烈といえるか。

 積ん読になっていた神林長平『敵は海賊・正義の眼』を読んでしまう。ヨウ冥に託していかにも神林らしいアクロバティックな論理で進む主筋が魅力的だが、十分に発展させたとはいいがたく、もうすこし物語を紡ぎ続けてくれたらよかったのに、と贅沢な不満がでてくる。ラテル、アプロ、ラジェンドラの漫才にはあんまり力が入ってなくて、ちょっとマンネリだな。

 アレステア・レナルズ『銀河北極 レヴェレーション・スペース②』は①に続いて割とおもしろい短編集。「時間膨張睡眠」という初期作は見所のあるSF作家の作品であることを伝えている。どの作品も登場人物がヒネていていかにも現代SFという感じ。「ターコイズの日々」や「ナイチンゲール」を最後まで読むと、ああそっちにいくのかっていう終わり方でそれなりに驚かせてくれるしね。「銀河北極」はスケールインフレな話でおもしろい。ところで「銀河北極」という字面は山村暮鳥とか吉田一穂(または山田ミネコ)を思い出させるなあ。「銀河極北」なら普通だけど。

 長い時間かかって読み終えたアラスター・グレイ『ラナーク』は奇妙な印象をもたらす作品だった。第3部、第1部、第2部、第4部とならべて、かならずしもその役割を果たさないプロローグやエピローグをおいたり、企みの強烈さが胸にもたれるくらいこれでもかと投入されている。1部2部が悲惨といえば悲惨な、オーソドックスな成長物語で、その伝統的なリアリズムは読ませるけれども、SFっぽい3部と4部に挟まれて、何でそんなものが書かれなくてはならないのか読んでいる間ずうっと疑問を持たされるし、作者もそのように促す一文を作中に放り込んでいて、うかうかと物語に乗せてくれないのだ。ラナークというのは3部4部の主人公の名前だが、1部2部で子供時代から失意の青年時代までが描かれるダンカン君も、外枠であるラナークの世界では、ダンカンの話はラナーク自身の物語とされているのだ。こんなことを説明してもなにもならないが、その奇妙さを思うとつい説明したくなるのである。小説の幸福はマルケスを読めばわかるが、『ラナーク』が小説の何を表しているのかは今のところ不明だ。


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