日本全集SF・総解説
Notes on the collected works

フヂモト・ナオキ


第一回配本 『辻まこと全集』

 というわけで、日本「全集SF」・総解説のはじまりである。←ザッタ前号参照。

 全集といっても案外、傑作集だとか代表作集だったりすることも多いが、偉い文学者の全集となると、一応、断簡零墨まで集めようと編者の人ががんばってしまったりする。それがどれぐらい実現しているかは議論の余地があるが、そーゆー看板を掲げていると勢い余って本当なら無かったことにしたい文章(?)まで拾われてることもある。例えば子供のころの作文。
 芥川龍之介が子供の時に書いた押川春浪の模作が残っていて全集に入っていることは、知ってる人は知ってたんだろうが、古典SF研究者の間で話題になるようになったのは恐らくSF乱学界最強のリサーチャーのMさんが気づいてからのことで、それについては横田順彌氏が<日本古書通信>で確か芥川春浪といった題で紹介されておられたかと思う。
 ものにもよるわけだが、最近とかく場所をとるってんで、敬遠されて叩き売られたり潰されたりしてしまいがちな「全集」という資産の活用を、ってのがこの連載のコンセプト。
 もっとも実際やることは、図書館へぶらりと立ちよって、なんかヘンなことが書いていないか、書架に並んでいる全集本をパラパラめくってみるだけのつもりなので、余程、凄い題名がついていない限り、SFが載ってても、気づかずに通り過ぎてしまうことになるとは思うが、まあそれはそれということで。

『辻まこと全集』5巻+補巻、みすず書房、1999年〜2005年。

 本家、『日本SF全集・総解説』の著者、日下三蔵先生に敬意を表してまず最初は今日泊ネタということで、辻まこと(1913〜1975)を取り上げる。辻まことの親が辻潤(1884〜1944)。で、その近場に武林無想庵(1880〜1962)とか山本露葉(1879〜1928)とか水島爾保布(1884〜1958)とかがいたわけですな。
 因果は巡り、その下の息子連が山本夏彦(1915〜2002)に今日泊亜蘭(1910〜)に辻まことなわけで、次の世代でもちゃんと交流があるんだよねえ。

 今日泊先生に関しては峯島正行『評伝・SFの先駆者今日泊亜蘭』青蛙房、2001年という伝記がある。思い切って踏み込んでいるようでも、相手が悪すぎ。かなりはぐらかせられてるね。と、外野にいるので偉そうなことはいえるが、本人が前にいたら当然びびって、何もいえません。その今日泊先生が小僧扱いしていた星新一の伝記がどどーんと出てしまった今日、SF史に引き寄せて書いてしまったぶん値打ちが下がった感はいなめないが、まあ、今日泊亜蘭入門の基本書としての地位は揺るがんのだが、この本で違和感があるのは、他の人物が筆名で登場しているのに、辻まことだけが本名(=漢字)表記(辻一)されてるところ。謎な気がするが、気になりません? まあ、柴野さんも本名が優先されていたけどね。

 さて、辻まことのイラスト自体、SF的な面白さがあるのだが、全集補巻には辻が今日泊作品につけた挿絵「素晴らしい20世紀」「スパイ戦線異状あり」「秋夜長SF百物語」「しかし、宇宙戦争は続いている」「古時機ものがたり」が収録されている。さらに『砂ばくの秘密都市』のイラストも収録されているのだが、作者名をH.G.ウェルズとするマヌケなミスが。5巻の年譜にはちゃんとベルヌとあるのにねえ。
 この補巻に収録された<オール読物>昭和38年1月掲載の「独特の人」は「SF作家今日泊亜蘭こと水島太郎ミナモトの行衛なる人物はわが詩誌「歴程」では宇良島多浪と称する異才である」とはじまる今日泊先生紹介の一文。「寸志洞奇談、ドクターコボルトなど戦前書いて印刷されなかった千枚を越す大長篇はどうなったろう。戦後三田文学に「朝のタマゴ」という圧縮の利いた超短篇を発表したが、ショート流行以前だったから黙殺されてしまったようだった。」
 ショートショートを略してショートとかいってたんですか。この文章は全集を見て書いていて、雑誌まで溯って確認していないので、題や掲載号が間違ってたり、収録時に改竄されてても知らないけど。
 しかし、そんな大長篇があったのか。どんな話なんだ。って、全集の1巻に「光の塔の作者」というほぼ同時期に<歴程>に発表した同主旨の随筆があって、そっちが峯島本で引用されとるがな。
 殷の紂王の墓から考古学者が発掘したミイラが雷鳴で復活するってのが前者、話しが現代からどんどん溯ってエジプト十八王朝までいってしまうのが後者の筋立てだというが、峯島氏がたずねたら実際には完成してなかったのを辻がふくらませて紹介しているんだという答えだった模様。
 ところで、北杜夫は<三田文学>1995年春号に発表した「同人誌の頃」というエッセイで<文芸首都>のことを書いていて、そこでは今日泊亜蘭について「彼はおもしろい人で、水島という名で「首都」の小説評を書く。構成何点、文体何点というふうに数字で現わして総合点をつけるのである。ところがこれが会員の間で不評だと、また筆名を変え、「前任者不評につき、今回から小生が書かせて貰います」などと記すのだが、文章が個性的でそっくりだから、たちまち同一人物とバレるのであった。」などと書いている。
 いつか、<文芸首都>を通読して今日泊先生のメッタ斬りぶりを拝見したいねえ。
 ところで『光の塔』出版記念パーティの芳名録とか式次第とかは残ってないんすかねえ。『草野心平日記』にもちゃんと「五時半から山水楼、今日泊亜蘭の会。」とか出てるんだが。


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