続・サンタロガ・バリア  (第71回)
津田文夫


 先月に続いてオケを聴いた。大植英次率いる大阪フィルでラヴェル「道化師の朝の歌」、「ラプソディー・イン・ブルー」ソロはジャズの小曽根真に「幻想交響曲」だ。広島交響楽団に較べると音に重量感があってさすが。でも新日フィルのような柔軟性はないかも。ラヴェルはいかにも難しそうな曲。ガーシュウィンはジャズの本職を迎えてオケもちょっととまどい気味。延々と続くソロはどこで戻るのかオケの人も迷ってて、楽器を取り上げてはまた降ろしたりしていた。アンコールは自作曲をこれまた延々と弾く。指揮者はピアノの後ろで指揮台に腰掛けてた。ベルリオーズは各パートがよく聞こえる演奏。アンコールはエルガー「エニグマ変奏曲」から「ニムロッド」。いい曲だよね。ホールは珍しく満員。指揮者とコンマス長原幸太の地元だからな。

 ロックはマーズヴォルタ『ゴリアテの混乱』。前から一度は聴こうと思っていたけど、アメリカだしなァと敬遠していた。聴いてみたらなかなか良かった。ヴォーカルがいかにもヘヴィメタっぽくて好みじゃないけれど、時折ツェッペリンやイエスっぽいフレーズが出てきたりこの手の音楽としては全体的にポップだ。トゥールとシステム・オブ・ア・ダウンとドリームシアターを混ぜて70年代前半までのブリティッシュ・ロックのテイストを加えたような感じか。あとSHM-CDとかいう新素材のせいか音がうるさくない、というかスピーカーから出る音の後ろが静まりかえってるような印象がある。ジャズとクラシックのSHMリマスター盤を買ってみるか、高いけど。

 イアン・R・マクラウド『夏の涯ての島』が素晴らしい。「わが家のサッカーボール」もここで読むとその良さがよくわかる。SF的シチュエーションが作品内では日常的な叙情性を持って描かれている。表題作は当然として、平行世界と循環する時間の中で、というパターンをきちんと使いこなした「帰還」から、やや冗長に感じられるけれどもオーソドックスなSFになっている「息吹き苔」まで、どれも忘れがたい風景を作り出していて、キース・ロバーツやクリストファー・プリーストを生んだイギリスSFの一方の真骨頂といっていい。

 拾いものだった『移動都市』の続編、フィリップ・リーブ『略奪都市の黄金』は第1作ほどではないけれども十分に楽しい一冊。全体にご都合主義が物語としての詰めの甘さを見せているけれど、ジュヴナイルなんだからそこまで求めるのは酷だろうな。その意味では第1作の皆殺しの詩はジュヴィナイルとは思えなかったねえ。どうやら世代ものになるようで次巻以降は次世代の活躍が見られるらしい。ザンス・シリーズと違って4巻で終わるらしいけれど。

 橋本治にはだいぶご無沙汰していたけれど、小林秀雄相手に1冊書き上げたというので読んでみた。題して『小林秀雄の恵み』。基本的には『本居宣長』の小林秀雄を肴に、いかに小林秀雄といえども橋本治の器の中で語ればこうなるんだよねという本。 もちろん「恵み」なのでそのありがたさも強調されている。橋本治は小林秀雄と語るに当たって、小林秀雄が本居宣長と語らうためにその作品の冒頭で宣長の遺言を紹介してまずその遺言にまつわることを封印したように、小林秀雄の西洋かぶれについて封印する。モーツァルトもドストエフスキーも関係ない。ましてやランボーも中也も論外である。すなわち橋本治は小林秀雄を掌中にするために、古典とつきあう小林秀雄だけのこして、そのほかの小林秀雄のすべてに暗幕を降ろしてしまうのだ。国文の橋本治としては当然の行為だろう。だから掌中の小林秀雄を語り倒す橋本治は当然に面白い。強い橋本治は最強の小林秀雄にいっぱいハンデをかぶせて勝ってみせるのだ。高校生の頃読まされた『無常といふこと』の諸エッセイが「当麻(「たえま」ってルビが振ってある)」を軸にそんな風に読み解けるなんて、さすが橋本治!と思わせるところがミソだよね。

 円城塔を読むのにちょっと寄り道と蔵本由紀『非線形科学』に手を出す。数式を極力排除してですます調で書かれているので、読めることは読めるけれど、理解して読んでるかといえば、サッパリだ。最後に出てくるマンデルブローのフラクタルの話が一番親しみやすかった、というのが文系SFファンの悲しいところ。途中で少し出てくるカタストロフィー理論のルネ・トムの名前が懐かしい。

 で、ピンクの円城塔『Boy's Surface』は第1作よりも当方に心構えが出来てる分読みやすく、言葉とその指し示すものが、なんとなくわかるような気にさせられた。ボーイ・ミーツ・ガールな短編集といわれるとちょっと首をかしげてしまうけれど。どちらかというと孤独な感じのする片思いな物語に見える。表題作のエピグラフに表題の意味の重層性を示すことで読者に注意を促し、「Goldberg Invariant」はバッハの「ゴルトベルク(非)変奏曲」というパロディでエピグラフの「可数見計理/かす(ず)みけり」は字面と音の遊びがそのままタイトルにかえるというパターンを作る。こんな頭の中のアクロバットで埋め尽くされているように見える「Your Heads Only」もほとんど理解しがたいところだが、「Gernsback Intersection」になればタイトルのうれしさにわかるような気になってくる。ま、女の子の話だし(ホントか)。

 小川一水『妙なる技の乙女たち』を読んでて思うのは、有川浩と同じで人の悪について思いをはせることにあまり興味がないんだろうなということだった。それは別に欠点ではなくて、ここに並ぶワーキングガールな日本(系)の主人公たちが読者にもたらす心地よさに文句も出ないという美点になっている。内容はオビに書いてあるとおりで芥川賞や直木賞が想定している文学とは縁遠くても、楽しい空想は良いことだと思わせてくれるのは小説の効用のひとつだろう。舞台になっている場所は、シンガポール南方のリンガ諸島にあるリンガ山から伸びる軌道エレベータとその周辺。リンガといえば自動的にリンガ泊地が思い出され、戦艦大和がレイテ沖海戦に向かう前に3ヶ月にわたり停泊して訓練をしていた場所だけれど、たぶん関係ない。


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