続・サンタロガ・バリア  (第74回)
津田文夫


 うむ、忙しい5月であった。
 予約注文までして手に入れたケンペの1957年コヴェントガーデン歌劇場版ライヴ『ニーベルングの指輪』は、いまだ「ワルキューレ」第3幕にたどり着かない。まあ、音だけで聴く「ジークフリート」や「神々の黄昏」はあんまり面白くないので、あとはのんびり聴こう。昨年クラシックCD界の話題をさらったカイルベルトのリングはとうとう買わなかったが、ケンペとなればねぇ。昔ケンペのバイロイト・ライヴを買ったときは、あまりの音の悪さと場面転換を無視した盤替えに腹を立てていたが、このテスタメント盤はさすがにマトモだ。しかし歌詞カードをダウンロードして200ページプリントするなんて、バカにしている。おまけにトラックナンバーがミスプリだ。

 毎日眠い目をこすりながら、何か読めるものがあるかいなと思ったが、4月から5月のはじめにかけては、読みたい新刊がなかった。ということで、積ん読の中からエンターテインメントなものを見繕って読んだ。そのはじめがジョー・ホールドマン『擬態ーカムフラージュー』。なんか久しぶりに読むホールドマンだ。新刊で出たときは奥さんが読んで、願望充足小説だといっていたが、あのエンディングに持って行く過程がこれだけヘンテコだと、まともな筋運びを考えたように見えない。プロローグや敵役の設定から生まれてくるはずのダイナミックには興味がなかったらしい。いくらでも広がる話が、どんどんこぢんまりしていって、最後は「え、そんな話だったの」というところに解消されてしまう。まあ、エンターテインメントにはちがいないのであまり文句も出ないが。

 次に選んだのがニール・ゲイマン『アナンシの血脈』。2006年の奥付だ。ゲイマンといえば柳下毅一郎が訳した『ネヴァーウェア』がお気に入りだったし、それなりに期待して読んだ。半身/半神物語として凄く良くできたファンタジー。女(の子)が強いのもいかにもゲイマンだなぁ。エンターテインメント作家としてはゲイマンはホールドマンよりずっと腕前が上だ。だからといって『擬態』が品下がるかというとそれほどでもない。ベテランSF作家の筆任せ的な楽しさもそれはそれでいいものだ。それにしても作者紹介にも訳者後書きにも『ネヴァーウェア』への言及がまったくないのは解せんな。

 エンターテインメントということなら上の2作にまったく引けを取らないブリン『キルン・ピープル』を読むのに2週間以上もかかったということが、毎日眠気に襲われるほど疲れていた証拠だな。ブリンなんて読まなくなって何年経つことやら。これを新刊時に読んだ奥さんは結構お気に入り。まあ、ゴーレムと魂転写を出しといてSFもなにもあったもんじゃないが、それでも感触はSFデテクティヴ・ストーリーになっている。昔のブリン、たとえば『スタータイド・ライジング』あたりの印象しかない人間には、結構新鮮だった。マッド・サイエンティストの魂共鳴振動理論は結構笑わせる。1日だけの命しかない「俺」の意識がここまでドライに日常化している主人公はスーパーヒーローなんだが、「マヌケ」と呼ばれるだけのボケっぷりもなかなか良い。ヒロイン役がうまく機能していないのが惜しまれる。


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