内 輪   第220回

大野万紀


 1年があっという間に過ぎ去っていきます。これって要するに歳を取ったということなんでしょうね。たくさん読んでいた本も、読書スピードが落ちて、読める量がずいぶんと減っています。この連載の過去の回と比較してみれば一目瞭然。やれやれです。でも読みたい本はいっぱいあって、それがどんどんと溜まっていく。果たして追いつくことはできるのでしょうか。

 それではこの一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『時間封鎖』 ロバート・チャールズ・ウィルスン 創元SF文庫
 2006年のヒューゴー賞受賞作。ある日突然地球を謎の界面が覆い、世界から星空が消える。その界面の内と外では時間の流れが1億倍も違い、地球上での1年の間に、宇宙では1億年が過ぎるのだ。というアイデアを元にした本格SFで、一見イーガンの『宇宙消失』に似た話かと思えるのだが、全く違う。SF的なアイデアや謎解きよりも(それもちゃんとあるのだが)、主要な登場人物たち――主人公と、幼なじみの兄と妹(主人公はこの妹に恋している)、そして二人の強圧的な父親――彼らの人間関係と、この事件をきっかけに起こる様々な社会的・心理的な影響についてが、とても細やかに描かれているのだ。本書の主眼は明らかにそちらにあり、SF的背景をもった普通小説といった方がいいのかも知れない。訳者ははっきりとその点を評価しており、(イーガンのような)アイデア先行で科学志向なSFとは対極にあると指摘している。困ったことに(別に困りはしないが)、確かにこの人間描写はリアリティに溢れていて、連続TVドラマ的な人間関係を延々と描写するのが人間を描くことだみたいな、勘違いしたSF(アメリカSFによくあるんだこれが)とは一線を画している。とはいえ、本書のSF的アイデアはとても魅力的で、ぼくはそっちの方がもっと読みたかったと思う。SF的設定はかなり細かく考えられているようなのだが、実にあっさりとしか描かれない。この小説のポイントは人類に宇宙的な時間を与えることだ。人の一生の間に、何十億年もの時が流れる。火星のテラフォーミングも可能だし、フォン・ノイマン・マシンによる銀河系への進出さえ可能なのだ。そして実際にそういうわくわくするような話が展開するのだが、にもかかわらずストーリーはとても日常的な世界の方に軸足があるのだ。火星でどのように文明が興ったのか、もっと知りたいよ。というわけで、良い小説には違いないのだが、ぼくとしてはもっとSF成分をと叫びたくなる。続編に期待かな。

『聖家族』 古川日出男 集英社
 それにしても分厚い。東北をキーワードにした大作。空間的には東北6県を離れず、時間的には室町時代から平成の現代まで、その時空間を自在に行き交う烏天狗、白犬、動物の名を持つ男たち、鳥の名を持つ女たち、兄弟、姉妹、祖母、孫。奥羽の山中には時空を超えた異空間があり、ある種の眷属たちは、鳥居を抜けてその時空を渡ることができる。というとSFっぽいが、本書はやはりSFというよりは古川日出男小説というのが正しい。また格闘技やラーメンやビートルズに関する小説でもある。また秋田の八郎潟や郡山のビッグアイや、会津若松や仙台や青森や山形の「我ら」と「彼ら」の小説でもある。ヒップホップグループと小学生の兄弟、カルト教団と暴力団と警察と、見えない図書館、見えない大学、混沌と家族の繋がり、様々な歴史、記録と記憶、そういったあらゆるもの、つまりは東北六県というひとつの宇宙を描いた小説である。しかしまあ、その描き方というと……。独特の古川文体も極まれりという感じで、それはおそらく音読すべき文体なのだろうが、ひたすらリズムに奉仕し、スピードに奉仕し、決して読みにくいというわけではないものの、目だけで読むと酔いそうになる。ストーリーを語るのはあんまり意味がないし、様々なエピソードは、例の異空間を通じて繋がってはいるものの、オープンエンドで、何らかの結末があるわけではない。読後感としては最近の東京を舞台にした小説とは違い、むしろ『アラビアの夜の種族』や『サウンドトラック』に近いものを感じた。ただ、ぼく自身はほとんど東北地方のことを知らないので、この小説に土地勘がないというか、自分にそれがあればもっとオタク的にも楽しめただろうと思う。ハルヒが西宮小説であるといえるように、本書もまたご当地小説として読めるのだから。

『太陽の中の太陽』 カール・シュレイダー ハヤカワ文庫
 気球世界ヴァーガというシリーズの第一作。ちょっとジュヴナイルっぽい(でもR指定なシーンあり)冒険SFだ。設定が変わっていて、ヴェガ星系の外縁の宇宙空間に浮かぶ、空気のつまった超巨大な(直径8千キロ――地球より少し小さいサイズ)の風船の中の世界ヴァーガが舞台だ。そこには空気があって、無重力で、その中には小さな人工太陽がたくさんあり、その光と熱で植物が繁茂し、その周囲に街を作っていくつもの国々が栄えている。アルコールを燃料とする空中バイクや戦艦が走り回り、戦争があり、科学技術は存在するがちょっとレトロな感じで、訳者解説にもあるけれど、本当にアニメにありがちな感じの設定だ。空気があって人間が空を飛べる無重力な宇宙空間といえば、ラリイ・ニーヴンの『インテグラル・ツリー』を思い浮かべるが、ニーヴンにあった自由落下状態に適応した人々の、ちょっとした行動にも力学的な根拠があるというような、ハードSF的面白さは本書には乏しい。確かに空を飛び回ってはいるのだが、飛行機乗りや飛行船乗りを主人公にした冒険小説のノリであって、無重力であることはあまり意識されない。それより広大な空の世界という、風景としての面白さが中心である。ストーリーは戦争で母を殺された主人公の復讐譚と、その相手である敵の艦長というのが実は魅力的な人物で、それに空賊の宝探しという要素が加わって――と、まあ面白いことは面白いんだけど、大きな謎は解決しておらず、ひとつのエピソードが語られたというところ。あまりに普通の冒険SFなので、ちょっと微妙。大きな謎も、何となく想像できてしまうし。


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