調べる余地があると、あれこれ調べなければならないので、余地のないネタだとあっという間に原稿が書けてしまう(多分)。
だからといって、作者も原作もさっぱりなネタを、そのまま放り出すのはどやねん。ま、ほっとくと忘れてしまうので、そうなる前にさらしてみるってことで。
いや、博文館<探偵小説>にブーテやヴォーテルが載ってたのも、すっかり忘れてたしな。
今回のフランク(←誰やねん)J.Frankの「機械脳」というのは、古くから「クリト将軍の頭脳」として原作の英訳? General Kurito's brainの存在のみ知られていたもの。
といっても、広く知られてとるわけではないと思う。俺は、会津翁に木村毅がなんかヘンなSFを紹介しとるんだが知っておるかね。知りません。というようなやりとりを経て認識して幾星霜。
後に『青燈随筆』に収載される「日露戦争を取扱つた文学」<新青年>16巻5号(1935.4.1)の木村先生の紹介はこんな感じで始まっている。
「…これ[日露戦争における日本の勝利]を最も敏感に反映した小説はJ.Frankの"General Kurito's Brain"(クリト将軍の頭脳)である。繰返して云へば、此の小説こそは日露戦争のひき起した黄禍論の進軍喇叭だ。作者は多分ドイツ人だらう。私もよく知らぬ。」
ええっ、ドイツ人かどうかも判ってないの。
「「世界は救はれた。少くとも一時だけは。今、米国の第四流の町に住んでゐる無名の医師の私の手によつて。」
と云ふ書き出しだ。
なぜ世界は救はれたのか。
此の作者はタイタニック号に乗つて大西洋を横断した。それには日露戦争で著名なクリト将軍(黒木将軍か、栗野全権から思ひついた名だらう)が、参謀附軍医Kitemotu(これでも日本人の名前の積りであるらしい)を連れて同乗してゐた。
クリト将軍は、妙な魅力を持つてゐた。作者の娘に懸想して求婚するが、娘は厭で厭で堪らないのに、遂に拒絶し得ない不思議な力を将軍は持つてゐる。そこで娘が求婚を承諾すると将軍は卒倒して了つた。
キテモツ参謀軍医はすぐ自分の室につれ込んで手当をしてゐるのを作者(医師)が、偶然にのぞいて見ると、将軍の頭脳を開いて、時計の修繕のやうに、頭脳から機械を入れたり出したりして直してゐる。
それで一切の秘密が暴露するのだが、日露戦争の策戦に驍名を轟かしたクリト将軍の頭脳は、機械と生命の化合物なのだ。
クリト将軍は十年前までは徹底的な白痴であつたのを、キテモツ医師が、その脳髄を抜き出して機械を詰めこむ手術に成功し、五年にしてこの白痴は将軍となり、王冠なき日本の支配者となつた。そして十年にして彼の策戦によつて日露戦争に、大勝し、もう五年立てばクリト将軍は世界の支配者――欧州を引つくるめた――になる所であつた。所がキテモツ参謀軍医は、そのクリト将軍の頭脳に愛情を入れる分量を間違へたため、航海の船上で、飛んでもない白人の少女に恋慕して了つたのだ。
そこで、このままに置けば、世界はクリト将軍に支配される事になるので、小説の作者の「私」はいきなりその生命機械を海の中に叩きこんで了つた。だから「私」が書き出しの通り世界を救つたことになるのだ。この梗概で分る通り、この作の中には日本への畏怖がある。嫌悪がある。…」
「世界大戦後に、チヤペツクの「人造人間」が出たやうに、日露戦争の後には、此のフランクの「クリト将軍の頭脳」のやうな、奇怪な、チヤチなインチキな小説が現れた。」と木村先生はボロクソに言ってますが、そんな小説、ほんまにあんのか、幾ら調べても出てこんぞ。
大体、タイタニックって、年代がズレるし、沈むという話にはなってないのは何。名前だけ偶然の一致なの。それに、この年代に人工知能モノって。
…ということで、木村毅のでっち上げ疑惑が生じていたのだが、この作品の元ネタに相当する作品は確かに存在している。つまり、どう見てもこれって、E・P・ミッチェルのThe ablest man in the worldのパクリとしか。
さて、E・P・ミッチェルといっても日本では数学SFアンソロジー『第四次元の小説』に「タキポンプ」The tachypompが訳されているだけということになっとるので、殆どの人が誰やねん、としか反応してくれないと思うが、実は戦前にThe tachypompとThe ablest man in the worldの訳があってだね、などという話は長くなるので略。リニアモーターカーみたいな電磁気駆動の超特急ネタ(←そういう話じゃないだろっ)を扱う「タキポンプ」の発表年が1874年、機械による知能拡張ネタのThe ablest man in the worldが1879年発表というあたりに驚いて、知らない人はモスコウィッツ先生編のThe Crystal Manを買いに走れっ。
ま、今なら↓で大体のものが読めますが。
http://www.forgottenfutures.com/game/ff9/tachypmp.htm#contents
俺は、このフランク作品が<Tales>という雑誌に載ったものとすっかり思い込んでいたが、読み返すと木村毅は何もいっとらんのよな。『丸善外史』に<Tales>を参考に「日露戦争をかいた小説」を書いたとあるのを見て、いやもうそうに違いないと決めうちしてしまった模様。よくそんなこと思いついたのお。確かに、木村毅の同エッセイで<Tales>をネタ元に使ってそうな作品は、フランクぐらいな気はすっけど。
木村毅が内田魯庵にもらったという、この雑誌は欧州大陸各国文学の翻訳雑誌。当初は<Tales from Town Topics>と題されていたらしいので、編集方針が途中から変ってタイトルも修正されていったものと思われ。また『丸善外史』に出ている図版から、1906年10月に<Tales: a magazine of the world's best fiction>から<Transatlantic Tales: a fiction magazine of translations>に改題されたことがわかる。ともかく昔一冊ぐらい買った覚えがあるが全号を通して確認することが出来てないので、何もわからん。
「日露戦争のすこし前から、アメリカで"Atlantic Tales"と"Tales"の二種類の月刊雑誌が出はじめて、二、三年つづいた。後進国で、十九世紀後半の目ざましい近代文学の百花撩乱を、大西洋をへだててながめていたアメリカが、二十世紀になるとともに、全面的に自国に吸収する要求を感じだしてうまれた翻訳専門の雑誌である。仏独露墺はもちろん、スペイン、イタリヤ、オランダ、ベルギィからスカンジナヴィヤ三国、フィンランドやルーマニヤ、ギリシャの方までわたり、相当な長編をひとつ巻頭にすえ、あとは短編を十二、三から二十編ばかりと詩が少々ならんでいる。そして巻末には数頁ずつ、紹介的な評論の雑誌である。(中略)多くの駈け出し文士が私の書斎に蝟集し、その中をあさっては博文館に売りつけたので「新青年」や「新趣味」という雑誌に、これから出た翻訳がたくさんのっている。」
…だそうなので、博文館系の翻訳とか世界短編小説大系とかのネタ元と思われ、ぜひとも調査したい資料なんですが、どっかにころがっとらんかのお。
などと思ってたら、問題の一品は新聞に訳載されてるよ。<読売新聞>大正12年11月28日〜12月5日。実在しとったんやねえ。しかし、震災直後になんでまた? 年代的にはこの「機械脳」も木村毅の架蔵本がネタ元になってそうやが。