みだれめも 第202回

水鏡子


□だいたい2年か3年に1度置き引きに合う。Kg単位で買った物を自転車のカゴに積んで、いくつか店を回っては次の店で1時間近く買うものを物色するので、ある程度のリスクは必要経費と取るしかない。被害が減るよう工夫をこらすより世間様を信用する気分を大事にしたい。家を出るとき玄関に鍵をかけても庭先のガラス戸は出入り自由だったりのずぼらな性格も大きな理由だ。盗ってもしかたがないものを、盗る心根もじつは理解できないわけでもない。してみたいという気もちも自分の中にないわけではないのだろう。そんな気もちもあるなかで、自分はしないという立ち位置を定めること、それが大げさにいうなら「倫理」とか「生き方」いうことなのだろう。人間なんてふだんなにも考えないでボーダーラインをふらふら歩きながら、その場その場で過去の自分の行動との整合性と妥当性と調整しながら生きてるだけで、どこかでたまたまはずみでラインを信念化したり踏み外したりする。人の行為の違いなんてそれだけのものでしかない。それだけの差でしかないからこそ、スポイルされていると感じる人、力を有していると思っている人は、ぼくなんかより簡単に「違う側」に立てる場合がある気がする。正義の味方も悪人も。

 ということで、また置き引きに合った。6月に浅倉さんを偲ぶ会があって東京に行った。大森邸に一泊して結局寄り道したのは西葛西の古本屋と葛西のブックオフだけだった。それでも30冊ほど買い込んだ。東京駅で職場のみやげを買って、帰り着いた駅前のスーパーでタイムサービスを漁った。本30冊が重たいので、みやげと一緒にスーパーの表の柱横に置いて中に入ったのだが、出てきてみると、本はそのまま、東京みやげの袋だけが抜かれていた。やれやれである。

 ちなみにこの前の置き引きは、スーパーで買い込んだタイムサービス品の袋を自転車に積んだまま、パチンコに行って、出てきたらなくなっていた。このときは、卵と菓子類が抜かれて、キムチだけが残っていた。
 まあ笑い話で済む間は、生活態度はたぶん変わんないだろうなあ。

□近くのブックオフで文庫本250円均一セールをやっていた。パラノーマル・ロマンスをいくつか拾う。このところ、毎月この系統の本が翻訳されていて、全容が見えない。定評のあるのがだれで、きわものがだれかさっぱりわからない。それにロマンス小説としての人気が、SFやファンタジイとしての出来不出来と一致しているとも限らないわけだし。
 定価で買った本はひとつもないけど、家の中だけでも100冊以上ある気がする。ノーラ・ロバーツ(J・D・ロブ)とダイアナ・ガバルトンだけで50冊越えているのだから。
 浅倉さんを偲ぶ会で、星敬氏とパラノーマル・ロマンスの話になる。100冊以上読んだという。立派である。ぼくは買うだけで精一杯だ。

□一人暮らしを始めて3年目に入って、深夜の市内徘徊がすっかり定番になった。仕事から帰って夜の8時くらいに家を抜け出し、自転車で2時間もしくは3時間。古本屋を回る。もしくは食料品スーパーを回ってタイムサービスの半額商品を拾ってくる。なんと健全な「夜の徘徊」であることか。これに職場から本屋、古本屋に直行する、パチンコ屋を経由するといったヴァリエーションが加わる。最後のケースがかなり多い。だいたい週に3日4日、そんな生活を送っている。当然本が読めない。

 少し離れたところに、また新しいスーパーが出店した。これがなかなか優れモノ。
 夜の徘徊には、じつは大きなジレンマがある。
 周辺のスーパーは22時閉店から24時間営業店までいろいろあるのだが、閉店時間に関係なく、いずれもタイム・セールは21時過ぎくらいから始めて22時ころに引き上げてしまう。
 不思議だったのだが最近理由が見当ついてきた。22時を過ぎると深夜勤務の時給単価になり、しかも客は少なくなるため、必要最小限の従業員だけで営業する。そのため、売り場の維持管理の人手が足らなくなるため、まだ人手のある22時までに半額商品は店頭から引き上げてしまうのだ。(と思う)。
 これがどう困った問題かというと、ぼくのひいきの郊外型古本屋さん(ブックワンという)が毎日22時から、表示価格の2割引きのタイムセールを開催するのである。
 つまり100円の本が80円で買えるのだ。
 22時に買おうと思えば、1時間くらい店内を物色する必要がある。つまり、スーパーのタイムセールの時間帯と重なる。さらにこれから夏場を迎え、消費期限切れの食べ物を自転車カゴに積んだまま、1時間の古本物色はかなりの危険を孕んでしまう。

 今度できたスーパーは従業員が若干多めで、22時を回ってもタイムセール商品の引き上げがなされない。80円でラノベとコミックを買い込んで、その足で半額の食べ物を買いにいける。すばらしい人生である。
 自転車で徘徊できる古本屋の数は、全部で7か所。食料品スーパーや生協の数は9店。
 運動にもなる。節約にもなる。勉強にもなる。いいことずくめだ。でも本が読めない。読めないのに、本の数は、毎月100冊くらい増える。試みに1ヶ月ほど買った本の一覧を作ってみようと思い立った。たまには眺めて自己分析をしてみるのも一興かと思う。期間は5月28日〜6月25日(別表:最近入手した本

□うーむ。作ってみると馬鹿ですねえ。自分でも脈絡がない。100円という値段に惹かれただけというのが偽らざる購入動機。あと、古本屋で買うというのは、今買わないと今度はこの値段で手に入れられないという1点物の誘惑がある。

 一見たくさん読んでいるように見えるけど、読んでいるのは基本的に漫画ばかりで、あとはだいたい過去に読んだ本をあらためて買っているため。とりあえず買うというのを繰り返すから、ごらんのように家にあるのを間違って買って帰るものが大量にできる。この月に限ったものではなく、毎月だいたいこれくらいの比率でダブリを作る。ただし、早川銀背に関しては100円でみつかると同じ本を何冊でも買ってしまう。
 月100冊、購入経費3万円程度と踏んでいたのだけど、東京や大阪ミナミに行くこともあってこの月はかなりの大商い。冊数でも200に届く。物色時間、通いの時間を合せると50時間を超えている。

 ひさしぶりに家にあった立原あゆみを読み返して、勢いで100円でなく半額本を何冊か買う。任侠系のやくざの組長が一念発起して夜間中学に入学し、子供たちと町の平和を守りながら食事の蘊蓄を語っていく『極道の食卓』に、この作者の新しい代表作になるかと期待したのだけど、5巻目くらいで失速した。面白かったのは、うちの周辺だとどこにでもあるこの人の本が東京のコミック主体の古本屋でほとんどみかけなかったこと。サンプル数が少なすぎてきめつけはできないけど、3か月単位で全国のブックオフの本の並びを調査したら、面白い地域事情が見えてくるかもしれないと思った。

 岩波文庫の美本を何冊も、80円単価でそこそこ買えたのも収穫。岩波、みすず、国書、法政大学、白水、青土社あたりの本がこの値段であると、かなり自動的にレジに持って行ってしまう。資料本の目がない人間としては『岩波文庫解説総目録 上中下』がとくにうれしい。上中2冊がジャンル別内容紹介、下巻が著者別索引と刊行順リスト。昔だったら嘗めるように読んで頭に刻み込んでた本だと思うけど、この購入冊数ではねえ。以前にも書いたけど、年を食って歴史的興味が強くなってきて、基本的にはSFをまんまんなかにして、出版事情、文化状況、風俗事象その他いろいろみてみたいなという思いがある。ミリタリー趣味が皆無の人間でありながら軍艦の歴史を記した『世界戦艦物語』『世界巡洋艦物語』なんてものもそんなことで買っている。500円という大枚をはたいた『大衆と文化(戦前・戦後)』の2冊もその系統。研秀出版というあまり聞かない出版社から出た「グラフィックカラー昭和史」というヴィジュアル系の昭和史全集で、資料的に見て楽しいし、文芸パートの執筆に尾崎秀樹を充てていたりと楽しく読めた。

 コミックはごらんのようにぬるいメジャー系が並ぶ。井上紀良『北方水滸伝』はあの長く理屈っぽい込み入った話をどうコミカライズするかと思ったが、エピソード集に編み直してかなりのハイテンポで消化していく。第1巻は力が籠っているが少しづつテンションは落ち気味。若干読者が小説を読んでることを前提にした構成に陥る部分もみられるし、不満は残るが腹は立たない。
 昔は男性コミックは立ち読みで済ませて、立ち読みしづらい女性コミックに購入の比重がかかっていたのだが、ここしばらくは男性コミック、それもなんらかのかたちで既に読んでいる話を買い集めることが増えている。新しい作家がわからなくなって昔から知っている作家ばかり買っている。こうして年をとっていくのだろう。

 土山しげるの風太郎本をみつけて、つい半額で買ってしまう。ネットで調べると全部で20作ほど。うち4つが『魔界転生』、3つが『甲賀忍法帖』とかたよりがあるのが、不満。うちにあるのは10作くらい。ほとんどが、ここ10年くらいの発表なのでおいおい揃えていきたい。


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