内 輪   第239回

大野万紀


 暑いですね。梅雨明けしたと思ったら、いきなり連日真夏日が続いています。
 表紙の方にも書きましたが、今年のSF大会は8月7日・8日のTOKON10です。ぼくも企画に参加するので、どうぞよろしく(8日の15:30からの「浅倉さんが愛したSF――浅倉久志氏追悼」です)。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『MUSIC』 古川日出男 新潮社
 『LOVE』の続編。
 本書の主人公は猫である。スタパと名付けられた東京生まれの一匹の野良猫。こいつが強い。青山霊園を手に入れ、港区を支配する。
 人間たちがいる。猫笛をあやつり、何百匹もの猫を従える、もとキャッター(猫を数える競技らしい。『LOVE』にも出てきたね)の少年、佑多。東京の街を、走る走る、そしてかつては(小学校で)いきものがかりだった俊足の少女、美余。佑多と美余は今中学生。恋人を亡くし、男の体に女の心が同居している北川和身あるいは和美。そしてエキセントリックな猫アーティストで、世界的にも有名なJI。
 スタパを中心に、4人が、そしてそのまわりの謎めいた組織や人々がからんで、ストーリーは東京から京都へと、2つの都を舞台に展開する。
 面白そうでしょ。実際、面白い。著者の文体はますます詩のような、というかラップやDJのような文体になっているが、それでも読みにくくはない。そして何といっても、このストーリーって、まさに少年ジャンプ的、熱血アクション・対決・格闘ものじゃないですか。佑多と美余の、中学生同盟みたいな、ちょっとほんのりする場面もあったり、悪役(といってもいいだろう)のJIの無茶苦茶さといい、スタパとカラスや猛禽類との闘いといい、いかにも少年マンガ。
 ちょっと癖があるので、誰にでもお勧めとは言えないかも知れないが、素敵にかっこいい小説でした。

『ぼくらが夢見た未来都市』 五十嵐太郎・磯達雄 PHP新書
 「万博・SF・都市プロジェクトの構想力」とあり「あの頃の「未来」はどこへ行ったのか?」と帯にある。著者の一人、建築ジャーナリストの磯達雄は、名古屋大学SF研の出身で、かつてのファンダムで論客として知られていた。本書も彼のパートは未来都市のイメージから見たSF論として読める。何より、挙げられているSFやアニメや映画やマンガのマニアックさがいかにもという感じで、SFファンにはとても楽しい。
 とはいえ、もう一人の著者は東北大教授の建築史家で、こちらはかなり専門的な都市計画の歴史が(やはりSFやアニメが引用されているとはいえ)語られている。キーワードは万博で、大阪万博と愛知万博、そして現在の上海万博に見る未来・都市イメージが、歴史的・建築史的な背景の元に論じられている。
 でも、このリアルな建築史のパートとSF史のパートとの関連が、確かに部分的には語られているのだが、もうひとつよくわからない。「ぼくらが夢見た未来都市」という表題からは、ノスタルジックな響きがあるが、あのエアカーが飛び交い超高層ビルが林立する未来都市や、ドーム都市といったSFマンガ的イメージャリーが、どうリアルと重なっていくのか。もしかすると著者たちには説明する必要もないほど当たり前すぎることだったのかも知れない。
 ぼくらの子供時代は、本当にあの未来都市が当たり前のものだったことを思い出す。直接的には手塚治虫だったように思っていたが、本書を読んで、確かに少年雑誌の図解ページにはこんなイメージが溢れていたことを思い出した。本書の丹下健三や黒川紀章の東京未来計画の図象は、確かにぼくの記憶に深く刻み込まれている。昔、小学館の科学図説シリーズというのがあって、その一つに未来の世界という巻があった。図書館でそればかり読んでいたことを思い出す。まさにそこにあった未来のイメージなのだ。ちょっとググって見たが、中島章作のイラスト(ちょっとシド・ミードっぽい)がまさにツボだった。これが「ぼくらの夢見た未来都市」だなあ。

『創世の島』 バーナード・ベケット 早川書房
 何これ河出の奇想セレクションのミニ版か、と一瞬思った。
 エスター・グレン賞受賞とあるが、ニュージーランドの文学賞だそうだ。
 アフターホロコースト後のニュージーランドを舞台に、口頭試問を受ける少女の、試験官とのやりとりだけを描いた小説。荒廃した世界の中で閉鎖国家として厳しい階級制度のもと、何とか文明を維持しているこの国の真の姿が暴かれ、その真相に読者は唖然とする、そして何かジュヴィナイルの賞も取っていて、ヤングアダルトものだという話もあり、これぞ新世紀のサイエンス・フィクションだ――というような予備知識を入れて読んだものだから、途中でオチは大体わかってしまった(何も知らずに読めば、やはりびっくりしただろうとは思う)。
 いや、そんな前置きはどうでもいい、本書は確かに傑作だった。それも予備知識で想像していたような、社会的、倫理的な(正義について考えるみたいな、ちょっと説教臭い教育的な)小説というよりも、いやそういう面も確かにあるのだが、実は人工知能や認知科学をテーマにした、刺激的なハードSFとして読めた。ちょうど瀬名秀明のロボットもののように。
 冒頭にダグラス・ホフスタッターが引用されていることからも想像できたはずだ。本書はディスカッション小説である。その中で、始めは極限状況での社会的・倫理的なテーマだと思えていたものが、実は肉体と精神、遺伝子(ジーン)と思考(ミーム)、ハードとソフト、そして意識とゾンビの問題こそが真のテーマだったとわかる。どんでん返しの展開は面白いが、それはこのテーマへの回答ではなく、新たな問題提起である。ホフスタッターを面白く読んだことのある人なら、きっと面白く読めるだろう。何よりも短いのが良いです。

『ジェイクをさがして』 チャイナ・ミエヴィル ハヤカワ文庫
 『ベルディード・ストリート・ステーション』のミエヴィルの短編集。一言で言えばホラーの短編集といえるだろう。異形のものたちに侵略されたロンドンを舞台にした(『ベルディード』のような、というか『ベルディード』の派生作品も含まれている)SF的な作品や、奇想ファンタジーとして読める作品もあるが、本書の中心にあるのは、日常の中に忍び寄る神経症的な恐怖を描いたホラー小説だ。
 オープンエンドな作品が多く、読み終わっても、もやもや感が残る。物語自体も、そのまま受け取るべきか、主人公の狂気の産物なのか、どちらとも受け取れる作品が多い。それはそれで印象的ではあるのだが、ちょっと疲れる。そういうところが「文学的」SFといえるのかな。
 一番面白かったのは、「ロンドンにおける”ある出来事”の報告」だ。何でもない裏通りが実は、という奇想ファンタジーだが、まるでベイリーみたいな「バカSF」っぽさがたまらなく素敵だ。「鏡」のような力作は、確かに読み応えがあるのだが、鏡の世界から出てくる異形のものたちという設定が、リアルで迫力のある描写とどこかアンマッチで、居心地の悪さがある。
 しかし、それにしても、作者の描く荒廃した暗いロンドンはとてもファイナル・ファンタジーっぽくってすごく魅力的だ。

『NOVA2』 大森望編 河出文庫
 日本SFのオリジナルアンソロジー『NOVA』の第2巻が出た。神林長平、宮部みゆき、東浩紀、法月綸太郎、恩田陸、津原泰水、小路幸也、新城カズマ、曽根圭介、田辺青蛙、西崎憲、倉田タカシといった作者の、全12篇が収録されている。
 前巻に比べると、SFプロパー度が少ない(編者曰く、前巻は「守りに入った」人選だった)が、その分、意表をつく面白い作品が集まった。バラエティがあり、いずれも面白く読んだが(ごめんなさい、倉田タカシのタイポグラフィ小説「夕暮れにゆうくりなき声満ちて風」だけは読み終えていません。評判がいいのできっと面白いんだろうとは思うけど、これはもっと大きなサイズ、A4くらいに印刷されないと、ぼくには辛い)、SF読みとして一番印象に残ったのは、東浩紀の本格火星SF「クリュセの魚」。何しろテラフォーミング、火星独立運動とテロ、異星人の遺産と、これでもかというくらい見覚えのあるテーマをぶち込んだボーイ・ミーツ・ガールな作品なのだが、これが作者独自の色合いを出して、静謐で叙情的な、美しいSFに仕上がっている。大変好みです。
 宮部みゆきの「聖痕」もすごい。少年犯罪をめぐる現代ミステリとして始まりながら、突然異界へ、この同じ世界でありながら、何とも居心地の悪い、できれば避けて通りたい世界へと放り込まれる。恩田陸の「東京の日記」は戒厳令下の東京を描きながら、そこに不思議なディテールを紛れ込ませ、津原泰水「五色の船」は戦時中の見せ物小屋のフリークたちと「くだん」を扱った幻想小説として読ませつつら、ふいに本格SFの味わいを見せる。西崎憲「行列」の幻想も美しいし、新城カズマ「マトリカレント」もファンタジー要素の濃い海洋SFで、印象的である。曽根圭介「衝突」は破滅を前にした生真面目なSFで、好感がもてる。法月綸太郎「バベルの牢獄」は、あっと驚く仮想空間もので、読んだ時はすごいと思うが、後で考えると小林泰三や筒井康隆にありそうな話と思えてくる(だからといって作者のオリジナリティが減ずるわけではない)。小路幸也「レンズマンの子供」のような「すこし・ふしぎ」なノスタルジーもいい感じ。とにかく本書はアンソロジーとして大成功だといえるだろう。


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