続・サンタロガ・バリア (第101回) |
仕事の都合で日帰りせざるを得なかったけれど、DSFA創立40周年パーティは楽しかった。20年ぶりに会った同期生は現役時代と同じキャラを演じてくれたし、先輩たちも相変わらずで、嬉しいひとときでした。SF研創立6年目に入った人間なので、そのあと30年余りの間に在籍した後輩の顔はほとんど知らないのだけれど、息子より若い現役生たちがこうしたイベントを開いてくれたことに感謝したい。桐山、阪本両先輩にも。
バタバタしっぱなしの仕事の合間に、モーツァルトの『魔笛』を見てきた。演奏はポーランド国立ワルシャワ室内歌劇団で、これは週5公演ペースで地方をぐるぐる廻って、東京では1日2公演やるというタイプの団体。当然、手慣れたシンプルな演出で、幕間の舞台転換もなく、ザラストロの神殿前のセットのみ。歌手はパミーナ役の女声がよく響くくらい、夜の女王なんて声量が無くて拍子抜けする。鳥刺しパパゲーノもちょっとおとなしい。幕開けで王子を襲う怪物がコウモリ悪魔3匹で、漠然と大蛇とかドラゴンが出てくると思っていたため、びっくりした。オケは手慣れた演奏で聴きやすい。要は普段着のオペラ公演みたいなもの。それでも、モーツァルトの音楽はそこここで威力を発揮する。セリフの内容にかかわらず音の流れがひたすら美しい瞬間に心が動く。
CDはほとんど買わず聴かず。たまたま買ったシガー・ロスというアイスランドのバンドのアルバム「残響」を聴いたら、歌詞がアイスランド語ということで全然判らない。楽曲の響きはレディオヘッドを思わせるところもあるけれど、よく分からん。アイスランドのバンドといえば、聴いたのはシュガーキューブス以来か。
YouTubeは相変わらずミニスカ・ヘヴィメタ娘の流れで、中では「まくまく」プロデュースのtrick and treatが素晴らしい。ハロウィンにあわせて投下された為かアクセス数がわずかしかないんだが、よくできたエンターテインメントだ。最初に見たときは「まくまく」がギターシンセでストリングスを弾いているのが判らなかった。見たい人は「まくまく」じゃなく「はるちん」で探してね。
読んでから2ヶ月以上経つと早半分が思い出せないテリー・ビッスン『平ら山を越えて』だけど、何回目かの再読になる表題作は相変わらずいい感じの作品だ。「ちょっとだけちがう故郷」はF&SFのカヴァー・ストーリイだったので、いまでも表紙を覚えている。カヴァーイラスト以上に内容がすばらしい少年小説。おちょくりエロSFで手すさび的な軽さの「ザ・ジョー・ショウ」や強烈なモラル・プロヴォーキングが持ち味の「マックたち」に短編作家ビッスンの力量が窺える。びっくりしたのは、初訳の「謹啓」。60歳になった作者が老人を主題にしてここまで暗い話を書くとはねえ。ちょっと辛い。
北野勇作『どろんこ ろんど』はジュヴナイルとして書かれているけれど、好感度では本年屈指の1作。女の子アンドロイドと大型亀ロボットの北野式未来世界道中記で、エンボス入りの凝った造本や鈴木志保のいかにも楽しそうなイラストも手伝って、よくできたアニメーションみたいな感触がある。最終ページにある版元のボクラノSFシリーズの宣伝に「そこそこ好評ですが、もうあと一押し」とあって笑わせるけれど、すくなくともこの作品は売れて欲しいなあ。
『テンペスト』のスピンオフみたいな池上永一『トロイメライ』は、人なつこいけれどバランスがまだ十分にとれていない憾みがある連作短編集。キャラ立ちはあいかわらず見事で池上マジックの効き目は十分。でもストーリーの短さがキャラの魅力を中途半端にさせている。もう少し長い構成でひとつひとつの物語を発展させた中編が読む方としては嬉しいんだが。
ハヤカワ・ラノベ・シリーズ?の森田季節『不動カリンは一切動ぜず』は、その前に出た『スワロウテイル人工少女販売所』と似た設定だけれど、物語の造りはまったく違っていて、主人公と彼女を親友扱いするもう一人の少女の友情?(ちょっと違うか)をめぐるサスペンス仕立てのお話。物語の後半、クライマックスに向かって紡がれるモノは、設定と関係なく盛り上がるので、SFとしてはどうかと思うが、読み心地は『スワロウ・・・』よりいい。構造で勝負するか情念で勝負するか、情念の方が有利かなあ。それはSFに求めるモノではないのだけれど。でも情念もあれば嬉しい。
ハヤカワJコレの片理誠『エンドレス・ガーデン ロジカル・ミステリー・ツアーへ君と』は、作者の意気込みが伝わってくる大長編。でも、ちょっと長すぎる感じの力作。主人公は電脳世界のOSが創り出したエージェントでOSのアヴァターは女の子だしエージェントは男の子。物語は世界の危機を救う為の鍵を、人間がいなくなった40万戸の部屋をめぐって探し出す遍歴譚だけれど、様々に仕掛けられた謎解きは作者の努力にもかかわらず類型に流れるきらいがあり、感動的な結末を迎えるまでに読む方の集中力が失われる。ラノベ的なキャラはかわいいけれど、この長さを支えるにはやや力不足ではないだろうか。
SFマガジン創刊50周年記念アンソロジー第2弾の大森望編『ここがウィネトカなら、きみはジュディ』は、40年近く前の表題作とイアン・ワトソン&ロベルト・クアリアの昨年発表作「彼等の生涯の最愛の時」が見事にシンクロする王道のタイムトラベル物ばかり集めた1本。ロマンティックからシニカルまでいろいろ取りそろえてあって、タイムトラベル物のショーケースとしても満点の品揃えだ。SFの上に作られるSFを見事な技巧で実現したテッド・チャンは見事だし、プリーストやボブ・ショウは何回読んでも面白い。それでも久しぶりに読んだ「旅人の憩い」のすさまじさが群を抜いている。奇跡の1作。
マイクル・フリン『異星人の郷』の表題を見たときは、フリンねえ、と思ったが、原題Eifelheimを見て、ああ、あれかと気がつき早速読んでみた。短編をぶつ切りにしたような現代パートがいかにも弱いが、メインの中世パートが素晴らしい。ここまで大まじめに何のてらいもなく書かれたファーストコンタクト物が、バカバカしさや気恥ずかしさを覚えずにスラスラと読めるとは驚きである。一種知的スーパーマンである主人公の神父が浮き上がることなくディテール豊かな背景に溶けこんでいるのもいい。異星人の造りもあり得ない設定なのに、視点が常に人間側にあるためか、全然気にならない。訳題が地味すぎてもったいないと思える最近のアメリカSF長編の収穫。
ハヤカワJコレ最新作の上田早夕里『華竜の宮』は名短編「魚舟・獣舟」につながる大作ということで、前評判が高かったし、その厚さを見てこりゃスゴそうだなと思いながら読み始めた。現在から数年先、二人の地球物理学者の会話からすぐ数百年先に飛んだときには、クロニクル風な展開を期待したんだけれど、ストーリーのメインボディは、遠くは眉村卓の「司政官」シリーズ、近くは小川一水の作品を思わせる、現場を支える下級外交官の奮闘物語だった。SF的設定は小松左京ばりのハードぶりが頼もしく、「魚舟・獣舟」のアイデアを敷延した海の民と魚舟の設定と人類変貌を必然とする設定も魅力的、どれもこの作品をSF大作とするに十分な素材がてんこもり。これで面白くないわけが無く、実際楽しませてはもらったんだけど、いかんせんバランスが悪い。メインボディである正義感に誠実な物語が良く出来ていて、それはそれで立派なんだけれど、エンターテインメントとして強すぎるため、魚舟社会の異世界的様相や地球物理学的カタストロフィーの説得力、人類変貌の衝撃などハードSF部分が霞みがちになってしまっている。理想的なSFとするためには、これだけの長さでもまだ足りないということか。
オマケ ヒューゴー・ガーンズバック『ラルフ124C41+』は、書庫と化したボロアパートの1室でもう長い間埋もれているのだけれど、先月行った小さな古本市で見つけたので買ってきたシロモノ。そういえば、発表されてからそろそろ100年かと思い読んでみた(実際は雑誌に短編が掲載されて来年が100年ということらしい)。スイスに住む女の子がニューヨークのラルフに間違い電話をかけたちょうどその時、女の子の家が雪崩に呑み込まれそうになり、ラルフが得意のスーパーテクノロジーで彼女を救い出すというところから始まる。物語の前半、ニューヨークに来た彼女に嬉々としてスーパーテクノロジーを説明して廻るところが読みどころ。後半、恋人となった彼女が掠われてからのサスペンス・アクション・ドラマは今となっては退屈。ただ彼女が死んでしまってそれを復活させるという結末はガーンズバックが意図したのと違ってショックだし、現在の目で読むと不気味である。このころはまだ宇宙にエーテルが存在していたんだね。