内 輪   第243回

大野万紀


 SFマガジン恒例のSFベスト選び(「SFが読みたい! 2011年版)を始めたのですが、本当に本を読むスピードが落ちていて、たくさんの傑作(と評判の高い本)が未読のままです。それでも国内編は傑作がとても多いので選ぶには困らないのですが、わずか5冊では入りきらない。順位をつけるのも無理やりです。海外編は今年後半に出た作品に追いついておらず、読み終えた中でのベスト選びとなりました。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『機忍兵 零牙』 月村了衛 ハヤカワ文庫JA
 山田風太郎の忍法帖を思わせるとあったが、全くその通り。SF忍法帖である。
 いつともどことも知れない無国籍な異世界。今ひとつの王国が〈無限王朝〉の侵略に滅び去った。落ち延びる幼い王子と姫。そこへ無限王朝麾下の骸魔忍群が襲いかかる。絶体絶命のその時現れた一人の影。無限王朝と戦い続ける光牙忍群の一人、零牙である。凄まじい忍びの技で、姫と王子を助ける。骸魔忍群は、最強最悪の骸魔六機忍を呼び出し、零牙ら光牙の忍たちと、恐るべき次元を越えた戦いを繰り広げる。
 いやまあ、かっこいい。まさに風太郎忍法帖のノリだ。フォーマットはきちんとしているし、戦われる忍法の凄まじさ、ぶっ飛び具合も風太郎忍法をSF的に強化した感じでよろしい。何よりストイックな感じと、彼ら忍者のふと見せる過去の記憶がとても印象的。とりわけ、螢牙が思い起こす真実の自分の姿――楽しい学園生活を送る女子高生――がこの世界との対比の中で鮮烈な印象を残す。何で一人ずつ戦うの、とか、どうしてそこまでしますかとか、突っ込みどころはいっぱいあるが、忍法帖にそんな野暮なことをいっても仕方がない。いや面白かった。堪能しました。

『平ら山を越えて』 テリー・ビッスン 河出書房新社
 『ふたりジャネット』につづく中村融編のオリジナル短編集。
 ビッスンといえばラファティ風のユーモアというイメージから、本書のような、少しどぎつい社会風刺的作品へとイメージが変わってきた印象がある。本書でも表題作を始めとする前半は、トール・テール(ホラ話)作家、奇想作家としてのビッスンが収録されているが、「マックたち」「謹啓」に代表される後半は、ホラよりホラーに近い、きつい話が並んでいる。
 ぼくは、やっぱり前半が好みだな。ヒッチハイクの少年をひろってひたすら山を登るトラック野郎の話「平ら山を越えて」のイメージも良いが、古びた競技場からベニヤの飛行機が飛び立つ「ちょっとだけ違う故郷」がとても気に入った。これはある種の聖痕をもった少女を巡る子供たちのファンタジーであり、ラファティの後継者というに相応しい雰囲気をもった、ユーモラスでありながらも、もの悲しさの漂う傑作だ。

『竜が最後に帰る場所』 恒川光太郎 講談社
 5編が収録された短編集。
 始めの2編「風を放つ」と「逃走のオルネラ」は普通小説だが、残りの3編「夜行の冬」「鸚鵡幻想曲」「ゴロンド」はファンタジーというか、幻想小説である。中でも空を飛ぶ竜の誕生から、竜が最後に帰る場所まで、人間たちとの関わりを描く「ゴロンド」ははっきりSFといっていい傑作だ。
 「夜行の冬」も、様々なパラレルワールドを巡るSFともホラーともいえる傑作で、そんな非日常を描く中から、ごく平凡なありふれた生活というものが、実は確率的なあやふやさの中にあるものだとわかる。
 「鸚鵡幻想曲」は擬装集合体なる不可思議な存在が出てきて、ちょっと恩田陸の作品を思い起こした。
 SF味や超自然的なものの出てこない普通小説である「風を放つ」と「逃走のオルネラ」にも日常を越えた人間の不思議、不気味さ、怖さが描かれている。その何ともいえない気持ち悪さにも、はっとするような美しさにも、じっくりと読ませる味わいがある。

『華竜の宮』 上田早夕里 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 評判の高い長編。
 〈異形コレクション〉に載った傑作短篇「魚舟・獣舟」は、遠未来のファンタジーに近い幻想味ある作品だったが、その同じ世界を長編化した本書は紛れもない本格SFである。
 地上民と海上民が分かれて暮らすようになったこの世界の成り立ちが、まずはハードSF的に詳しく描かれる。小松左京『日本沈没』はプレートテクトニクスだったが、本書はプルームテクトニクスだ。
 プルームによって海底が隆起し、多くの陸地が水没した25世紀(ほんの数百年先の未来。何万年も先の遠未来ではない)。現代から継続した文明を維持している地上民と、遺伝子操作により海に適応し、魚舟と生活する海上民との間で、軋轢が高まっていた。主人公である日本政府の外交官(地上民だが、海上都市に勤務し、海上民とも交流が深い)清澄は、アジア海域での地上民の政府と海上民の対立を解消しようと、ツキソメという海上民の女オサ(見た目は若いが、大変な年齢の謎の女性)と会談を行う。互いにその理想とひたむきさに好意をもつが、形が整うより先に、両者の対立は武力での迫害・虐殺という局面を迎える。
 本書は実はSFである以上に、この理想を追う外交官の、現実といかに対峙し、乗り越えていこうとするかという、政治と情熱の物語なのである。さらに、この世界にはより巨大な災害、ほとんど人類滅亡に近い大災害が近づいており、後半はツキソメの謎と大災害後の世界の覇権を巡っての、冒険活劇の様相を見せる。
 ただ、前半の密度に比べて、後半はやや走りすぎのような感じがした。多くのエピソードが、詳細が書かれざるままに流されていく。派生する作品がいくつも書けそうな気がして、ぜひ読んでみたいと思う。
 眉村卓を思わせるところもあり、ティプトリーを思わせるところもある。政治機構の内側から、異種族との共存を目指そうと、理想と現実の狭間に悩み、調整しながら前向きに進む主人公が、とてもかっこいい。小松左京の後継者となるのは小川一水だと思っているが、国際政治などのリアル面も含めた後継者は実は上田早百合なのかも知れない。

『ゾーイの物語 老人と宇宙4』 ジョン・スコルジー ハヤカワ文庫
 〈老人と宇宙〉というシリーズ名もここへ来るともはや関係ない。
 前作『最後の星戦 老人と宇宙3』と同じ物語を、少女ゾーイの視点で描いた作品。でもスピンオフではなく、同じ物語の別の側面ということだ。
 ジョンとジェーンの養女となったゾーイが、植民惑星ロアノークで、16歳の少女時代を過ごす。友人たち、初恋、冒険――植民地を襲う土着生物たち、そして狼男。だがゾーイは普通の少女とは違う。オービン族のヒッコリーとディッコリーが常に彼女を守り、見守っている。ゾーイはオービン族の女神であり、象徴であり、協定の対象なのだ。
 ロアノークに危機が迫る。人類の植民惑星を一掃しようとする異星人の宇宙船団が迫る。しかし、それは大きな陰謀の一部だった――というのは前作と同じ。今度はゾーイが主人公で、この戦いのもう一つの側面を物語っていく。彼女は何をしたのか。そしてオービン族は何をしたのか。
 ど田舎といっていい植民惑星での生活。普通とは違うが、普通でありたい少女の日常。そして宇宙規模の陰謀と宇宙戦争という非日常。本書のもう一つの、そして真の主人公はオービン族だ。ヒッコリーとディッコリーこそが、この物語の寡黙な主役だ。結末はもうわかっている。でもそこに至るもう一つの物語の、何ともすごい広がり。そして本書は「正義」の物語でもある。人々を救うために、それ以上の命を犠牲にしても良いのか。シリーズの中でも本書は傑作といっていい。読み応えのある作品である。


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