内 輪   第253回

大野万紀


 Google+が一般開放されたというので、大野万紀のアカウントでページを作ってみました。
 サークルに知っている人をどんどん追加していったら、Twitter(@makioono)と同じようになってきたんだけれど、さんぽさんによれば、これでいいのだそうです。 となると、Twitterとの使い分けだけど、まとまった長めのものを書くときにGoogleを使えばいいのかな。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『NOVA 5』 大森望編 河出文庫
 日本作家オリジナルアンソロジーの第5巻。8編が収録されている。
 ほとんど外れのない読み応えのある作品ぞろいだが、まずは上田早夕里「ナイト・ブルーの記録」がいい。海洋ロボットのオペレータを取材する科学記者の話だが、作者の未来史にもつながる人間と機械のインタフェースの物語だ。ハードSF的というよりは、機械と人間の新たな伝説、物語の誕生のお話として読める。
 図子慧「愛は、こぼれるqの音色」はセックスの快楽を記録する装置をガジェットとするが、近未来サスペンスの色合いが濃く、表には出てこない装置の発明者と主人公の関係性が実は中心テーマのようだ。
 須賀しのぶ「凍て蝶」は日常の中に現れる異世界ファンタジー。
 石持浅海「三階に止まる」は何故か必ず三階に止まるエレベータの謎を解き明かす、とてもロジカルな怪談である。ロジカルな怪談というところがSFっぽいね。
 友成純一「アサムラール」はバリ島を舞台にした奇病テーマの作品だが、作者本人が登場し、大森望前書きでは「だいたい実話」とある。本当? でも面白かった。
 創元SF短篇賞出身の宮内悠介「スペース金融道」は恒星間の世界(でも光速度は越えられない)に広がった人類やアンドロイドに対し、えげつなく借金の取り立てを行う二人組というお話だが、これは傑作。コミカルな要素も大きいのだが、前書きにもあるように、むしろ骨太な本格SFである。
 東浩紀「火星のプリンセス」は『NOVA 3』に載った同名作品の後編。ちょっと面白い展開になってきた。ここから世界が大きく広がるのだろうか。次回、『NOVA 7』に掲載されるという完結編が楽しみだ。
 最後に大物。伊坂幸太郎「密使」は本格的にタイムパラドックスを扱った時間SFで、こんなアイデアは(昔どこかにあったかも知れないが)少なくともぼくの記憶にはない。ハードSF的とはいえないが、実にロジカルで、もっともらしい。そして裏テーマは、特撮ヒーローへの愛ですね。

『TOKYO BLACKOUT』 福田和代 創元推理文庫
 東京大停電を扱ったパニック小説。2008年に刊行された長編の文庫化である。
 2011年3月の東日本大震災による計画停電(輪番停電)は記憶に新しいが、本書はテロによって東京が思いがけない大停電(ブラックアウト)に見舞われる。電力の送電系統の詳細や、発電所の起動、揚水発電の利用法など、まさにあの震災後、TVやネットで報道された通りの内容が、きちんと描写されている。
 さらに、技術的なディテールだけでなく、それを運用する名もない人々の「現場」が、突発事態に対応する徹夜作業に雰囲気が、臨場感豊かに描かれているのも良い。金融機関のシステムエンジニアとして働いていた作者の、「世の中と人々の暮らしを支える、〈名もなき〉人々を書くのが好きです」という言葉どおりだといえる。
 電力会社の現場の技術者たちだけでなく、よくある強盗殺人事件から驚くべき大都市を狙ったテロ事件へと発展したこの事件を追う警察官たち、主人公の子供が入院している病院の医者や看護師たち、刑務所の刑務官たちなど、本作と関わる〈名もなき〉人々の姿も、しっかりと目に見えるように書かれている。
 とはいえ、犯人側の姿が、特に主犯となる男の姿が、同じようにはっきりしているとは言い難い。確かにそちらの内面も描写されているのだが、宗教的・政治的テロとは違う個人的な動機によるものなので、もうひとつバランスが悪いように感じるのだ。
 ところで社会的影響力の大きな巨大システム開発に関わったことのあるぼくの経験からすると、システムにこのような致命的なトラップが仕組まれるということは、きみたち本当にちゃんとチェックしたのか、といいたくなる。ありえないとはいわないが、こんな悪意あるコーディングを見逃すなんてね。ま、それだけ犯人が天才的だったということなのでしょう。

『きつねのつき』 北野勇作 河出書房新社
 書き下ろし長編。
 『どろんころんど』や『かめ探偵K』に読後感は近い。作者の作品を支配していた昭和ノスタルジーな感覚(それはいわば、おっちゃん感覚)は背景に退き、〈現代〉が前面に出てきている。
 それは子供のいる風景でもある。とりわけ本書では、幼い女の子(作者の実際の子育ての反映もあるのだろうが、むしろ「よつばと」のような、ある種抽象的な存在としての幼女)と父親の強い関係性が描かれ、親子の絆が作品の太い縦糸となっている。
 その一方で、この世界は『どろんころんど』や『かめ探偵』の世界と同じく、ある破局の後の、取り残された世界である。人工巨人が大暴走した、とのこと(エヴァかしら)で、破壊され、置き去りにされた小世界(その外側にはどうやら「普通の」人々の日常世界があるらしい)。そこには生きているか死んでいるかわからないような、亡霊のような人々が、一見「普通の」生活を営んでいる。
 3.11後の日本の現状を強く想起させられるが、この作品に実際どこまで3.11が反映しているのかはわからない。ただ、本書の後半に強く見られる「怒り」は、このどうしようもない現実への苛立ち、怒りとして読めてしまう。
 とはいえ、本書全体は、月のきつねに化かされて見ている夢に過ぎないのかも知れない。バイオハザード的なSF的モチーフは一貫しているのだが、前半の保育所のエピソードや、後半の電車のエピソードなどには、とても幻想的で、諸星大二郎の短篇マンガや、ちょっと暗めの吾妻ひでおを思わせる雰囲気がある。基本的には淡々と進む物語であるが、ふいに激しい情念が露わになるところがあり、親子の切ない愛情物語としても読めるが、はっとするほど恐ろしい、美しい幻想小説となっている。傑作である。

『11』 津原泰水 河出書房新社
 タイトル通り11編が収録された短編集。四谷シモンの表紙がちょっと怖い。
 「五色の舟」「延長コード」「テルミン嬢」「土の枕」はSFアンソロジーやSFマガジンに掲載された作品で、とくに「テルミン嬢」は本格SFといっていい。
 普通小説もあれば、幻想小説、さらにはSFも含まれているわけだが、どの作品も美しく、切なく、哀しい。とはいえ、全くセンチメンタルとは遠く、ある意味苛烈で、緊張感に満ちた小説である。いずれも、まさに人間を描いている、といえる。その人間とは、仮面だったり、フリークだったり、人間ではないものだったりするわけだが、そういう特殊性を通して、浮き彫りにされるような人間でもある。
 そういった作品の中でもやはり「五色の舟」はずば抜けて傑作だ。それから「土の枕」もいい。また家出した虚言癖のある娘の人生を追って、延長コードの謎(?)に迫る「延長コード」はその発想にびっくりする。色んなメタファーも感じられるが、そのまま受け取るのが正解だろう。
 書き下ろしの「微笑面・改」は、マッド・アーティストの歪んだ愛情を巡るホラー(なのだが、これも認識論的なSFとして読める)であり、「琥珀みがき」「キリノ」はショート・ショートといってもいい掌編で、語り口が面白い。特に「キリノ」は学生のバカ話っぽくて好きだ。
 「手」は幽霊屋敷が題材のホラーだが、幽霊屋敷よりもっと恐ろしい結末に至る。「クラーケン」は大型犬と暮らす女性の生活を描くが、結末はやはりショッキング。「YYとその身幹」は悲劇的な愛を描いているが、その虚ろな軽さはむしろユーモラスである。
 本格SFである「テルミン嬢」は、ネットワークに乗ったある種の波動を感じて死に至るほどのアリアを歌ってしまう病気をもった女性の話で、ラストのSF的ビジョンは壮大である。

『不思議の扉 午後の教室』 大森望編 角川文庫
 大森望が編集している10代からの読者向けテーマ・アンソロジー。もう4冊目なのね。芥川龍之介、小松左京から森見登美彦まで、今回は学校をテーマにした「すこし・ふしぎ」な8編が収録されている。
 雑誌掲載のみで単行本初出という作品もあり、初めて読む作品もけっこうあった。湊かなえ「インコ先生」は心霊写真もののショート・ミステリ。ぼーっと読んでいたので、結末はおよよっとなってしまった。読み直すと、なるほどちゃんと書いてある。でも叙述トリックって、だまされた気がしてあんまり好きじゃないんだよね(くやしまぎれ)。
 古橋秀之「三時間目のまどか」は『ある日、爆弾がおちてきて』からの再録だが、本当にいい話だ。ライトなラブストーリーで、かつ本格SFだ。
 森見登美彦「迷走恋の裏路地」は『夜は短し歩けよ乙女』のスピンオフ作品で書籍初収録。でもこれはちょっと短すぎて物足りない。
 有川浩「S理論」も書籍初収録のショートショート。「S理論とは何か」というお話だ。
 小松左京「お召し」は何度読み返しても切なく、恐ろしく、感動的な名作だ。
 平山夢明「テロルの創世」は本格SF。ありがちなテーマではあるが、設定は壮大で、タイトルが壮絶な未来を予感させる。
 翻訳が1編。ジョー・ヒル「ポップ・アート」。『20世紀の幽霊たち』に収録されていた傑作だ。風船少年との友情という、ドリームワークスのアニメで見たいような、ずっと余韻の残る作品である。
 芥川龍之介「保吉の手帳から」がなぜ収録されたのかと思ったら、確かに美しい、幻想的なエピソードが含まれている。とにかく薄いというのがいいですね。

『水の中、光の底』 平田真夫 東京創元社
 今年3月に出た作品。東京工業大学SF研出身で、SFマガジンに作品が載ったこともあり、ゲームブックでの評価も高かったという著者の、幻想的な短編集。何となくもっと若い人を想像していたのだが、1958年生まれなのね。
 そこに鋭い何かがあるわけではないが、淡々とした美しい幻想的なイメージが、ささやかなつながりをもって配置され、いい絵を見たね、といいたくなるような、そんな連作集である。10編が収録されているが、1~9ときて0に戻り、円環を構成している。
 「循環-夜の車窓」は「千と千尋の神隠し」の海の上を走る電車を思い起こさせる作品。桟橋の先にある路面電車の停留所と酒場のイメージが、こことは少し違う日常世界を見せてくれる。その後、路面電車はなぜか深夜の東京の山手線を走り抜けるが、それはまさにノスタルジーへの回帰である。
 「曇天-月の実り」では、満月の夜の海の上で雲が集まり、光のしずくとなって降り注ぐ。このような水と光のイメージがタイトルの通りに繰り返される。
 「雲海-光の領分」では、東京タワーが見える屋上ビヤガーデンから、雲の上へと飛び上がって、星空を見ようとする話なのだが、人が空を飛ぶのは不思議に思わないのに、満月の夜に満天の星が見えるという描写に、それは違うと突っ込みたくなるのはどういうわけだろう。
 「空洞-掘る男」は奇想SFといっていい、空洞の世界の壁を掘って外の世界を見ようとする、他の作品とはかなり遠い世界の物語である。世界をつなぐのはただ酒場の主人のみ。
 「潮騒-矩形の海」は酒場の底にある、まさに矩形の「海」に潜る話。水の中を泳ぐハツカネズミが印象的だが、これも作品間をつなぐ小道具の一つである。
 「水槽-Craspedacusta Sowerbii」は、水の底に沈んだ街の酒場でソルティドッグ(これもつながりの一つ)を飲む女性の話だが、幻想とノスタルジーが溶け合ったいい話だ。
 「分銅-達磨さんが転んだ」は三匹の猿がいる、不思議な酒場での出来事で、重力とバランスがテーマ。ユーモラスで面白いけれど、ちょっと他の作品と毛色が違う。
 「立春-山羊の啼く渓谷」は都会を離れ、西と東を分かつ渓谷にある宿が舞台。これもちょっと雰囲気が違っていて、日常からかなり遠いファンタジーだ。
 「公園-都市のせせらぎ」はまた都会に舞台が戻り、夜の公園で酔っぱらった大学教授が知的な妖怪と遭遇する。これは、なかなか面白い話だった。
 最後「車軸-遠い響き」は子供時代を過ごした街へやってきた男の物語で、まさにノスタルジックな、ありそうであり得ない世界。こうして物語は一周する。気持ちよく読める上品な短編集である。


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