内 輪   第262回

大野万紀


 ブラッドベリが91歳で亡くなりました。ハードSF好きのぼくですが、ブラッドベリの叙情的なファンタジイも大好きでした。中でも小笠原豊樹訳の『太陽の黄金の林檎』は、中学のころからの愛読書。特に「四月の魔女」が好きで、冒頭の流れるような詩的な言葉のつながりにしびれたものです。キース・ロバーツの「アニタ」にメロメロになるのも、そのせいかも。
 大学でSF研に入り、「クラークが好きで……」といったら、1年先輩だった水鏡子に鼻で笑われたという話はどこかで書いたような気がするけど、当時の水鏡子はブラッドベリもぼろくそに言っていました。まあそのぶん、コードウェイナー・スミスやティプトリーを褒め称えていたので、さすがといえばさすがなのですが(スミスは好きだったけれど、ティプトリーは伊藤典夫訳でSFマガジンに短篇が紹介されたばかり。ほとんど知りませんでした)。
 それはともかく、ブラッドベリを読むことにはどこかセンチメンタルな気恥ずかしさがあったにせよ、やっぱりみんな大好きで、当時の関西ファンダムで人気投票のアンケートをとったところ、海外作家でダントツの1位がブラッドベリでした(神戸大学SF研「れべる烏賊再び」1974年)。ブラッドベリのことを書こうとすると、何だか昔話ばかりになってしまいますね。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『大震災'95』 小松左京 河出文庫
 2月に文庫で復刊された本書だが、なかなか読む勇気が起こらず、ようやく手に取った。
 読んでいるうち、どうしても17年前の記憶がよみがえって、ちょっと苦しかった。本書は阪神大震災の後すぐに、毎日新聞に連載されたルポルタージュだが、当時ぼくは少し目を通すだけで、ちゃんと読んではいなかったのだ。
 大きな地震が起こらないはずの関西で起こった大地震。まさに想定外の被害に、小松さんは驚き、怖れ、その全てを知ろうとする。書かれている科学的事実は、今では良く知られていることだったり、その当時は着目されていたが、その後あまり言及されなくなったことだったりする。今度の東日本大震災で、その経験がどのくらい生かされていたのか、おそらく検証はされているのだろうが、大地震の記事はなるべく避けてきたのでよくわからない。
 本書を読んでいた5月26日に、本書にも出てくる毎日放送のパーソナリティだった川村龍一さんの訃報があった。あれからそれだけの時間が流れているのだ。

『聖徳太子の密使』 平岩弓枝 新潮文庫
 平岩弓枝は以前に新聞連載していた『西遊記』が面白かったので、本書もその系統かと買ってみた。2009年に出た単行本の文庫化。挿絵も『西遊記』と同じ蓬田やすひろである。
 聖徳太子の娘、珠光王女は、太子の命を受け、男装して三匹の猫、万巻の書を全て記憶している博学の白猫、北斗、天衣無縫な優しさをもつ三毛猫、オリオン、腕自慢で情にもろい虎猫のスバル、そして龍の化身である愛馬、青龍とともに、遙か遠い大海原の向こうの国々へと、冒険の旅に出かける。
 つまり、そういう話で、聖徳太子の娘の猫の名前がオリオンというように、まったくのファンタジーである。構造的には『西遊記』と同じで、とても今時の小説とは思えない説話的な物語だ。でも、これが面白い。
 様々な国で怪蛇、土蜘蛛、魔神、魔女、謎の仙人といった魑魅魍魎、妖怪変化と戦いつつ、人々を助けていくというストーリーはお約束感に満ち、いかにもおとぎ話という感じなのだが、語り口がとても優しく上品で、何より猫たちが可愛い。ほんわかと楽しい読書体験でした。

『Delivery』 八杉将司 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 『夢見る猫は、宇宙に眠る』、『光を忘れた星で』の八杉将司の最新書き下ろし長編。
 今度もまたSFガジェット満載の本格SFである。原因不明の大破壊――世界中での火山噴火や超巨大地震――によって荒廃した地球。遺伝子操作により人工子宮から生まれたノンオリジンたち。主人公アーウッドはそんなノンオリジンの一人であり、ある時、外見が猿そっくりで天才的頭脳を持つ、月から来たノンオリジンの男、グランツを助ける。
 この時代、月はテラフォーミングされ、地球の大災厄を尻目に高度な文明を誇っていた。そして主人公たちは、月と地球を巡る大きな陰謀に巻き込まれていく……。
 最後は脳と脊髄だけの存在となってまで、仲間たちとの思い出を守って戦おうとする主人公も壮絶だが、魅力は様々なSF的ガジェットとアイデアだろう。もっともハードSF的には突っ込みどころも多いのだが、まあそんなことは大した問題じゃない。
 一番のアイデアは表題にもなっているDelivery(ここでは分娩・出産の意味だろう)で、出産を免疫的異物を体内から排除する行為と捉え、同様に地球の自然にとって異物であるヒトも、宇宙へと排除される――排除される側から見れば、それは出産であり、新天地への旅立ちである――というものである。ちょっと小松左京っぽい感じだ。
 だが、意欲的な作品ではあるものの、ぼくにはやや平板な印象が残った。色んなアイデアが併置されているが、そこに驚きをもたらすようなドラマはなく、最後にはとてつもなく大きな物語へとつながるにもかかわらず、ストーリーから必然的にわき上がるものにはならなくて、単なる説明に終わっているように思えた。前半と後半のバランスも悪く、後半はちょっと息切れしたのかも知れない。
 もっと読者を引っ張って、物語に巻き込んでいく力強さが欲しかった。発想やアイデアは申し分なく、人物造形やガジェット、シーンの描写力もあると思う。これで物語全体をドライブしていく構成力が前面に出れば、さらに優れた作品になっていただろう。

『天狼新星』 花田智 ハヤカワSFシリーズJコレクション
 作者はつくばの研究機関で働く生物学者で、劇団「演劇レーベルBo-tanz」の脚本家・演出家。本書はその2003年の公演脚本を増補改訂したSF作家デビュー作である。
 よくあるサイバースペースでの活劇ものかと読み始めたら驚いた。これは凄い。傑作だ。読み終わってみると若干の欠点も目についたが、それでもデビュー作でここまで書けるのは素晴らしいと思う。
 ストーリーはわりあい単純である。2058年、量子コンピュータの破壊作戦中の電脳部隊の兵士たちが、世界の破滅へとつながる秘密を知り、サイバースペースの中で時間を超えて、2015年の現代のコンピュータに現れるという話だ。電脳ハードSFではあるが、未来と現代をつなぐ通信ということで、ぼくにはベンフォードの『タイムスケープ』を思わせた。
 本書ではサイバースペースの描き方、意識のアップロード/ダウンロード、EPRパラドックスと量子テレポーテーション、ソリトン通信といったハードSF的なアイデアとガジェットが、イーガンもかくやというレベルで書き込まれており(とはいえ、かなりあっさりと扱われているので、読みにくくはない)、SF的なリアリティは十分である。所々ひっかかるところはあるのだが(例えば表題にもなっている、シリウスが超新星になるといったところ――でも一応作中でフォローはされている――や、ロジャー・ペンローズ風の意識の量子力学的解釈――これもトンデモの一歩手前で作者独自の解釈がされている)、作者はわかって書いているなと思わせる。
 しかしガチガチのハードSFというよりも、読後感はむしろ古典的で、ティプトリーやC・スミスの一部の作品にある、アンチヒューマンでかつ叙情的というSFらしい魅力を感じた。
 一番印象に残ったのは現代パートだ。サーバに侵入してくる謎のノイズを排除しようと設立された、あるIT企業のプロジェクトチーム。そのメンバー一人一人の、血の通った描き方がいい。ぼく自身こんな感じのプロジェクトを経験したことがあるので、なおさら身近に感じた。ベンフォードの『タイムスケープ』でも、科学者たちの日常がリアルに描かれていたが、本書でも電脳戦士の非日常的なパートと、彼ら普通のエンジニアたちの日常とが対照的に描かれ、読み応えのある作品となっている。学園ものもいいが、こういう働きマンものにも懐かしさを感じる年齢になっちゃったなあ。
 最後にかなり物足りなかった点として、演劇の脚本がベースだったせいかも知れないが、舞台が狭く、時空を超えた世界の広がりがあまり感じられなかったことが挙げられる。無限のヒルベルト空間にまで広がるサイバースペースが、どこかの廃工場の屋内のようだったり、現代パートもほとんどプロジェクトルームの中だけで進行したりというところが、何だか狭苦しく感じたのだ。

『史上最大の発明アルゴリズム』 デイヴィッド・バーリンスキ ハヤカワ文庫
 予備知識なしに、コンピュータのアルゴリズムについて書かれた本かと思って読み始めてびっくり。エッセイや創作が混在し、文体も凝っているというか、正直とても読みにくい。何かの誤訳かと思ったらもともと原文がそうなんだろうね。訳者にはまったく同情を禁じ得ない。
 でも100ページを過ぎたあたりで、この文章にも慣れてきた。フィクションとノンフィクションの混ざったあたりが、円城塔みたいにも思えてきたのだ。コンピュータのアルゴリズムが出てくるのはまだまだ後。まずは形式論理学の始まりから集合論、ラッセルのパラドックス、ゲーデルの不完全性定理へと続く。
 慣れれば面白いのだけれど、それにしても普通の数学史じゃない。それと、縦書きの文章に数式が90度回転して入っているのはどうにも読みにくくて仕方がない。
 でもこのあたりの再帰性、リカーシブ、自己参照といった話は、ぼくの学生時代の興味の中心だったところでもあり、面白く読めた。ところが本書の後半になって、いよいよコンピュータのアルゴリズムの話になるのだが、どうも著者の言いたいことがピンと来ない。物理と数学を対比させ、連続量の世界と離散的な(デジタルな)世界、実数と自然数、無限と有限とを対比させているようなのだが、ここであえてそうする意味がよくわからないのだ。そこに「意味」とか「情報」とかをからますので、ますますわからなくなる。
 ぼくの意識では、連続性はあくまで極限であって、情報も物理の世界に普通に統合され、物理的現実と情報的仮想現実に(人の意識の観点からは)絶対的な違いはない(イーガンみたいなSFを読んでいるとそう思うよねえ)と思えるので、このこだわり方がよくわからないのだ。

『猿猴』 田中啓文 講談社文庫
 田中啓文の文庫書き下ろし伝奇小説。
 聖徳太子による「人類滅亡」の預言。冬山で遭難した奈美江が洞窟で見たものは? ホラー映画で、みんなにそっちへ行っちゃいけないと突っ込まれながらも、必ずそっちへ行ってしまうようなタイプのヒロインである奈美江は、とにかく子供は流産するし、姑にぐちぐちと嫌みを言われるし、夫には冷たい目で見られ、友人には裏切られ、変な男にレイプされ、その結果生まれた子供はあっという間に成長していく奇怪な子供で、おまけに怪しい宗教団体にその子を拉致されてしまう……。
 とまあ散々な目にあいつつ、猿に関わる神話的世界に巻き込まれ、拉致された子供を奪還しようと危ない私立探偵に近づき、今度は宝探しモードになって、宗教団体と追いつ追われつ、野人やUMAが跋扈し、そして人類進化史の中で隠された世界の謎に迫っていく……。
 まさに波瀾万丈な物語だ。日本神話にかかわる伝奇小説、個性的なというか、とっても怪しい集団での宝探し、それからUMAに関する蘊蓄と、作者の他の作品でも扱われていたテーマがてんこもりで、馬鹿馬鹿しいほどの過剰さも含め、いかにも作者らしい作品だ。
 とはいえ、ゲロゲロでグロテスクな描写はあるのだが、いつものぐちゃぐちゃさに比べればずいぶん大人しく、むしろパロディの楽しさがある。特に、怪しいおっさんたちと奈美江による宝探し小説の部分は、とても楽しく読めた。オチはまあ、見え見えではあるのだが、これはこうでなくちゃしょうがないわなあ。


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