ウィアード・インヴェンション〜戦前期海外SF流入小史〜072

フヂモト・ナオキ


フランス編(その三十三) サンドラルス/飯島正訳「世界の終り」La Fin du monde filmee par l'Ange N.-D

 飯島正の自伝的エッセイ『ぼくの明治・大正・昭和』青蛙房、1991年には、次のようなくだりがある。

 ぼくは『新思潮』に、『地球の冷却』という、ぼくとしては破格のS・Fの戯曲を書いた。それには、ぼくなりの理由があった。なぜこんなSFものを書いたか、ぼくにはわかっている。それはちょうどその頃、ぼくがジュール・ロマンの詩や小説に参っていて、辰野先生の御叱正にもかかわらず、ロマンの全作品を読んでいたこと、また、ブレーズ・サンドラール(ぼくは当時サンドラルスと書いていたが)の映画的な詩に惚れこんでいて、彼のシナリオ長篇詩『世界の終り』を特に愛読したこと、こういった精神状態が、ぼくに『地球の冷却』を書かせたのである。簡単にいってしまえば、ロマンのユナニミスムと、サンドラールの『』にヒントをえて、「地球の冷却」の料理をしたにほかならないのだ。発病以前の疲労困憊したぼくの、即席のやっつけ仕事だといってもいい。もっとハッキリいえば、地球の冷却というテーマは『世界の終り』の焼き直し、そしてそれに対する人類の行動がユナニミスム、となる。だが、ふざけていえば、これは日本最初のS・Fドラマ、ということになるかも知れない。

 この『地球の冷却』は、<新思潮>に発表したとあるが、実際はその後にかかわったとする<青空>という同人雑誌に三回にわたって掲載されたもの(1927年3,4,6月)。
 サペレエ博士という気象学者が地球の寒冷化を予言。美人助手のフロオラに惹かれた通りすがりの若者ベルグマンが、熱帯地方への移住プロジェクトを牽引する一方、移住をせずに燃料買占めに走る資本家。理論は寒冷化を支持するが、果たしてその通りに現実は推移するのか、大勢の人間が自身の言葉によって故郷を捨てる様に、重圧を感じる博士。
 という筋立てからすると『日本沈没』みたいな重厚な話になりそうなんだが、なんか薄味なんだよねえ。

 では、その触媒となったブレーズ・サンドラルス(サンドラール)Blaise Cendrars(1887〜1961)の「世界の終り」はどうか。

 実業家風の「父なる神」がいきなり登場する。事務室で彼は世界の宗教家たちから報告を受け賃借対照表を作り、年間の成績を記録する。
 そこに彼の来訪を請う火星からの電報が届く。
 この地球には惑星間を結ぶマスドライバーが稼動しているらしい。

インテルラルケン。火星の停車場。ユングフラウの連山の麓に輝く巨大な建物。山の中には至る所に工場がある。工場施設。マスト。煙突。大きな水道。橋、横墻、ケエブル、塔門、タンク、谷間のタアビンの吐く息。遊星間の列車は大へんな響きで到着する、峯から峯に張つた磁性の網に落ちる。エレヴェイタは上つたり下つたりする。強い光力のプロジェクタが光る。光の信号。視覚的色彩電信。出発時の列車は巨大なダイナモのパチンコに依つて捕へられ、投げ飛ばされる。超紫線の閃光。螺旋の巻きがもどる。列車は出発した。その後部の信号燈が星の一ぱいある空に消えてゆくのが見える。

 火星で「父なる神」は「シネマを作る意志」を示す。パリにいた「技師天使N・−D」は神の意向を受けて喇叭を吹き鳴らす。
 そして終局へ向かう世界の様子が「コマ落し」あるいは「高速度撮影」で描写されていく。

 <映画往来>の1929年6月、7月掲載。編集を担当した北川冬彦は後記に「シナリオ風に書かれた小説である。読物として絶好であると信じる」と記していた。

 これといったストーリーのある話ではないけれども、1920年代に、こんなスタイリッシュな散文を読んだら、そりゃ夢中になるだろ、ってところ。

 サンドラールは生田耕作ブランドが張り付いてるせいか、本屋で見かけても、高っ、と買えずに来たんやが、やっぱり読むと楽しいかも。

 なおサンドラールはギュスターヴ・ル・ルージュすきー、で、「コダック」ってのにその影響が如実とか。
 「世界の終り」を収録した『サンドラルス抄』厚生閣書店、1929年には「コダック」からも幾つか訳されてるんだが、どのあたりがル・ルージュなのかはよくわからん。


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