ウィアード・インヴェンション〜戦前期海外SF流入小史〜073

フヂモト・ナオキ


デンマーク編(その一) ヨハンネス・ヴイ・ヱンセン/光成信男訳『世界の始め』The long journey; Fire and Ice[Den lange rejse(Den tabte land/Braen)]

 ヱンセン(ヨハネス・ヴィルヘルム・イェンセン) Johannes Vilhelm Jensen(1873〜1950)といえばノーベル賞作家、とはいえ邦訳はほとんど見当たらない。戦前訳に『世界短篇小説大系』の木村信児訳「処女」、戦後だと『少年少女のための世界ノーベル賞文庫2 文学賞編 下』東西文明社と『北海の白鳥』関西デンマーク協会に平林広人訳の随筆「フジヤマ(富士山)―イェンセンの日本印象記」があるのと、『ノーベル賞文学全集第二巻』主婦の友社に竹内孝次訳「ヒンマーラン短編集」ということで「気はやさしくて力もち」「アーネと牝牛」「闇の帷の中で」「眠りこそわれらがいのち」「セーシル」「むっつりモウエンス」「イェスバー牧師」「三十三年」なんてとこが収録されているものしか行き当たりません。どんだけマイナーやねんデンマーク。いや、もはや世界的にイェンセンは読まれてないってことかもしれんが。

 唯一の邦訳長編が科学小説と銘打たれた Den lange rejse[長い旅路]の第一部と第二部をまとめて英訳したFire and Iceからの重訳『世界の始め』聚芳閣・1924年。

 Den lange rejseのリストをネットからひろってくると
(1)Den tabte land[失われた国], 1919 (2)Braen[氷河], 1908 (3)Norne Gast[ノアネ・ゲスト], 1919 (4)Cimbrernes tog[キムリー人の遠征], 1922 (5)Skibet[船], 1912 (6)Christofer Columbus[クリストファー・コロンブス], 1922
 おお、なんか年代をいったりきたりしてるけど、途中からシリーズ化とかなのかっ。英訳版は二部づつをFire and Ice/The Cimbrians/Christopher Columbusという三巻で刊行した模様で、確認はしていないがビミョーにアブリッジされてる疑惑。

 邦訳は第一編も第二編も「常夏時代」って扉になってるけれど、これはあきらかに誤植。 第一編は、火を噴く山/森の変化/人間創生時代/森の火/山の上/火と人間/フアイルの恋/最初の猟人/犠牲。
 第二編は、カール/無人国/冬/追放された人/永劫の死/洞窟の生活/猟師の生活/海/マムの習慣/カール火を打ち出す/カールの息子等/一角獣/ホワイト・ベアーと其の愛人/雪解
 ってな章だて。

 第一編は、活火山 Gunung Api グヌング・アピーの麓の生物相の変遷から、大火の中で生まれフアイル(火)と呼ばれることになった一人の男の物語が語られる。フアイルは一人グヌング・アピーに登り、その高地の見晴らしから太陽運行の法則性を見出だし、溶岩から火をとり出し、それを養う方法を獲得して部族の元に帰還する。フアイルはさらに斧や槍を開発し、獣に対して人類の圧倒的優位を獲得させる。
 第二編は、氷河期の物語。消えた火の責任を押しつけられて追放されたカールは、苦難の中で毛皮の衣類や靴を開発し、犬を飼い馴らす。そして遭遇したマムと夫婦になるが、マムも獣毛を編んだ衣類やら木を加工した靴やら蘆で作ったバスケットを開発。カールはさらに火打石を使って火を作りだすことにも成功、カールの子孫はその後形成された部族の中で特権階級となり酋長として君臨する。尊大な酋長フアイアーグリムがメ―と呼ばれた娘との結婚に難癖をつけたため優秀な狩人ホワイト・ベアーはぶち切れて、フアイアーグリムの息子の一人を殺して氷原の彼方へと立ち去り船を造り出す。

 いろいろ工夫して開発するところがSFですね。

 翻訳者光成信男は1896年広島県生まれで、早稲田大学を卒業してしばらくは<二六新報>の記者をやっていた模様。なんか井伏鱒二の先輩として、いろいろ面倒をみていたらしいのだが、そのあたりまでは追いかけられてません。
 『世界の始め』刊行後に<音楽と蓄音器>という雑誌に「長い旅―フアイルの恋」と題して同作の一部分を連載。原始時代の歌がどんなものであったかを想像したパートを紹介するってな主旨が述べられていたと思うけど、単行本がありますというプロモーションが一切なかったところからすれば原稿の二重売りなのかっ。
 <解放>に発表された戯曲「一本足」は人体を栄養食品として加工する話だし、他「七人目の殺人」もSF。
 <少年戦旗>に出た科学読物「農村電化とはどんなことか」では、電気力で労働が効率化されても、時間短縮によって賃金は低下し、電気代の徴収がさらなる貧困をもたらす様が描かれ、科学技術の進展が単に資本家に富をもたらすだけになっている社会構造を暴き出す。極めて理知的な人物であったと思われ、埋もれた作品の発掘とともに、その再評価が待たれる。
 <大阪朝日新聞>の懸賞に応募して入選した「罌粟坊主を見る」(同紙夕刊1929・9・25〜11・22不定期連載)については、島田清次郎伝を出して高い評価を得ている風野春樹さんが、何か発表される予定らしい(まあ、そう言いつつもう何年もたっているわけですが)ので期待。

 『世界の始め』の一節「彼は不可浸の血統である、フアイアグリムの息子の一人を殺したのであつた。」とか結構目をつけられそうなところだが、揉めなかったのかねえ。おそらく、昭和ヒトケタの内に転向させられてそうな気が。1939年あたりからは陶器の話しか見当たらないし。<古美術>に書いているところからすれば、蘭郁二郎との交流があったのかも。


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