内 輪   第281回

大野万紀


 2014年になりました。あけましておめでとうございます。
 小川一水さんのツイートで、ジッパー(ファスナー、チャック)を考え出した人はすごいというのがありました。確かにそう思います。あんな機構の発想がどこから出てきたんだろう。いや、この前ズボンのジッパーが壊 れちゃったんで、よけいそう思うんですけどね。昔『ねじとねじ回し』という本を読んだことがあるけど、こういうのって面白い。Wikipediaを見ると、かなり複雑な歴史があるようです。
 でもジッパーって、壊れたときどうしようもなくなるんだよね。そこがいらつくところです。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『深海大戦』 藤崎慎吾 角川書店
 積ん読になっていた8月の作品。帯に「巨弾ロボットSF」とあるが、まあ間違ってはいないけれど、印象としてはロボットはあんまり関係ない。むしろ正統的な海洋SFだ。
 近未来の日本近海で、メタンハイドレート採取基地の警備を行っていた海洋漂泊民〈シー・ノマッド〉出身の主人公、宗像逍は、謎の大事故に遭遇する。その後彼は、シー・ノマッド集団の「オボツカグラ」に属することになり、そこでバトル・イクチオイドのパイロットとなって、海洋テロリスト集団との戦いに巻き込まれることとなる……。
 このバトル・イクチオイドというのが、搭乗型の人型ロボットといえるのだけれど、むしろ海洋生物を思わせる造形で、動きもそんな感じ、あんまりロボットという感じじゃない。それはともかく、近未来の海洋漂泊民の集団とか、海底開発とか、そんなディテールがしっかりと書き込まれていて、そこがすごく面白い。作者の面目躍如というところだ。深海での戦闘も迫力があって、いかにもそれらしく描かれている。
 しかし、アンフィという妖精のような存在が主人公の目には見えて、色々とサポートしてくれたり、ナン・マドール遺跡で謎めいた存在を見たりと、ストレートな海洋ハードSFを越えた展開も予想される。ここはどう決着をつけるのか、ちょっと気になるところだ。まあSF的に解釈しようと思えば、作中でもほのめかされているように、異星人か超技術が関わっているように思える。いや、わからないよ。以前の作品ではニュー・エイジに近しいものもあったし。
 というか、本書の最大の問題は、完結していないということだ。まだ続きがあるとは知らなかったよ。早く続きを出してください。

『ルーティーン』 篠田節子 ハヤカワ文庫
 書き下ろし1編と、エッセイ1編、それに山岸真との対談を含む12編が収録された〈SF短篇ベスト〉集である。編者は牧眞司。詳しい編者の後書きがついている。
 篠田節子は以前からとても気になっている作家の一人であり、『はぐれ猿は熱帯雨林の夢を見るか』は読んでとても気に入っていた。本書もすばらしく、また好きになった。
 SF短篇集というが、本格SFといっていい「子羊」、「世紀頭の病気」、「人格再編」、より幻想性が強く不条理感覚が強烈な「コヨーテは月に落ちる」や「ルーティーン」、怪奇・ホラー風味の強い「緋の襦袢」、「恨み祓い師」、「ソリスト」、「沼うつぼ」、文化人類学SFといっても通じる「まれびとの季節」など、バラエティに富んでいる。そのいずれも描写や考察が深く、そのくせとても読みやすくて、解説でも書かれているように小松左京や筒井康隆との親和性を強く感じた。
 ホラー系の作品にしても、そこにはしっかりとしたロジックがあり、確かにSF的といっていい。
 ぼくが本書で最も印象に残ったのは「コヨーテは月に落ちる」だ。この冷たく絶望的でありながら、深い官能性を感じる破滅のイメージは、ぞくぞくするほど素晴らしい。

『躯体上の翼』 結城充考 東京創元社
 本格SFである。
 いつとも知れない未来。かつての大戦争により地上は荒廃し、炭素繊維躯体と呼ばれる高層の構造物が廃墟となって広がっている。そこに棲む人々は、文明を失い、原始的な暮らしをしている。その上空には、千年前から緩やかに衰退する〈共和国〉の緑化政策船団が浮かび、”人狗(ヒトイヌ)”と呼ばれる太古からの敵と戦っている。
 主人公の員(エン)は、〈共和国〉の生体兵器として造られ、数百年にわたって孤独な戦いを続けている少女――いや、遺伝子的には女性なのだが、そういう特質は重要ではない。ただ、そんな彼女が、か細い通信経路を通じて受け取ったcyと呼ばれる存在からのメッセージによって、そのまだ見たことのない「彼」のために、緑化政策船団211隻の全てを堕とすことを決意する、そんなボーイ・ミーツ・ガールな、切ない物語がある。
 ストーリーは単純で、員の〈共和国〉に対する孤独で凄まじい戦い、それがほとんど本書の全てである。相手は因習でがんじがらめにされた強権的な官僚機構に盲目的に従う(ほとんどブラック企業の従業員だ)軍隊組織。それを指揮するのは、保存状態が悪く、腐りかけた肉体にダウンロードされた〈道仕〉と呼ばれる男。有能だが、冷酷で無慈悲な彼はたちまち船団の指揮を無能な師団長から奪い、人々を駒のように使って反乱者である員を殲滅しようとする。肉体的にはまるでゾンビのような、凄まじい最悪の敵だ。
 それにしても、この黄昏ゆく世界の寂寥感、虚無感、切なさは何たるものか。激しい戦闘が描かれるが、爽快さはかけらもなく、ひたすら暗くむなしい。漢語を多用して描かれる異界と化した未来のイメージは、『皆勤の徒』の世界観にもつながるものがある。硬質な抒情と帯にあるが、本書の一番の魅力はそこにある。員のハッキングにより権限を奪われ、戦闘ができなくなる兵士たちの描写があるが、それはバカバカしくコミカルな状況であるにもかかわらず、残酷で哀しい。目の前のリアルよりも規則や制度を絶対視され、現実性を失って衰退していく、腐敗した強権国家のシステム。そんな中で暮らし、生きていく、未来も歴史も失った人々の姿。員の鮮烈な戦いは、そういう重い世界を浮き彫りにしていく。
 明日はある。でもあさってはないかも知れない。すぐにではないが、徐々に崩壊していく世界。この未来のない、あきらめに満ちた閉塞した破滅のイメージが圧倒的だ。

『天冥の標 VII 新世界ハーブC』 小川一水 ハヤカワ文庫
 三部作になった6巻の続きで、今度は短め。もっとも話は6巻からそのまま続いているので、6巻のPart4といった方がいいのかも知れない。
 太陽系の人類がほとんど滅亡し、セレスの地下に生き残った5万人――それもほとんどは二十歳以下の子どもと若者ばかり。ハイティーンである主人公やスカウトたちが、彼らを生き延びさせるために、きつい努力を重ねていく。
 前半はかなり読むのが辛い。というのも、子どもたちばかりの生き残り5万人を何とか組織し、秩序を再建しようとするのだが、それなりに成功したと思ったら、現実の前に次々と破綻し、これでもかというくらい悲惨な状況になっていくのだ。子供たちが大勢死んでいく。
 しかし、そこを、いってみればエリート集団の団結と意志と強権でもって何とか乗り越えていき、後半では新世界の構築がはっきりと目に見えてくるまでになる。そして、ついに1巻との関わりが明確になるわけだ。
 先に読んだうちの奥さんは「ぎょえー」と叫んでいたが、ここまで読んでいれば、まず想定の範囲ではある。しかし、人々と世界のつながりは明確になってきたけれど、まだまだ謎は多く残されている。例えば、誰もが気付いていながらはっきりと口にすることのない重力の謎。ほとんど滅びたとはいえ、絶滅したわけではない新世界の外側の勢力の力関係。どうもそれは新世界内部へも影響しているようだ。いくつか解釈はあっても、普通に考えると色々と矛盾が出てきて、悩ましい。この後どうなるのか、期待が高まる。
 本書では、6巻で出てきたキャラクターたちが、悩みつつも逞しく事態に立ち向かおうとする姿が描かれる。そこは痛々しくもあり、よくがんばったと誉めてやりたいところでもある。これまでの様々な伏線が、なるほどという形で生かされている。
 けれど本当に気になるのは、この小世界が実は閉じた世界ではなく、羊の中のノルルスカインや、カルミアンや、おそらくは〈救世群〉をも通じて、本書では描かれていない外部とつながっているということだ。
 それにしても、このところ重い話ばかり続けて読んだので、次は思いっきりのーてんきな話が読みたい気分です。

『ウは宇宙ヤバイのウ!』 宮澤伊織 一迅社文庫
 重い話ばかり読んだので次は思いっきりのーてんきな話が読みたいといっていたら、勧めてくれた人がいたので、読んだ。うん、のーてんき。すごく満足。
 ラノベです。可愛い女の子のイラストがいっぱいで、水鏡子ならともかく、いい歳したおっさんが電車の中で読むのはちょっと恥ずかしい。だけどその昔、少女マンガを電車の中で読みながら「萩尾望都が」「三原順が」といっていたのを思えば、まあ似たようなものか。
 高校生の空也は実は星間諜報局の敏腕エージェント。世界線混淆機を起動させたため、並行世界が混ざり合って記憶を失い、幼なじみのちよ(実はお腹の中にブラックホールがあって、とても食いしん坊)や、従姉妹のヌル香(非数値ヌル香。実は空也=クー・クブリスのすごい偵察船〈ヌルポイント〉が姿を変えたもの。口が悪い)と学校へ通っている。そして高校の偵察部にいるのは、クーの上司、コードウェイナー菫と、州谷州わふれむ。みんな美少女。そして凶悪な宇宙人たちの艦隊が、クーに復讐しようと地球を取り囲み、世界が滅ぶ5秒前というわけだ。
 しかしこういう楽しさって、ぼくらの世代だと吾妻ひでおのマンガでキャハキャハいっていたのと同じ。さらにいえば、「広くてすてきな宇宙じゃないか」(キャラメルボックスじゃなくて、ヴァンス・アーンダールの方)くらいまで遡るし、例えばティプトリーの「たった一つの冴えたやり方」だって、基本にあるのは同じ、にぎやかにわいわいとSFを楽しむ感覚だ。ダグラス・アダムスの『銀河ヒッチハイク・ガイド』なんかもそうだな。それのどこが嬉しいのかって? 読むとにやにやしてきて、嬉しいんだからしょうがない。
 作者が才能のある人だと思うのは、ちょっとした細やかな情景描写のうまさだ。正直、肝心の戦闘シーンなどは大ざっぱで適当すぎる感じだが、細かなひねりが多くて楽しく読めた。


THATTA 309号へ戻る

トップページへ戻る