内 輪   第293回

大野万紀


 痛ましいニュースが続いて気持ちが暗くなります。こんな時は楽しいSFを読んで、未来に希望を持ちたくなるのですが、最近はなかなかそういうわけにもいかないですね。ここは昔のSFを読み直すというのがいいかも。

 SFマガジンが隔月刊になりましたが、その4月号から「ハヤカワ文庫SF総解説」という企画が始まるということで、THATTAの関係者もそれぞれ何冊か解説を執筆することになりました。
 というわけで、古いSFを読み直しているのですが、やはりいいものはいい。火星に生物がいても、一般人が携帯電話を使っていなくても、未来のコンピュータがパンチカードを読んで磁気テープを回していても、面白いものは面白い。
 年寄りの繰り言かもしれないが、未来に夢や希望がもてるような、そんな脳天気な話も今あえて読みたい気がします。いいじゃないですか、今の現実から離れてみるのも、SFの楽しみの一つなのですから。

 それでは、この一月ほどで読んだ本から(読んだ順です)。

『鹿の王』 上橋菜穂子 角川書店
 分厚い上下巻で、かなり複雑なストーリーだが、ぐんぐん読めるのはさすがだ。中国とその支配下にある北アジア・中央アジアを思わせるような架空世界でのファンタジー。その地政学や世界観、自然や民族はよく作り込まれているが、あまり重要ではない。
 かつて栄えた王国だったが、強大な東乎瑠(ツオル)帝国に征服され、その支配下にあるアカファの地。帝国の領主と、帝国に服従しているが自治権ももつアカファ王の二重統治がなされている。この地には遊牧民や山岳民など様々な民族が暮らしているが、そこに帝国の領地から半ば強制的に移住させられた移住民が入り込み、先住民との間で様々な摩擦が生じている。そしてアカファ王国より前にこの地を支配していたのが古オタワル王国であり、その優れた技術や医術を今に伝えるオタワル聖領がある。こういった複雑な設定があり、そしてそれは物語の背景となる複雑な陰謀や権謀術策に深く関わっているのだが、それでも本書の中心テーマではない。まあ、地図くらいあっても良かったとは思うが。
 本書の中心にあるのは二人の男の物語である。一人は主人公のヴァン。帝国と最後まで戦った勇猛な戦士であり、敗北して岩塩鉱で働く奴隷となっていたが、ある時謎の犬たちに岩塩鉱が襲われ、彼と、幼い女の子のユナを残して皆殺しにされる。ユナを連れて脱走した彼は、移住民たちの村に落ち着くが、謎の犬に噛まれたせいか、犬と一体化するような不思議な力を得る。もう一人は、オタワルの医術師ホッサル。謎の犬に噛まれることで発症し、死に至る病を研究し、その治療法を探ろうとする。二人と、それを取り巻く多くの人々の運命が複雑に交差していく。
 真のテーマはこの病気である。病気そのものというより、現代の言葉でいえば細菌やウイルス、免疫系や人体の体内細菌などから構成される人間という複雑な一つのシステム、そしてそこから類推される人間集団、社会、民族、国家とその活動、栄枯盛衰のシステムである。病気の原因についても、地衣類や植物、それを食する動物たちとの関係が、人間の移住による環境変化で変異したことが想定される。架空世界のファンタジーではあるが、こうなるとまさに生態学・医学・生物学SFだといってもかまわないだろう。ぼくはマッキンタイアの『夢の蛇』を思い起こした。
 魅力的でかっこいい登場人物たちが、信念にもとづいて活躍し、二転三転するミステリアスなストーリーとあいまって、読み応えのあるエンターテインメントとなっているが、主要人物以外に同じような位置づけのキャラクターが複数登場し、かなりかぶっているので、名前がこんがらかって覚えにくかった。また征服された人々が帝国に立ち向かうのが、正義のレジスタンスではなく、哀しいテロリストとして描かれているのは、いかにも現代の物語だなと思った。

『営繕かるかや怪異譚』 小野不由美 角川書店
 雑誌「幽」に連載されていた連作短篇を改稿して収録したもの。6編が収録されている。
 『残穢』に近い雰囲気のある、リアルっぽい怪談集である。グロテスクなショッカーではない。超自然的ではあるが、どこかで聞いたことのあるような、日常の中の闇をふと見るような、ささやかな怪異譚である。現れる怪異は、何となくもの悲しく、最後には無事に祓われるので、その意味でも安心して読める。
 舞台は海に面した古い城下町。この町の古くからある民家に、都会から帰ってきたり、家を継いだりして住むことになった住民たちが、その住居にまつわるありがちな怪異を体験する。一人暮らしなのにまったく使わない奥座敷のふすまが、何度閉めても開いている。老いた母親が「屋根裏に誰かいるのよ」と言い出す。雨の日に袋小路に佇む黒い和服の女が、しだいに自宅に近づいてくる。誰もいないはずの部屋に見知らぬ老人が潜んでいる。庭の古井戸を改修してから、生臭い臭いのする怪しい何かが現れるようになる。事故物件のガレージに、「ママ、ママ」と呼ぶ子どもの霊が出る……。
 そこに登場するのが、営繕屋の尾端。霊能力があるわけでもないのに、怪異を理解し、住居の修繕をすることでそれを封じたり祓ったりして、恐れることのないように「営繕」するのだ。奥座敷の壁には窓を開けて手水鉢を置き、吹き抜けに天井板を張って瓦を封じ、袋小路の門の内側に垣根を作って木戸を付け、古井戸を埋め戻し、ガレージの古いシャッターを取り替える。そういった何でもない、ちょっとしたマジックが、怪異を鎮める。風水みたいだけど、そんな理屈や大げさなものではなく、明かりを入れたり風通しを良くしたり、海水の混ざる井戸を埋めたりと、わかりやすく生活に密着したものだ。それが霊の世界にも通じていく。霊を敵視して戦うのではなく、霊に安住の場所を与えるのだ。
 淡々とした話だが、怖いだけではなく懐かしい感じのする古い家の話である。

『vN』 マデリン・アシュビー 新☆ハヤカワ・SF・シリーズ
 カナダ在住の女性作家、根っからのSFファンにして日本アニメ研究者、マデリン・アシュビーの、2012年に出た第一長編である。
 大森望の訳者解説にも詳しいが、ここで「vN」というのはフォン・ノイマン型ロボットを指している。にもかかわらず登場するのはそんな従来型のロボットじゃなく、バイオなヒューマノイドである。急速に成長し、体を切り刻んでも再生し、男性形でも女性形でも関係なく「複成」によって子どもを産む。人間と同じように自意識をもって考え、感情があるが、アシモフの三原則をより厳しくしたような「安全機構(フェイルセイフ)」によって人間に従属している。人間に危害を加えることができないのはもちろん、どんな相手にでも従わなければならないのだ。
 ヒロインのvN、エイミーは、5歳の幼女として登場するが、幼稚園の卒園式に彼女の(vNの)祖母(安全機構が壊れている)ポーシャが乱入し、人間の子どもを殺してしまう。祖母の目的はエイミーの奪取だった。エイミーはポーシャに噛み付き、何と丸ごと食べてしまう。その結果、エイミーの頭には、安全機構のいかれたポーシャの心が同居し、彼女はあっという間に成長して、セクシーな大人の女性の体に変身する。かくしてエイミーの逃避行が始まる。彼女は逃亡の途中で、男性型のvNハビエルと知り合い、行動を共にする。ハビエルは逃亡中に自らの赤ん坊を複成し、ハビエルの他の子どもたちもエイミーの逃避行に関わってくる。
 ストーリーは基本的にエイミーとハビエルが、追っ手の人間たちや、ほとんどゾンビみたいなvNの叔母たちと闘いながら、新天地を求めて行こうとする様子を描く。だが、ストーリーラインはかなりねじれていて、わかりづらい面がある。噛み付き、食いちぎろうとする大量の叔母たちはゾンビ映画のように描かれ(体がバラバラになっても戦い続ける女たち、というところで、ぼくはマンガ「クレイモア」を連想した)、後半には何とクトゥルーものかと思わせる部分もある。
 だが、どうやら本書の本当のメインストーリーは、パラノーマルなロマンスものというところにあるようだ。エイミーとハビエルの関係は(ハビエルが子どもを産むといったジェンダー的なひねりはあるにせよ)、恥ずかしくなるほどの純愛ロマンスであって(今回はキスまでだけど)、その他は全部蛇足に思えてくる。思えばvNの設定からしてラブドールを思わせ、ロリコンからSMまで、様々な性的なニュアンスが本書には満ちている。このシリーズの第2巻は、訳者によればさらにセクシャルな要素が強いとのことだから、ロマンスものに軸足があるのは間違いないところだろう。そうであれば、SF的なリアリティをあまり重視していないことも、納得できるというものだ。

『天冥の標 VIII ジャイアント・アーク PART2』 小川一水 ハヤカワ文庫JA
 第8巻の後編。物語はとうとう未知の領域へ入ってきた。帯にある「ふたたび物語は動き始める」というのは本当だ。でも、まだ何もかもが途中なので、今何かをいうことはできない。面白くて、わくわくして読んだとだけいっておこう。しかしタイトルが長い。
 世界はあいかわらずひどい状況には変わらないが、みなが先を目指すようになり、新たな未来の可能性が見えてきたようで、ようやく少しほっとした感じ。でもまだわからないけどね-。
 懐かしい名前が出てきたり、以前からちらほらと現れていたあの二人組が正面に出て活躍したりする。
 主なストーリーは3つ。メインは、セアキ、ラゴス、イサリ、ユレイン、といった主人公格の面々が、世界の頂上を目指して進む探検行。もうひとつは咀嚼者(フェロシアン)に襲われた地上で、混乱の中から新たな秩序の確立をめざすエランカの、世界再統一の戦い。もうひとつは、地獄のようなドロテアの中に捕らわれた、アクリラの断章だ。いずれも道途中であり、次巻へと続く。はやく続きが読みたいよ。
 しかし、今年2015年は、〈冥王斑〉がパンデミックを起こす年なんですよねえ。恐ろしいな。

『筺底のエルピス -絶滅前線-』 オキシタケヒコ ガガガ文庫
 オキシタケヒコの初長編はラノベだった。タイトルの意味は、作中でも言及されているパンドラの箱、エルピスはギリシア語で「希望」のこと。ただ、ギリシア神話では「予兆」と解釈することも多いそうで、本書の場合もそっちの方が合っているように思う。
 物語の骨格はよくあるラノベそのもので、人間に取り憑いて殺戮の限りを尽くす「鬼」または「悪魔」と呼ばれる存在があり、古来よりそれを討伐することを使命とする〈門部〉と呼ばれる組織がある。主人公は家族を「鬼」に惨殺され、〈門部〉の一員となった青年と、同じ境遇のまだ高校生の少女。過去にとらわれ悩みつつも、鬼を相手に特殊な超越テクノロジーの武器を駆使して戦うのだ。そんな異能バトルな物語。
 本書では「鬼」を「殺戮因果連鎖憑依体」と呼んでいて、面倒なことに、殺したら殺した相手かそれに最も近い相手に乗り移ってしまう。その連鎖を断ち切るには、とんでもない方法があって……、というのが本書のSF的なメイン・アイデアにつながっている。
 ネタバレになるのであまり詳しくは書けないが、人類の未来はあらかじめ運命づけられているということだ。それがわかっていて、それでも人類のために死闘を尽くすという、なかなか泣ける設定ではあるが、でもねえ、あらかじめ失われた未来の中で、今戦うことの意味に悩むとすれば、ちょっとナイーブすぎるかもと思う。まあ、あっさりと書かれているだけなので、あまり重さは感じられず、そこをもっとじっくり描写を入れれば寂寥感あふれる話になったかも知れない。
 SF的な設定は細かく、しっかりとなされているのだが、まだまだ全貌はわからない。面白かったので、続編が期待されるところだ。

『その女アレックス』 ピエール・ルメートル 文春文庫
 ベストセラーでとても評価の高いフランスの犯罪小説。ふだんあまりミステリは読まないのだが、あまりの評判に読んでみた。なるほど、面白かった。でも内容はかなりきつい。ひどく悲しい小説である。
 犯罪小説であり、警察小説であって、謎解きというものではないが、時系列的にストーリーが事実を明らかにしていくに従って、登場人物に対する読者の印象が逆転といっていいほど変わってくる。そこが確かにすごい。三部に分かれているが、それぞれで読者の背景に関する情報と知識が大きく変わってくるので、まるで別の話のように読める。
 その中で一貫しているのは、警察側のキャラクターだ。主人公といえるパリ警視庁のカミーユ警部。背が低く、有能だが、過去の事件のトラウマを抱えている。いつも高級なブランド品で身を固めた富豪刑事(という言葉は出てこないが)のルネ、反対にいつも貧乏くさい倹約家のアルマン、そしてカミーユの上司であるル・グエン部長。この個性的な4人の活躍ぶりがとても面白い。
 本書のもう一人の、そして真の主人公であるヒロインのアレックス。冒頭では謎の男に拉致され、虐待される被害者として登場するが、その後の展開で、彼女の真の姿が見えてくるにつれ、その強烈な魅力というか魔力に驚かされることになる。その印象は逆転また逆転だ。もっとも彼女の側からすれば、最後までまったくぶれはなく、一貫しているのだが。
 そして最後は、ともかくも正義がなされたと思わせられる(真実かどうかは別にして)。ところでぼくの読み落としの可能性もあるけれど、読み終わって振り返ってみると、あれっと思うこともある。ちょっと気になるが、まあ大したことじゃないのだろう。

『太陽・惑星』 上田岳弘 新潮社
 新潮新人賞受賞作「太陽」と、芥川賞候補作「惑星」を収録し、大森望が絶賛といえば、あー、まーそんな話かと思って、でも読みたくなるんだな、これが。で、読んでみた。あー、まーそんな話だったけど、でも確かに傑作だった。そしてすごくSFだった。
 実際、伝統的なジャンルSFの流れから読んでも、とても面白かった。もちろん宇宙船に乗って飛んでいくような話ではない。まず思ったのはヴォネガット。それからテッド・チャン。俗っぽい個人の語り口でありながら、視点は宇宙的というか、太陽や地球や人類といった側にある。まさにそこがSFだ。
 どちらの作品もひどく個性的な多くの登場人物が様々な因果で関わり合い、その時系列的な個別の因果の果てに、時間のない全的な統一あるいは融合へと至る。この人類滅亡ともいえる最終形態は、SFでおなじみのオーバーマインドであり、シンギュラリティの彼方であり、集合意識であり、諸星大二郎なら「ぱらいそさ行くだ」であり、まーそんなものだ。ただ本書では、それを外から、時空を超越して俯瞰的に語る視点を採用しており、それってヴォネガットのトラルファマドール的視点だったりして、とても気持ちよい。
 「太陽」は、アイドルになりそこねた元アイドルのデリヘル嬢、女に目のない大学教授、アフリカで赤ちゃん工場を経営していた大天才の男、彼の書いた人類の未来を予言する論文と、彼の遺伝子をもつ赤ちゃん工場出身の男、その実態を調査しようと組織された国連の調査団、そういった大勢の人間の赤裸々な関係性(偶然が支配することからはむしろ無関係性)が、未来の「第二形態」に移行した彼らの子孫でもある一人の男の行動、「大練金」による人類の滅亡へとつながっていく。大練金というのは太陽の核融合反応を極度に進めて金を作り出そうとするものだ。あー、ハードSFじゃないから、科学的な厳密さは気にしてはいけない。
 「惑星」にも、「太陽」に出てきた人物が登場するので、二つは無関係ではないだろう。こちらは「太陽」でいうところの人類の「第二形態」を実現するガジェットの話といっていい。それはカリフォルニアのIT企業が開発する「最高製品」というものだ。人々はそれに接続し、その仮想現実の中で生きるようになるというもの。
 それを阻止しようと東京の精神科医である主人公の「最終結論」が、この黒幕である超天才の「最強人間」へ時間を超えたメールを送るという体裁である。ただ「最終結論」たる主人公はトラルファマドール的、あるいはテッド・チャンの「あなたの人生の物語」的視点の持ち主なので、全体を俯瞰しており、時系列は超越している。この「最終結論」対「最強人間」の、超人同士の異能バトルみたいな対決が面白い。この辺もテッド・チャンを思い起こした所以かな。
 どちらの作品も、未来も過去も全体として確定した時空の一点として自由に語ることができるという視点と、人間の個性というものも様々な「チェックポイント」にデジタル化され、その同一性によって(例えば冗長度を廃していけば)融合できるといった、現代風、デジタル風な味付けが見える。SFでいえばバカSFという分類に入るかも知れないが(いや現代的な本格SFかも)、こういうのは好きです。


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