続・サンタロガ・バリア  (第169回)
津田文夫


 毎年異常な暑さだというけれど、もはや日本の夏はこういう暑さが「平年」となりつつあるみたいだ。昔はこんなに暑くなかったっていう人が多い。たしかに50年前は子供たちは1日中外で遊んでたよねえ。ここ30年で子供の遊びが室内化したのは偶然ではなかったかも。

 エアコンを使わないので、毎年夏はステレオがお休み(電源は点けたまま)。でも寂しいので、扉と窓を開け放しのまま、小さな音で器楽曲などを時々聴いている。
 その中に、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』に使われてヒットしたラザール・ベルマン演奏のリスト作曲ピアノ曲集『巡礼の年(全曲版)』CD3枚組もある。この中の「第1年:スイスにて」に収められている「Le Mal du pays」を村上春樹が作品の音楽的メインテーマにしていた。「Le Mal du pays」は「郷愁/ホームシック」と訳されるのが一般的だけれど、このCDボックスの英文解説では翻訳するのがむずかしい言葉だとしている。曲自体は6分の小品で、指1本のシングルトーンで弾かれる主題旋律がリストの作品としては印象的だ。ラザール・ベルマンの演奏は誠実さを感じさせる見事なもので70年代半ばのアナログ録音はすばらしい。この3枚組で一番よく聞くのは第3年(CD3)の「エステ荘の噴水」で、昨年出た、女流ピアニストのエレーヌ・グリモーが水にちなんだ曲ばかり弾いた企画ものライヴ盤『WATER』に同曲が入っていて、聞き比べがなかなかおもしろいからだ。最新録音はライヴとはいえデジタルのダイナミックさはベルマン盤を遙かに凌駕しているが、なぜかエコーたっぷりで、ベルマンが具象絵画とすると、グリモーは印象派か朦朧体である。おまけに芝居気も感じられるので、ベルマンの後で聴くと通俗っぽく聞こえる。まあ、現役世代の音楽家と20世紀前半に確立された規範を身につけた音楽家では比較のしようがないのは確かだ。

 大森望・日下三蔵編『年刊日本SF傑作選 アステロイド・ツリーの彼方へ』は、年間SF傑作選第9集。ついこの間始まったような気がするけれど、もう9年目か。マンガ2編を含む全20編中、既読は藤井大洋、高野史緖、宮内悠介、森見登美彦、上田早夕里の5編。これらは何回読んでも楽しめる作品群だ。
 「SFマガジン」隔月化の影響もあって、今回も直球的なSF(もはやそんなものはない?)は少ない感じがするが、おもしろい話はいっぱいあって「SF」を名乗らないで売っても大丈夫そうに見える。しかし、それでは編者たちの「SF」アンソロジー魂が萎えてしまうかもしれないな。とはいえ、巻末に酉島伝法、梶尾真治、北野勇作、菅浩江そして上田早夕里と並ぶあたりが、SFアンソロジーとしての重しになっているみたいだ。
 今回の第7回創元社SF短編受賞作、石川宗生「吉田同名」は一読、筒井スラップスティックかと思ったが、資質はだいぶ違うようで、後半は収容所ものになっている。隔離された環境で大勢の自分が自分たちだけの世界を作り上げるのは納得しやすいが、「吉田同名ディアスポラ」という作品も書けるんじゃなかろうか。
 大森望の序文の1行目から脱字があったのはびっくりしたけれど、内容とは関係がないので無視しよう。

 コードウェイナー・スミス『アルファ・ラルファ大通り 人類補完機構全短編2』は、冒頭の「クラウン・タウンの死婦人」と表題作に圧倒されてしまう。小説の結構としては古典的であり、1960年代に書かれた物語としてはすでにパスティーシュとしてしか読めないにもかかわらず、イメージは読む者を圧倒し、作者の思いはあふれ、それでも辛うじて作品内にとどまっている。ここに書かれているのはファンタジーだが、コードウェイナー・スミスは表現としてSFを選んだ。それが好きだったから。
 「老いた大地の底で」もすごい話だが、スミスのパワーはやや弱く、古めかしい。しかし、この作品も含めてこの第2巻に納められた短編はすべてSFの歴史に燦然と輝く宝石だ。

 なぜか第1巻を読み損なっている若島正編『ベスト・ストーリーズⅡ 蛇の靴』は、巻末にバーセルミ、ニコルソン・ベイカー、ル・グィン、ジーン・ウルフ、マーク・ヘルプリンと並んでいるので、読んでみる気になった。
 まず浅倉さんが大好きだった映画批評家ポーリーン・ケールの「俺たちに明日はない」評が面白い。高踏的な映画評論家/インテリ批評にヤジを飛ばして、言いたい放題だけれど、読み手を引き込んで映画自体のおもしろさを納得させている。またロジャー・エンジェルの大学野球観戦記「野球の織り糸」も、語られていることは全く読み手と無縁なのに読ませる。
 多くの作品は異色作家短編集の作家ほどひねりを効かすことに重きを置いていないように見えるが、それでもウィットや皮肉やユーモアは示される。なかには「どこか変」というような感想が湧くが、何が変なのかわからないというものもある。
 そんな作品群の中で一番強い印象を残すのが、アイザック・バシェヴィス・シンガー「手紙を書く人」だ。初老の主人公はニューヨークの倒産寸前のユダヤ出版社で編集・校閲・翻訳をしている。いわゆる正統派ユダヤ人だ。彼は趣味で多くの人と文通している。いわゆる読者投稿雑誌で知り合った人々だ。その中のある夫人が彼に会いに来るという。一方出版社はとうとう倒産。主人公はもはや就職を断念するが、そこへ夫人がやってくる・・・。シンガーの作品はユダヤ的な知恵の中で紡がれるリアルな物語でありながら、一種のファンタジーでもある。文章は粘り強く読む者に強い印象を与える。シンガーの小説の後では洗練された作品たちがやや薄っぺらに見えるのは仕方がない。
 ウルフはたった2ページの掌編だけれど、仕掛けはいつものとおり。バーセルミはジャパン・アズ・No1皮肉話。ベイカーはいかにもなドタバタで、ル・グィンは大人のファンタジーを紡いでみせる。最後のヘルプリンは長めの短編で、独裁者の少年時代の回想を仕掛けたっぷりに描いている。

 本当に出たJACK VANCE TREASURY 売れてほしいなあ。それはさておき、ジャック・ヴァンス『宇宙探偵マグナス・リドルフ』は1948年から58年までに書かれた短編が10作。「とどめの一撃/クー・ド・グラース」だけ浅倉久志訳で後は9編は酒井昭伸訳だけれど、主人公マグナス・リドルフのキャラがはっきりしているし、酒井さんが浅倉訳を尊重しているので、違和感はない。
 宇宙のあちらこちらからきた異形の生物がみんなコミュニケーション可能という古き良き時代のアメリカン・スペースオペラ的な面は、スターウォーズに引き継がれていることは間違いない。そしてヴァンス独特の色彩に富んだ各惑星の舞台描写はゴージャスで、ヴァンスの魅力を堪能できる。マグナス・リドルフの「悪人」への情け容赦ない報復は、今時珍しいヒーロー像を見せてくれる。ただ10年にわたる作品群の基本的な物語構造が同じ(科学知識やロジックがご隠居の印籠にあたる水戸黄門もの)なので、そこら辺が面白くないと思う読者はいるかも。

 ケン・リュウ『蒲公英王朝記 巻ノ二 -囚われの王狼-』は、巻ノ一よりは三国志っぽい戦いと策略が出てくるので、非常に忙しい物語になっていた。読みやすいといえば読みやすくアレよアレよのうちに話が進んで、物語を堪能する前に物語が終わっちゃったという感じが強い。まあ、あっという間に読めるオモシロ話なのだからそれでいいんだけれど、ちょっともったいない気はする。
 ケン・リュウの戦闘戦略物の特徴に、戦闘のリアルな悲惨さを描かず、また人の憎しみの感情のリアルさも追わない、というところがある。ここら辺はホラーのスタイルで読み手を引きずり回すショージ・R・R・マーティンとの違いが大きい。マーティンのショッカーは心臓に悪いが、ケン・リュウはほとんど神話的なレベルでの大量死を描いているので何度も出てくる膨大な戦闘シーンやバラバラにされたマタ・ジンドウもそのレベルでの感慨しかもたらさない。時々出てくるこの世界の神々の対話もその印象を強めている。

 久しぶりにフォギーがジャズ・ピアノでフィボナッチ数列フレーズを弾く話だというので読んでみた奥泉光『ビビビ・ビ・バップ』は、なんとアンドロイドのジャズの巨人建ちが大挙して出てくるシッチャカメッチャカな近未来人類滅亡ものだっった。
 話は人格ダウンロードをメインアイデアに、主人公がフォギー(の孫)で、ドルフィーと名付けられたアンドロイド猫が全能の語り手役として、ときおり「です・ます」語尾を使いながらトントン拍子で話を進めていく。死にかけの日本人天才科学者とその不完全ダウンロード人格により、コンピュータと人の両方のウイルスが発動することになって、あわや人類は滅亡の危機にというのが大枠だけれど、物語の興味はそんなところにはない。
 近未来といいながら、スーパーテクノロジーを使って古き良き時代のジャズ・ジャイアンツをアンドロイドで再生、これに加え古き良き昭和時代の再現、将棋の大山康晴第15世永世名人や5代目志ん朝に立川談志と当時のアイコンが目白押しに出てくる。茅田アリス=カルメン・マキとか。要は作者が好きな昔のものを並べているだけ、という感じもするけれどここまでステキなどんちゃん騒ぎをすれば、まあ許されるよねえ。
 最初「bbb」を「666」と読み間違えて666ページで終わるのかと勘違いしていた。ケモノの数字じゃありません。

 ノンフィクションはいくつか読んだけれど、今回は2冊だけ。
 朝日出版刊で毎年8月によく売れたはずの加藤陽子『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』がなぜか新潮文庫に入った。仕事では部分的に読んだことがあるが、通しで読むのは初めて。
 内容は中高一貫校の男子高生徒に5日間で近代日本の戦争の時代を講義した記録。この講義を通して表題の意味が生徒にもわかるように講義されている(かどうかは読者の判断によるが、この生徒たちは優秀なので普通の読者よりはよく理解したかもしれない)。
 5日間の講義のタイトルは「序章 近現代史を考える」「日清戦争」「日露戦争」「第1次世界大戦」「満州事変と日中戦争」「太平洋戦争」とわりとオーソドックス。「第1次世界大戦」が重要視されているところがフツーの日本近代史と違うところ。著者もここは力を入れて話しているので、いいバランスだと思う。第1次世界大戦は日本にとってはヘンテコな戦争で、まあ有り難い戦争でもあったのだけれど、日本がアメリカと戦争しなきゃならなくなった、おおもとの戦争でもある。日本にとっては小さな戦争/戦闘でしかなかった第1次世界大戦、その規模の小ささとその勝利がその後の日本へもたらした政治的/軍事的錯誤はもっと認識されていい。

 今尾恵介『日本地図のたのしみ』は、最近『本の雑誌』のコラムを読んでいて気になった作者の本だ。何で気になったかという理由はほかにもあって、仕事がらみで第16代呉鎮守府司令長官安保清種(あぼきよかず)をググっていたら、東京の新宿から靖国神社に向かう通りにある安保坂がひっかかり、そこに引用された都が作成した坂の説明板に、「坂名の安保は,この地に 男爵安保清種海軍大将が住んでいたことに由来する。 東京都」となっていて、ちょっとビックリ。調子に乗って検索を続けたら、書籍・古地図/出版・販売の之潮(コレジオ)のHP(http://collegio.jp/?p=100)に安保邸が記載されている戦前の地図の一部分が掲載されていて、安保坂がまさにこの屋敷の跡地にあることがよくわかる。
 古地図と現在図の比較検討なんていうのは、市史編纂の基本的調査だけれど、担当エリア外の古地図なんて滅多に見ないから、これは新鮮だった。
 で、『日本地図のたのしみ』にもどると、これは明治から平成までに作成された北は北方領土から南は沖縄の端の島までの各地の地図をネタに様々な話題を短いコラムで紹介したもの。これは確かに面白い。ただ一つ一つのコラムが短いので、もう少し膨らませてもよかったのにと思うが、そういうヤツは自分で調べろ、と。そりゃごもっとも。


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