みだれめも100

水鏡子


194 マイクル・クライトン『ジユラシック・パーク上』
193 同『ジユラシック・パーク下』
192 同『ロスト・ワールド上』
191 同『ロスト・ワールド下』

 今だから言うけど、マイクル・クライトンってじつはあんまり好きな作家ではない。きらいということでもない。昔まだ、SFを読みはじめのころ、『アンドロメダ病原体』の前評判にわくわくしながら飛びついて、結果、つまんなかった。データや図表が満載された<文体>がこけおどしにみえ、ピンとこなかった。テクノ小説ぎらいというのはどうやらあのころからあったみたい。
 そのあと続んだクライトンというのは、じつはなにを隠そう『ライジング・サン』と『ディスクロージャー』である。あいだがボコっと抜けている。そもそも本を持ってない。続んだ2冊は楽しんだけど、ほかのも揃えておこうと思うまでにはいかなかった。
 クライトンの素材に対する嗅覚とうける料理にしあげるうまさは作家のそれであるよりも、ノンフィクション・ライターを思わすところが多分にある。 立花隆のやってることを、もすこしテクノ側にずらしたみたいなイメージと重なりあう。あくまでもイメージである。なにせ立花隆を1冊も読まずに言っている。
 『ジュラシック・パーク』については、どうせ『ウエストワールド』の恐竜版といった先入観が先立って、そのうえベストセラーになったから、ずうっと店(棚)晒しにしてきていた。でもよく考えると『ウエストワールド』だって読んでないんだよね。

 これで、ほら読んでみたらやっぱりこんなにつまらなかったじゃないかと書くようでは、さすがに西葛西在住のザッタ関係者S氏に顔向けができない。(注 前々号99回に登場した西葛西在住ザッタ関係者S氏とは別人である)。つまらなかった本の枕にこういうことをとくとくと書くというのは、いくらぼくでもさすがにできない。
 こんな枕を言えるのも、この本がすごく面白かったからである。なにをいまさら、でございますではありますな。

 ストーリイ自体はおなじみの話。映画も見てるし。
 上巻の半分くらいまでは、かったるい。
 だけどそこからあと恐竜ツアーが始まってからがめちゃくちゃおもしろい。スピルバーグの映画がすばらしい挿絵の役を果たしてくれて、しかも映画では描きこめない蘊蓄が小説の味わいを高めてくれる。アクションは手に汗にぎる出来の良さ。さらには映画になかった小説だけの荘厳なクライマックス・シーンがあって、これは絶対映画を見てから本を読むべきだった、つまり今読んで正解だったと思った。
 なんといっても作者が入れ込んで書いているのだ・文章化されていくシーンに書きながら興奮していく作者の気分が伝わってくる。 (もしくはそういう風に思わせる。それが技術であるとするなら、ある意味で、ほんとうに興奮しているよりももっとすごい)

 ひとつ不思議なことがある。

 様々な要素に還元していくと、いかにもこれぞSFという構成がなされ組み立てられていて、SFに求める要素がすべて具備されているように思えるのに、作品の全体像を俯瞰したとき感じるものは、ぼくがSFに期待しているものとどっかでずれる。むしろ単なる <小説・禅宗入門>にすぎない『鉄鼠の檻』の骨格に、SFという名で読むことを期待しているなにかに近い楽しみを得させてもらった。ここのところに、けっこう自分ながらに釈然としないものを感じている。菊池先生にいわせると、それはたんにぼくが自然科学がきらいで、人文科学のファンだというだけのことだというのだけれど、それだけじゃないと思うのだ。マイケル・クライトンの小説のコンポジション、各種要素を繋げていく<関係性>のそのなかに、(ぼくにとってのSF) と相いれないものがたしかにある。

 『ロスト・ワールド』はさすがにそつはないけれど、やっぱりニ番煎じ。これまで読んだクライトンの小説には、さっき言った作者がテーマに本当に興味を持って、持った熱意に引きずられながら関連知識が集積していき、作品内部に発露する、そんな熱気が感じとられた。 本書の場合、そんないつもの作品内知識の在り方と転倒した気配が色濃くただよう。書かれることが決まってしまった本のため勉強された知識といった印象なのだ。
 ヴェロキラプトルも化け物から猛獣に格落ちしちゃった。

190 ジャック・フイニイ『ふりだしに戻る 上』
189 同『ふりだしに戻る 下』
188 同『時の旅人』
187 W・M・ミラー 『黙示録3174年』
186 テリイ・ブルックス 『大魔王の逆襲』
185 同『見習い魔女にご用心』
184 ディ・キャンプ&ドレイク『勇者にふられた姫君』
183 ジョン・バーンズ『軌道通信』
182 小野不由美『図南の翼』
181 横溝美晶『聖獣紀 1』
180 同『聖獣紀 2』
179 同『聖獣紀 3』
178 同『一角獣秘宝伝 上』
177 同『一角獣秘宝伝 中』
177 同『一角獣秘宝伝 下』
176 夢枕貘『神獣変化 5』

 うーむ。ちゃんと書いてないと読んだ本がわからなくなった。古本屋から買ってきて、バラバラやってるうちに最後まで読んでしまったしょうもない本やら、新書、ヤング・アダルトがあと20冊くらいあるはず。
 谷恒生とか『頭髪メンテナンスカタログ』とか、『街の古本屋入門』『全国霊能・不思議マップ』『厩舎作戦・手口が読めた』なんてのも読んだ。どんどんわけがわからなくなっていく。
 とりあえずまともなとこだけあげたけど、小造りとはいえ小野不由美がやはりいい。発想のー部は『リングワールド』だろうか。横溝美晶は、エロとヴァイオレンスが大幅に加味されているが、旧ウルフガイ時の平井和正直系のエンターテインメント。でも『淫導師』とかになるとただの中間エロ小説。

 『時の旅人』のせいで『ふりだしに戻る』を読まなきゃいけなくなったところは『ジュラシック・パーク』と同じパターン。だけど読んでみると思いのほかにつまらない。『マリオンの壁』なんかのほうがずっといい。だれだこんな本を幻の名作と褒めあげたのは。

 『軌道通信』が意外な掘り出し物。意図的に作り出されたオーム的社会に予定外のもうひとりの麻原彰光が闖入したことで生じるトラブルの顛末、とまとめてしまうとぜんぜんちがうものを期待して読まれそう。

 とりあえず、そういうわけでカウントダウンはとりやめました。

 昨年12月にここ何年かの「みだれめもを」大森望ホームページにまとめてアップした。原稿量にして1千枚近くなった。『雑多繚乱』と題した。タイトルを記載し忘れたかもしれない。

 読み返して、少し反省している。
 文章に根本的な間題がある。百名弱を対象に書くことによる、読み手との共通了解領域への過度の依頼心からくるもたれ気分がある。なまじの手直し程度では外に向けた文章にならない。しかもそんな甘えが商業レベルの雑文を書くときにまで影響を及ぼしている気配がある。
 そういうわけでしばらく、(不)特定多数を意識した商業ベースの文章を連載してみることにする。一種のリハビリである。
 同時にそこそこうまくいったら、『あれ・ 2』にできるかもしれないという浅ましいもくろみもあったりする。
 これまで書いてきたことの整理を兼ねたものなので同じ中味の繰り返しとなりますがご容赦のほど、よろしく願いたてまつります。


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