内輪 第86回 (95年2月)
大野万紀
この年末から年始にかけては、何だかついてない日々が続きました。楽しみにしていた忘年会も、さあ出発だというところで子供たちが発熱。翌日会社からの呼び出しで休日出勤。子供の風邪がおさまったと思ったら妻にうつり、今年になって最後はぼくにうつってひとまわり。
ああ、ここまで書いて、原稿を置いてあったら、その間にえらいことが起こってしまった。ついてない日々の締めくくりがなんと阪神大震災だ。
まあ結果的にはわが家は建物も家族も無事でしたので、ご心配かけました皆さま、どうぞご安心下さい。あたたかいお見舞いをどうもありがとうございました。
西宮は震度七か六、わが家のまわりでもたくさんの建物が倒壊しています。わが家でも建物は無事だったものの、部屋の中はぐちゃぐちゃで、書斎にしていた部屋など、本棚が倒れて本の洪水。いまだにとりあえず積み重ねただけで、放ったらかしになっています。
まずは電話とパソコンが無事だったので、ほっと一息。地震以来、水道・ガスが止まって生活はけっこう不便ですが(水道はこの前から出るようになったのですが、漏水個所を発見するための試験通水だそうで、いつまた止まるかわからない。それでも蛇口をひねると水が出る、というだけで嬉しくなります)、大阪までの電車も走っており、地震から三日目には会社に通勤を始めた、それで、ああぼくもしっかり日本のサラリーマンだなあ状態です。
大阪の会社にはいつもと変わらない日常がある。電車に乗って三〇分ほど走ると、まるで戦災にあったような被災地に帰ってくる。いつも通る道に崩れかけた建物がのしかかっていたり道路が陥没していたり、明らかに非日常的な光景の中を、普通の背広姿のサラリーマンが歩いているわけです。もっともその隣には、山登りするような姿の買い出しの人、スコップ持った自衛隊員、ポリバケツを両手に持ったおばあさん、腕章を巻き大きなカメラを持った報道陣などが、一緒に歩いているわけですが。そして空にはヘリコプター。ただ、こういう光景がとりあえず九五年一月末の西宮の日常なわけです。
思えば一月一七日以前の日常というのはもう少し高いレベルにエネルギー準位があったわけですね。そこへ震災というインタラクションがあって、軌道が変わった。そこで今はこのエネルギー準位で一応の定常状態にいるわけです。これを再びポンピングしてやるには、大変なエネルギーが必要なんだろうな。日常というのはずいぶん相対的なものだなあというのを本当に実感しました。
さてそれでは、十月から一月にかけて読んだ本からです。
『スティル・ライフ』 池澤夏樹
文庫本の棚でふと目にとまった。評判も高いし、気にはなっていたのだがなぜか読んでいなかった。本当、もっと早く読んでおくべき作品だった。ここにはぼくの好きなSFのエッセンス、理科系のセンス・オブ・ワンダーがある。「スティル・ライフ」もいいが「ヤー・チャイカ」が大好きだ。ボイジャーへの思いをつづったところなど、うるうるしてしまう。恐竜の飼い方も好き。昔SFMに載っていた河野典生の短編を思い起こしたりもするが、こちらの方がよりSFの本質に近いと思う。何よりイメージがぞくぞくするほど美しい。
『臨死体験』 立花隆
話題の書。さすがに面白くて一気に読んだ。様々な臨死体験のケース・スタディ。でも文化の違いがかなり大きいようで、これはやはり脳内現象としてしか捉えられないように思える。著者はそこを、いや、こんな例もあって(体外離脱して見えないはずのものを見ているなど)それだけでは理解できないと保留しているのだが、基本的には科学の立場に立っている。だから安心して読めるという面もある。
そもそも、体外離脱する霊魂のようなものがあるとして、それがどうやって物理的に(ちょうど生身の人間が見るのと同じようにして)ものを見ることができるのか。光を感じることができるのか。超物理的な存在が人間の目の物理的限界にとらわれるというのもおかしな話だ。他の人が見たものをテレパシーで取得したとする方がまだ納得できる。
それよりむしろ、普通の意識というものの方が不思議で、この本などを読むと、コンピュータに意識をダウンロードするといったSFで当たり前のことが、本当に可能なのか疑問に思えてくる。意識はソフトウェアだといのはある意味で正しいと思うのだが、でもそれをコンピュータで情報の流れだけシミュレートしても、そこに意識が立ち現れることはないのではないか、と思えてくるのだ。臨死体験が脳内現象だとしても、そういうことが起こる脳というのは、なかなか他のハードウェアで置き換えられないのじゃないかという気がするのだ。
『天界の殺戮』 グレッグ・ベア
けっこう読み終わるのに時間がかかった。長い!
前作『天空の劫火』をほとんど忘れているということもあり、主人公たちの地球人虐殺への復讐という使命が、もうひとつぴんとこない。それはいいとしても、話に山がない。何かうだうだと続いて、欲求不満が残る。船内の人間関係や権力関係なんかどうでもいいから、もっと超テクノロジー同士の戦いとかに力を注いで欲しかった。ちっとも戦争SFじゃないじゃないか。法の執行というのもそれならそれであまり悩まないで欲しい。悩むようなら、こんなことできるはずがないと思う。後味があまり良くないわな。その辺の人間的な矛盾や苦悩をもっと全面にだせばまた別の話になったかも知れないが。悪い作品ではないと思うが、冗長でストーリーが面白くない。ベアってもっと派手な方がいい。
『新版 スペース・オペラの書き方』 野田昌宏
京フェスで若島先生が読んだといっていた。内容は子供としかいいようがないが、一人の人間をここまでのめり込ませるSFとはいいものだ、と。その通りの感想。これを読んでスペース・オペラが書けるようになるかというと、そうは思えないが、野田さんがスペース・オペラが好きなんだなというのはよくわかり、好感がもてる。小説を書く技術論としてはちょっと古くさいのではないかな。参考書がミステリばかりというのもおかしい。なにより、ホテルの宿泊の仕方みたいのをえんえんと解説しているのには驚いた。これもまた「SFの気恥ずかしさ」の立ち現れる所以なのかも知れない。
『やけっぱち大作戦』 ジョー・クリフォード・ファウスト
三部作のユーモラス・スペース・オペラの第一部だって。角氏は面白いといっていたが、まあ、どうしようもなくつまらないとはいわないが、どうでもいい作品。登場人物の魅力が乏しい。なんかダメっぽいアホなやつばっかし。もっときびきび動かなくちゃだめですよ。大宇宙をまたにかけるスペース・オペラという感じもしないし。
『漫画と人生』 荒俣宏
集英社文庫。荒俣さんのマンガも収録されている。大体がマンガ評論だが、SFファンタジアに載ったSF案内や対談も収録されている。書かれた時期がまちまちのものが脈絡なく出てくるのがちょっと難点。でも、特に少女マンガ論は鋭く、読み物としても面白い。
『単位物語』 清水義範
単位についてのエッセイ集。小説仕立てのものもある。エネルギーとか電気のところは作者の本音みたいで面白い。もっともアシモフのエッセイとまではいかないが。
『ヴァーチャル・ライト』 ウィリアム・ギブスン
さすがにドライブ感があって、読ませる。ホームレスに占拠された橋とか、バイク便のメッセンジャーたちのサブカルチャーとか、面白いイメージが豊富で、映画的な感覚がある。とくに、若いヒロインの属するメッセンジャーたちの描写が、動きがあって、とてもいい。かっこいい。実写で見たいものだ。よくできた未来サスペンスSFだと思うが、大衆的になったサイバーパンクといった雰囲気。山崎にはもっと活躍してほしかった。コラージュアートがどうとか、そういうところははっきりいってよくわからなかった。
しかし、阪神大震災で崩れた高架橋はあっという間に撤去されてしまったが、あのままあそこに避難民たちが住み着いて……というのは全くイメージがわかないね。
『ヴィクトリア朝空想科学小説』 風間賢二編
面白くなかったわけではないのだが、読むのに時間がかかった。文章がねえ。どっちかというと暗く、重く、憂鬱だ。ホーソーンの「痣」は美しいファンタジイ。ロバート・バー「ロンドン市の運命の日」はスモッグによる破滅小説。あとは、H・G・ウエルズやキプリングが面白かった。
『ウィーヴワールド』 クライヴ・バーカー
大作エピックファンタジーと聞いていたのだが、ほとんど現代のリバプールで事件が進行する。異世界はあまり出てこない。いや、このリバプールそのものが異世界というべきか。で、上巻あたりはぐいぐいと読ませてこれは面白いと思ったのだが、下巻に入ってちょっと疲れが出てきた。何か世界があまり広がらなくて、登場人物の勢いも停滞して、だらだらと続いた感じ。最後の敵も圧倒的なボスキャラってほどじゃなかったし。やや期待はずれに終わりました。途中までの勢いが続いていたらよかったのに、というのはこのような話にある類型を求めてしまうぼくの個人的な感想です。
『ハイペリオン』 ダン・シモンズ
面白かった。早く続編が読みたいSFだ。気恥ずかしくたっていいじゃないか、それがSFなんだといいたくなる作品。でもやっぱり「傑作」という言葉をすなおに使いたくないような、変な気持ちがあるんだな。目を輝かせて「大傑作!」といったっていいんだけどね。あんまり過去のSFとの関係をどうこういわない方がいいように思う。
『愛死』 ダン・シモンズ
ダン・シモンズの短編集。SFというよりファンタジイ(あるいはホラー)っぽい普通小説といった感じ。傑作とはいえないし、すごいということもないのだが、読ませる。吸血鬼ものの「バンコクに死す」、SFっぽい「フラッシュバック」もいいが、インディアンの伝承を書いた「歯のある女と寝た話」が面白かった。大作「大いなる恋人」は第一次大戦の西部戦線もの。戦場の恐怖がよく出ている。でもあえてファンタジイにする意味は何だったんだろうか。
『殺戮のチェスゲーム』 ダン・シモンズ
上中下の三冊を一気とはいわないが、かなりの勢いで読み終えた。長さを感じさせず、どんどん読ませる面白さがある。でも絶賛するような話ではない。特に後半、少しベクトルが変わって、ちょっと勢いがそがれた面もある。それにクラブとウィリーたちの関係がちょっと変な気がするし、ゾンビーばあさんの扱いももう一つだ。イスラエル人たちについても同様。保安官はもっと活躍すべきだった。