内輪 第89回 (95年9月)

大野万紀


 SF大会は浜松。いつもは通過する都市で新幹線を降りるというのは、何となくうきうきする気分のものだ。というわけで、今回はSF大会レポートから。

 八月十九日。朝七時に起きてパソコンを立ち上げ、NIFにオートでアクセスしてから、パティオに出発のメッセージをアップする。九時前に新幹線に乗り、一眠りしようかと思ったが、持ってきたラッカーの短編集を読み始める。「慣性」を読みながら、ああぼくはこういうSFが好きなんだなあと、あらためて思う。でも、日本旅行のエッセイを読んで、黒丸さんの笑顔を想い出し、ちょっとしんみりもする。
 名古屋で、隣の席に三人組のSF者が乗ってくる。おもむろにハマナコンのプログレスを取り出し、ダイコンWの時がどうとか、話している。姿といい話し方といい、絵に描いたようなオタクのSFファンで、なんだかおかしい。トマス・ディッシュの「SFの気恥ずかしさ」という言葉を思い出す。
 十一時過ぎに浜松着。アクトシティの高層ビルが周囲から浮き上がり、先端が夏の日を反射して光っている。不時着したUFOみたい。会場への道がややこしく、迷いそうになる。着いたロビーに菅ちゃんがいた。最初に見つけたTHATTA友の会メンバーというわけ。青木さん、古沢くんにも会う。特に見るものもないので、古いSFファンの習性に従って、とりあえずディーラーズルームへ。これが遠かった。会場とディーラーズが離れすぎというのが、今回の大会の一番の欠点だった。何しろ暑い!
 伊藤さんに会う。ハヤカワご一行に会う。ディーラーズはだだっ広く、コミケならこれでいいんだろうが、隅っこのファンジン売場が寂しい感じ。宅急便のコーナーなど、コミケのノウハウが逆輸入されているようす(などと、最近なぜかあらためてコミケに詳しくなってしまったおじさんの感想)。でも規模が違うんだから、別の工夫があってもいいんじゃないかな。堀さんが自ら「ソリトン」を売っている。ゲストじゃなくて、一般参加の名札をつけている。朝日ネットには入っているんですけど、もっぱらインターネットばかり利用していて、堀さんのところにはご無沙汰してます、と頭を下げる。
 いつものみんなと会う。「創元SFクラブ」と称する怪しげな団体が、創元の新刊を割引販売している。大体このあたりが居心地いいので、うだうだと無駄話などしながら時間を過ごす。いつものファンジンを買う。「コードウェイナー・スミスFC」も新刊が出ていた。猫ミミマンガに敬遠している人も多いと思うけど、ここは結構まっとうな活動しているんだよ(わたし、一応顧問です)。それに、スミスって、こういうオタク的エロスに近しい部分が実際あったと思う。
 伊藤さん、浅倉さん、それにこういう所へはめったに来ない岡部さんが三人で通りかかる。浜松に縁の深いSF翻訳家がそろったわけだ。そういう意味では、浜松というのは日本のSFにとって、すごく重要な町だったのだ。せっかく浜松でSF大会やるんだから、そしてせっかくこの三人が集まるんだから、大会企画でパネルでもやってもらったら、意義があったのになあ、と思う。
 会場の方に戻り、「超科学十番勝負」「SFがつまらない理由教えます」「国際マッド・サイエンス学会」などを覗く。一人だから気楽だ。「SFがつまらない理由」は前回にも増してむちゃくちゃな内容だったようだが、ばかばかしいのですぐに出る。
 「非英語圏SFシンポジウム」はロシアと中国の作家が自分たちの国のSFについて話をしていた。ロシアSFと中国SFは、今や全く違うジャンルみたいだ。面白かったのは、どちらの国でも、一時のSFブームの後、手ひどい後退があったということ。ロシアではソ連崩壊後、SF作家たちにも短い春が訪れたが、大量に流入した海賊版の翻訳SFによって、三年ほど前、ロシアのSFはいったん滅亡したという。その後、ロシアン・ターボとして、新たな復活を見たのだそうだ。それはSFというよりサイバーパンクやスリップストリームの影響を受けた、新たなロシア文学なのだという。ふーん。 ロシアがなんだか高踏的な方向へ向かっている一方で、中国のSFはほのぼのとしている。中国でも一時のブームが去って、今や専門誌は一誌のみ。それも年少の読者が支えている、という。講演を聞いた感じでは科学啓蒙的な昔風SFなのかと思っていたが、実際その雑誌がディーラーズで売られているのを見ると、これは今や日本から韓国・台湾・香港、そしてアメリカ西海岸までを覆う、汎太平洋オタク文化の一翼をになっているものですな。日本のSFアニメ風のイラストがいっぱい。マンガの 書き方講座まで載っている。これだけで、ぼくは中国SFの未来は明るい(?)と感じましたね。
 後は「ミニファンタジー・コンベンション」とか「SF、原書で読んでる会」などのサーコン系のプログラムを覗いたが、何ていうか、妙に素朴で、あかぬけしないことをやっていた。それはそれで面白かったので、なぜか混ざったプロやいつものメンバーもいっしょに、あーだこーだとお話してしまった。
 夜はアクトシティのホテルにチェックインして、東京のみんなと鰻を食べようということになっていたのだが、古沢といっしょにはぐれてしまい、食べそこなう。かわりに関西勢と行動を共にして、初村さんの奥さんのソロを聞こうと、浜松交響吹奏楽団の演奏へ。結局みんなで居酒屋へ入り、安上がりに盛り上がって、これはこれで正解でした。
 翌日も、今度こそ鰻を食べようと古沢と真夏の浜松の町を歩き回ったあげく、目当ての所は開いてなかったという落ちが付くのだが、まあ、駅前でそこそこの鰻を食べたので、よしとしましょう。二十日の企画はよく覚えていない。たしか「日本トンデモ本大賞」がいっぱいで入れず、「ミニファンタジー・コン」の続きを聞いていたようなのだが。ああ、そこで久美沙織さんや浅羽莢子さんや菅ちゃんたちが、日本のライトノベル系出版業界を糾弾し始めたのだ。これは面白いぞと思ったら、主催者が休憩に入ってしまって、あれあれとなったのだった。その後は小谷真理さんらとうだうだ話をしていたように思う。古沢や堺くんも混ざって、最近の海外作家のあれがどーとかこれがどーしたとか。
 で、後は大ホールで半分寝ながら星雲賞の発表やらを聞いていたのだ。しかし、今年のコスチュームショーは悲惨な感じ。これも夏コミと重なったせいかな。
 まあ、しかし今年のSF大会は成功だったと思う。細かいことを言えばきりがないが、それはいつものことだし。参加した人たちも、多くが楽しんでいたような気がする。何はともあれ、ごくろうさんでした、と主催者の人たちには感謝したい。
 来年は小倉か。さて、どうしようかなあ……。

 それでは、いつもの、最近読んだ本から。


『平成悪党伝』 谷甲州
 これはSFではない。サラリーマンがヤクザと組んで悪徳土建屋と戦う話。暴力シーンがけっこうな迫力だ。面白かったのは結末。ちょっと意表を突く、意外性のある結末だ。常識的なこの手の話のパターンをはずしていて、谷甲州だなあ、と思わせる。賛否がわかれるかも知れないが。ぼくには面白かった。

『スーパー・ミサイル争奪作戦』 ガイ・アリモ
 聞いたこともない作者の本。徳間文庫で八六年に出ている。角氏が古本屋で十円で買ったという本だ。巡航ミサイルが実験中にアマゾンへ墜落し、たまたまそこへいた元SASの主人公が悪いソ連人と戦う話。軍事テクノロジー・冒険活劇・アマゾンの秘境・スパイスリラー・お色気と、とにかくぶちこみすぎてそれぞれが中途半端、いかにもB級の作品となっている。いや、C級か。まあ古本屋で十円ならこんなもんでしょう。

『夜の子供たち』 ダン・シモンズ
 ルーマニア革命。AIDS。そしてドラキュラ伝説。短編で読んだときは傑作だと思った作品だ。長編化された本書も、上巻の、吸血鬼の病理を研究するSF的なところはすごくいい。舞台がルーマニアに移ってからの活劇は、面白いけれどもありきたり。最後に古城の大爆発だなんて、型どおりの映画みたい。ドラキュラ一族の世界支配がどの程度進行しているのかよくわからないことなど、ストーリーに強引さを感じた。ヴラド・ドラキュラの回想の中世風残虐さはショッキング。でも、考えてみれば、織田信長だって同じくらい残虐なことをやってるんだよねえ。信長の場合はどうして伝説のバケモノにならなかったんだろう。

『ドラキュラ紀元』 キム・ニューマン
 ダン・シモンズの後にまたドラキュラものだ。まるっきり雰囲気が違って、こっちは改変された一九世紀の英国を舞台にしたキャラクター総登場の物語。マニア的というか、オタクっぽい感じが強い。外見一六歳の数百年生きている美少女ヴァンパイアというヒロインが、かっこいいですね。でも、ヒーローの方は、かっこいいことはいいんだけれど、状況に流されていくばかりで、ちょっと迫力不足。中世風に退行していくビクトリア朝英国という雰囲気はダークでよい。ドラキュラが最後しか登場しないのは不満。

『ラッカー奇想博覧会』 ルーディ・ラッカー
 傑作だ。ぼくにとって一番楽しめるSFとは、結局「最先端の科学者たちが考え出した壮大なビジョンを奇想天外なおもちゃにして遊び、味わい、楽しむ」ようなものだと思う。このいい方だと現実の科学に偏りすぎな気もするので、科学的ビジョンそのものじゃなくて、そこからインスパイアーされたイメージ、雰囲気、そういったところまで枠を広げたい。そうした時、例えば小松左京、クラーク、ティプトリー、あるいはC・スミス、ディレーニイ、ラファティ、ヴァーリイ、そしてラッカー、そういった人たちの主として短編に、ぼくが嬉しくなってしまうSF的ワクワクドキドキのコアが存在する(した)のだ。一見めちゃくちゃなリストだが、「科学を遊ぶ」というキーワードでくくってみれば、ぼくの言いたいことが伝わるだろうか。そういう意味で、マッド・サイエンティストものって、大好きだ。本書の作品はどれも好きだが、とりわけ「慣性」。これはもう最高。何度読み返しても、楽しくなってしまう。「すべらり来いっ」って感じ。訳文がいい。というわけで、SF大会のレポートにも書いたけど、エッセイの方を読むと、黒丸さんのあの笑顔が思い出されて、しんみりしてしまう。 こんな心のこもったもてなしが自然にできちゃうなんて、すごい人だったんだなあ、とため息。ところで、東京のヒップな先端文化ってやつ、何だか笑えてきますね。ま、オタクにゃ関係ない世界なんでしょう。

『火の車の上で・チョンクオ風雲録9』 デイヴィッド・ウィングローヴ
 今回は色々と動きがあって、面白く読めた。でも、火星の話はちょっと期待はずれ。不発のまま終わった。でもディヴォアがこんなことで挫けるはずがない。きっとすごい奥の手を見せるに違いない。今回は女性たちの動きが目立つ。次回にそれがどう続くのか期待させる。でも高チェンが、何か単純な男になってしまったのはつまらない。

『ウォーターワールド』 マックス・アラン・コリンズ
 酒井さんから送ってもらった映画のノベライゼーション。映画は見ていない。基本的に海洋ものは好きなので、面白く読めた。スモーカーという悪者軍団がマンガ的で大変よろしい。環境破壊へのどーのこーのが余分。ヒロインはもうひとつ好きになれないなあ。それにしても、どう転んでもB級にしかならないようなこんな話に、よく大金をかける気になるものだ。ハリウッドって不思議だ。

『ソリトンの悪魔』 梅原克文
 すごく評判がいいというので読んでみた。この手の話にはいつも最後に裏切られている(確かに面白かったけど、SFとしてはねえ、というやつ)ので、ちょっと一歩距離を置いて読み始めたのだが。おっと、これはすごい。ぐいぐい読ませる。そして(ちょっと古めかしいパターンではあるが)りっぱにSFしている。違うとはいってもやっぱり『アビス』じゃないかとか、海の波がなんで意識を持つのかとか、ソリトンが消滅しないはずはないとか、コンピュータの(現実的な)描写とその後のストーリーが乖離しているとか、そんなことはどーでもいい。ちゃんとSFとしてのセンス・オブ・ワンダーがあるじゃないですか。最初の大破壊の迫力もすごいし、ホロフォニクス・ソナーという小道具の使い方もいい。ファースト・コンタクトのシーンなんて、SFとしてもちょっと無茶で古すぎなパターンだけど、それをあえてやっていて、もうウルウルですよ。主人公がアレになってアレするとか、嬉しいなあ(こう書くと誤解されるかも知れないね。これもハードSF的にはちょっと無理なシーンだが、ストーリーの進行上、平然と読むことができる。むしろ、主人公たちが悩むのが不思議なくらい。 どんと行け、どーんと! それがSFだぁ)。全体のスケールが期待したほど広がらないとか、もっとすごいアレがあっても良かったとか、欲張りな不満はあるけれど、千六百枚を一気に読まして、それがまだ短い気にさせるというのは相当なものだ。もっとも、この結末は、ハッピーエンドで嬉しいし、好きなんだけど、主人公はせっかくアレしたんだから、あのままでいた方がSFとしては良かったかも知れない。これはちょっときれいに収まりすぎ。とにかく、評判どおり、読む価値のあるりっぱなSFでした。これなら敬遠していた前作も読んでみないといけないなあ。 『パラサイト・イヴ』には結局不満が残ったのに対し、本書が大喜びで読めるというのは、文章のドライブ感もあるだろうが、やはりSF性に対するこだわり方のレベルの問題だという気がする。本書をクーンツというのは正しいような違っているような。むしろもっとストレートなSFなんだよねえ。


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