夏の必読SFガイドより

 大野万紀

 早川書房「SFマガジン」14年9月号掲載
 2014年9月1日発行


■《天冥の標》小川一水
 全十巻予定でまだ未完の長大な未来史シリーズだが、最新巻は第一巻と直接につながった。小川一水の代表作となるべき傑作である。第一巻では遙か未来の、孤絶した人々が暮らす異世界で、大きな社会変革が起こるさまが描かれ、いくつもの謎が提示される。シリーズの各巻は時代を遡って、登場する集団のそれぞれの物語が語られるが、さらにその背景の宇宙的な物語も並行して進み、全体にSF的な奥行きを与えている。読後感もさまざまだ。第二巻ではごく近い未来のリアルな危機が描かれ、第三巻では一転して宇宙海賊が跋扈するスペースオペラとなる。また後半の巻では、太陽系を破滅に導く凄まじい戦いと、激しく心を打つ、人々の強い意志、深い哀しみとが描かれている。

■『ハーモニー』伊藤計劃
 人々が医療用ナノテクを体に埋め込み、病気が征圧され、政府ではなく生府と呼ばれるローカルな福祉コミュニティの複合体によって民主的に運営されるユートピアのような福祉厚生社会。誰もがたがいのことを気遣い、助け合い、空気を読んで暮らす、均質で健康最優先の世界である。主人公たちは、少女のころからそんな優しさ溢れる世界に息苦しさを感じていた。そんな社会に反抗し、友人と自殺を図りながらも生き残った主人公は、今世界の紛争地帯を駆け巡っていたが、彼女の前に、あの時自殺した友人の影が現れ、世界を破滅へと導こうとする。本書は人々が優しく依存しあう同質な社会というものへの嫌悪感に貫かれており、それは現在のある風潮への厳しい批判でもある。

■『マルドゥック・スクランブル』冲方丁
 『圧縮』『燃焼』『排気』の三部作で構成される、アメコミ・スーパーヒーロー調ハードボイルドSFの傑作である。重い過去をもつ少女バロットは、賭博師のシェルにより命を奪われそうになるが、言葉をしゃべる小さな金色のネズミ、実は万能兵器のウフコックに救われる。蘇生し高度な電子干渉能力をもつようになった彼女は、ウフコックと、委任事件担当捜査官のドクターとともに、シェルの犯罪を追うことになる。そこへ立ちふさがる、かつてウフコックを濫用していたという男、ボイルド。武器と使い手、ゲームと人間性というテーマを背景に、スピード感あふれる激しいアクションと、一転して静かだが、知的な緊張感でぴりぴりするようなカジノでの勝負が描かれる。

■『ノーストリリア』コードウェイナー・スミス
 遥かな未来。〈補完機構〉のロード・ジェストコーストが始めた〈人類の再発見〉の第一世紀。銀河で唯一、不死薬を生産する質実剛健な農夫たちの惑星ノーストリリアで、ひとりの少年ロッド・マクバンが、古代のコンピュータの力により、数時間のとてつもない先物取引を仕掛けたあげく、地球をまるごと買い取った。補完機構はこの事態に対処するため、彼を地球に迎え、”SF的な宇宙で最も魅力的”な〈下級民〉の猫娘ク・メルをエスコート役につける。ク・メルの方でも、補完機構に匹敵するもうひとつの隠された政府の命を受け、下級民たちのために、この事件を利用しようとする。本書はスミスの魅惑的で美しく、異様で残酷な宇宙史の集大成ともいえる傑作長編である。

■『都市と星』アーサー・C・クラーク
 オールタイム・ベストの常連である本格SFの傑作。六〇年近い昔に書かれた作品であるにもかかわらず、現代SFに直結するさまざまなテーマが盛り込まれており、また主人公アルヴィンの成長物語として読んでも優れた小説である。遙かな未来。銀河帝国は崩壊し、地球には唯一の都市ダイアスパーが残された。人々はメモリバンク内のパターンとなって存在し、時おりコンピュータによって再生される。だがアルヴィンは他の人々とは違っていた。彼は外の世界への好奇心をもっていたのだ。やがて彼はダイアスパーを離れ、宇宙船を手に入れ、遙か銀河へと旅立っていく。そこから世界は見る見る広がって行き、センス・オブ・ワンダーに満ちた壮大な宇宙の姿が明らかとなる。

■『エンパイア・スター』サミュエル・R・ディレイニー
 才気溢れるディレイニーが二十三歳の若さで書いた、とても短いが、複雑でスケールの大きな物語。折りたたまれ、濃縮されたスペースオペラである。宇宙の辺境に暮らす無知でシンプレックスな少年コメット・ジョーが、帝国の運命に関わる事件に巻き込まれ、知性をもつ宝石を手に入れて、銀河文明の中心エンパイア・スターを目指す。ペットは八本脚の悪魔猫の子。その道中、彼を教え、導き、その観点をシンプレックスからコンプレックスへ、コンプレックスからマルチプレックスへと高めていく人々や、コンピュータや異星人たち。時間と空間が入り乱れ、過去と未来がつながり、多層的で複雑な物語でありながら、軽やかで読みやすく、深い思索と感動を呼ぶ傑作である。

■『夢幻諸島から』クリストファー・プリースト
 プリーストがずっと書き続けてきた〈夢幻諸島{ドリーム・アーキペラゴ}〉ものの最新巻。長いもの、短いものを含め、三五編が収録された連作短篇集である。時間勾配によって正確な地図が作れないが、船や飛行機は島々を結んでいて、インターネットのような現代的テクノロジーもある世界。必ずしも同一人物とは限らない共通の登場人物がいる。作家のカムストン、パントマイム・アーティストのコミスといった人々だ。またコミスの殺害事件のように、何度も言及される事件もある。できごとも言及も微妙にずれていくので、謎はすっきりと解けることはない。収録作には凶暴な毒虫の登場するパニックもの、リアルな日常性と鮮烈な幻想が出会うファンタジイなど、強い印象を残す作品が多い。

 2014年7月


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