ボブ・ショウ追悼

 大野万紀

 早川書房「SFマガジン」96年6月号掲載
 1996年6月1日発行


 ボブ・ショウが逝った。イギリスSF界のりっぱな中堅作家として活躍していた人だが、翻訳が今となっては入手困難なサンリオ文庫に集中していたこともあって、日本での知名度はもう一つだった。でも、ぼくにとっては、忘れられない作家の一人である。

 彼の名前を有名にした傑作短編「去りにし日々の光」の載っているウォルハイム&カー編の年間傑作選『追憶売ります ワールズ・ベスト1967』(ハヤカワ文庫)を開いて見た。これは一九六六年に発表されたSFのベスト短編集である。目次に並ぶ名前、フィリップ・K・ディック「追憶売ります」、ボブ・ショウ「去りにし日々の光」、ロジャー・ゼラズニイ「十二月の鍵」と続く。その後にもラファティの「九百人のお祖母さん」、ムアコックの「この人を見よ」、ポールの「デイ・ミリオン」、そしてまたゼラズニイの「フロストとベータ」……。何とまあ名作ばかりじゃないか。六十年代後半というのが、SFにとってもう一つの黄金時代だったというのがよくわかるというものだ。そして、ディックもゼラズニイも、今度はショウも、今はもうこの世にいない。

 「去りにし日々の光」は、スロー・ガラスという、ある意味ではとても地味なSF的小道具を用いた、しっとりとした情感あふれる美しい物語である。スロー・ガラスとは、光が通過するのに数年から数十年かかるという特殊なガラス――いってみればただそれだけのものなのだ。ただそれだけ、といったが、それはつまりごく普通のガラスの厚みの中に何光年もの距離が折り畳まれているということで、ハードSF的に考えてもとても興味深いアイデアである。ショウはこの作品を連作長編にするさい(『去りにし日々、今ひとたびの幻』サンリオ文庫)、多少そのあたりの考察もしている。しかし、ショウの筆致はアイデアをハードに追求するよりも、そういったSF的な小道具をいかにもさりげない日常の一こまの中に見事に埋め込んだ時にこそ、すばらしい冴えを見せたのだ。

 彼はもともと熱心なSFファンだった。しかもヴァン・ヴォクトの熱狂的ファンだった。にもかかわらず、彼の資質はヴォクト的な派手なワイドスクリーン・バロックの方向ではなく、渋く落ち着いた大人の物語の方向に開花した。若さのはち切れそうな目くるめくセンス・オブ・ワンダーに満ちたSFを読みたい時もあるが、しっとりと落ち着いた大人のSFを読みたい時もある。ボブ・ショウの作品は、アイデアだけ見ればヴォクト的な派手なものだが、それが生きて日常生活を送る普通の人々の情感を重視した物語にうまく溶け込んでいるのである。一例として『見知らぬ者たちの船』(サンリオ文庫)という連作長編がある。これはぼくが学生時代にSF研の会誌に翻訳し、その一編がSFマガジンに掲載されたということもあって個人的に特に思い出深い作品なのだが、設定としてはモロにヴォクトの『宇宙船ビーグル号の冒険』でありながら、テクニカラーなワイドスクリーンにはならず、宇宙船乗りたちの日常が活写された人間味あふれる作品となっていた。

 長編の代表作である『オービッツビル』Orbitsville (1975)が未訳のままとなってしまったのが、大変残念だ。これはニーヴンの『リングワールド』と同様にダイスン球というSF的大道具を用いながら、ハードSFとも宇宙冒険小説とも違う(その両面も兼ね備えているが)渋く重厚な傑作SFだった。

 十五年ほど前、イギリスであったSF大会で、ぼくは彼に会ったことがある。見るからに感じのいい気さくなおじさんだった。彼は根っからのSFファンとして、ファンダムでも有名人だったのだ。小説とはスロー・ガラスのようなものかも知れない。去りにし日々の光が、今もぼくの目の前に映っている。ボブ・ショウさん、ありがとう、さようなら。

 1996年3月


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