ティプトリー、この3篇
大野万紀
早川書房「SFマガジン」97年12月号掲載
1997年12月1日発行
ティプトリーはぼくにとって特別な作家の一人であり、どの作品も思い入れが深く、とてもその中からベストを選べるような存在ではない。ここにあげたのは、ベストというのではなく、ぼくにとって初めて読んだ時とりわけ衝撃的だった三編である。
「苦痛指向」は「そして目覚めると私はこの肌寒い丘にいた」に続きSFマガジンに翻訳され、当時学生だったぼくが初めてティプトリーの魅力にとりつかれた作品である。何よりもその音楽的でスピード感のある文体が衝撃的だった。ストーリイや設定やキャラクターではなく、〃気分〃がSFだった。けっこう怖い話なのだが、読んでいるととても心地いいのだ。
「エイン博士の最後の飛行」が書かれたのは「苦痛指向」よりも古い。この作品の衝撃はテーマそのものにあった。こんなに冷たく人類を突き放すSFをぼくは知らなかった。しかし、これをガイアを礼賛するSFととらえてはいけない。これはエイン博士の片思いの物語であり、恋に狂った男の悲しいラブ・ストーリイなのである。
ティプトリーには語るべきいくつもの側面があるが、ぼくが一番好きなのは、天真爛漫な生まれついてのSFファンという側面だ。例えば「たったひとつの冴えたやり方」。 「この小説を読み終わる前にハンカチがほしくならなかったら、あなたは人間ではない」というのは有名な書評者のことばだが、ぼくにいわせれば、この小説の最初の三ページを読みながらコーティに感情移入し、自己同一化し、「そのとおり!」と心の中で叫びたくならなかったら、あなたはSFファンではないのだ(いやまあ、人様々だから、そうじゃなくてもいいんですけどね)。宇宙への、未知へのあこがれ。冒険。好奇心。目をきらきらさせて故郷を飛び出して行こうとする年若き霊長類。その年若き霊長類を見守る老いたる霊長類(この小説では基地司令)の目の何と優しいことか。
「たったひとつの冴えたやり方」の少し前のティプトリーは、どちらかというと重い、暗い、深刻な小説を多く書いていた。初期のバカ話が大好きなぼくにとっては、いささか荷が重かったことは否めない。「たったひとつの……」の四年前に書かれた「たおやかな狂える手に」が、テーマ的にはほとんど双子といっていい作品であるにもかかわらず、まったく違った読後感をもたらすのを思い起こしてほしい(それでも、ここには救いがあり、実際読みごたえのある作品だったのだが)。それが、いきなり「たったひとつの……」である。これは本当に嬉しい衝撃だった。悲しい結末の物語ではあるが、明るく、前向きで、知性と理性を信じ、愛と友情を信じるヒロインがとてもすてきで、ティプトリーに心からありがとうといいたくなった。いや、本当。だからこそ、そのすぐ後の彼女の死が何だか現実の出来事とは思えず、年老いた彼女とコーティのような若い彼女が、手を取り合って星の世界へ旅立っていくイメージが頭から離れなかったものだ。
1997年10月