20世紀英米SF年代記

 大野万紀

 「SFオンライン」01年10月号掲載
 2001年10月29日発行


 河出文庫『20世紀SF』アンソロジー全6巻が完結した。40年代の第1巻から90年代の第6巻まで、各巻の巻末解説には、編者の一人中村融氏によるその年代の英米SF総括が掲載されており、通読すると20世紀(後半)の英米SF通史として読めるようになっている。編集部からぼくが依頼されたのは、この解説部分についての書評ということだ。中村史観の独自性に関して、当然同意・不同意があると思うので、そのあたりを議論してほしいとのことだった。

 とはいうものの、基本的に氏の解説はごくオーソドックスな英米SF史として、このジャンルの伝統をきちんと受け継いでいるし、見事に要約しているといえる。それだけでなく、とりわけ80年代、90年代の章は、リアルタイムにその時代のSFを追いかけてきた者による、真に同時代的な視線をもった、力強く読み応えのある総括となっている。

 ところで、40年代といえば40年から49年まで。90年代といえば、90年から99年まで。20世紀SFといいつつ、2000年はどこへいったの? というのが年代別アンソロジーの2000年問題というやつだが、これは紀元0年が存在しないのだから、気持ちが悪いけれどしょうがない。まあ、いつか出るかも知れない00年代アンソロジーで、2000年を救ってあげなくてはね。

 それはともかく、まずはなぜ40年代からなのか、という問題だ。第1巻の解説で、中村氏はこれに「われわれが現在SFの名で知っているジャンルは、じつは40年代に基礎が築かれたものだからだ」と答えている。具体的なアンソロジーの編集という実際面の話であれば、40年代からというのも理解できるのだが、SF史という側面からは、この答えには無理がある。ジャンルとしてのサイエンス・フィクションの歴史は20年代から始まるのだし、ジャンルという枠を外したSFの歴史は、少なくとも19世紀までさかのぼる(このことは彼も認めている)。40年代、すなわちキャンベルの時代をSFというジャンルの基礎と定めることで、氏はあの豊饒で俗悪で華麗で悪趣味なスペースオペラの大群を、SFから切り離してしまったのだ。

 このことは、以降の巻においても影響を及ぼしており、それはSFを真面目でシリアスな(同じことか)側面からのみ捉えようとする姿勢につながっている。ユーモアやドタバタに目を向けないわけではないが、それも何だかお行儀の良い視点が目に付く。何を切り捨てようとしているのかというと、一言でいえば、SFのオタク的側面だ。大人の世界からは理解されない、ファニッシュで内輪受けする、願望充足的でマニアックな欲望の世界だ。いや、そういうものを引きずっているからダメだというのは理解できるし、それはそれで姿勢としては正しいと思うのですけどね。

 問題はSFというジャンルがそういったものの中から生まれてきたのだという事実だろう。SFはその誕生時点から個々の作家や作品を越えたコミュニティを形成してきた。初期の雑誌編集者と読者と作家との、お便り欄と郵便によるコミュニティ。そのオフ会としてのSFコンベンション。ファンジンというメディア。やがて電話が、ファックスが加わり、パソコン通信、ネットニュース、そしてインターネットWEB。SFというジャンルは、このコミュニティの別名でもあるのだ。

 もちろん、そんなものを無視して、作家と作品にのみ目を向けることもできる。その場合、SFという領域の定義に苦労することになるだろう。むしろ、なぜSFという言葉にこだわらなければならないのか、疑問に思うことになるだろう。それが健全な姿というものだ。

 SFにこだわる限り、このジャンルの混沌とした全てを引き受けなければならない。その意味で、中村解説も、まさにSFコミュニティ内部の視点から書かれていることに変わりはない。一人一人の作家と作品よりも、編集者、雑誌、アンソロジーといった出版界の集合的な動向、そして政治状況や時代の雰囲気がどのようにそれに影響し、作家たちがどう関わってきたか。20世紀SF史とは、このSFコミュニティの歴史に他ならないからだ。

 50年代SFに関して、氏の解説は淡々としている。ぼくや水鏡子や、それ以前の世代のSFファンにあるような50年代SFに関する思いは、あまり共有されていないように思える(例えば水鏡子「SFが社会を信頼していた時代」SFM99年2月号)。むしろ、この年代を不安とパラノイアの時代として捉え、その暗黒面を重視している。作品選択にもそれが反映している。おそらくは、こちらの方がよりストレートな見方というべきなのだろう。

 60年代、70年代に関しては、これまで何度か論じられてきたせいもあるかも知れないが、わりあいオーソドックスな記述に終始している。特にいうべきことはない。

 そして80年代。サイバーパンクの時代であり、SFシーンがまた大きく動き始めた時代であるが、中村氏はこれを「レーガン・サッチャー時代のSF」と呼び、あらゆる局面で保守派が巻き返した時代と捉える。サイバーパンクに目を奪われたぼくなどからすれば、なかなか新鮮な感覚だ。したがって、解説の中でも、ミリタリーSFや宗教的原理主義にかなりの枚数を割き、80年代という時代の見事な要約となっている。本シリーズの解説の中でも、特に読み応えのある一編である。

 最後の90年代。さすがに同時代なだけあって、総括には苦労しているように思える。「リミックスの時代」という言葉がどれだけ的を射ているのかは、もう何年かしないと結論は出ないだろう。しかし、現在のカオスをそのまま投げ出したかのようなこの解説は、SFのアイデンティティを見失ってしまいかねない危うさをも含めて、素直に現代の状況を活写したものだといえるだろう。

 おそらく、90年代と、これからの時代のSF界で最も重要となるのは、グレッグ・イーガンのまったくリミックス的ではない作品群だと思われる。しかし、これを一言であらわすいいキャッチフレーズがないんだよね(オーストラリアSFじゃないでしょう)。その一言さえあれば、もしかしたらSFは次の時代にもうまく離陸できるような気がするのだが。

 2001年10月


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