大野万紀
「SFオンライン」98年2月号掲載
1998年2月25日発行
「この1冊」といえば、当然ウィリアム・ギブスンの『ニューロマンサー』しかないだろう。第一部「千葉市憂鬱(チバ・シティ・ブルーズ)」の第一行、「港の空の色は、空(あ)きチャンネルに合わせたTVの色だった」から、もうサイバーパンクな雰囲気に浸ることができる(ところで、ルビの表現ってHTMLでうまくやることができるのかな)。
『ニューロマンサー』では第一部と第二部の「買物遠征(ショッピング・エクスペディション)」がとてもいいのだが、実をいうと、後半部はもう一つ。むしろ、サイバーパンクな雰囲気に浸るという意味では、短編集『クローム襲撃』収録のいくつかの作品が印象に残っている。とりわけ「ニュー・ローズ・ホテル」が好きだ。とにかく、ひたすらかっこいい。ぼくにとってサイバーパンクとは、このような作品のことだと、刷り込まれてしまったほどだ。このころ、ちょうど千葉(チバ)のコンビナートへ出張して、コンピュータの仕事をしていたものだから、われら日本のさらりまんにとってサイバーパンクはまさしく最先端(エッジ)の現実(リアル)だな、と思ったものだ(いやあ、今思えばバブルな時代でしたね)。
サイバーパンクについては、当時から「ハイテク製品の日常化を背景として、テクノロジーがいかに社会と人間性を変えうるかに着目し、それを大上段に語るのではなく、むしろ表面的なスケッチを重ねることでクールに表現する」のが特徴だと考えていた。そして、SF的日常と現実の80年代的日常がかけ離れた物ではなく、リニアに繋がっているという感覚、世界的(グローバル)に広がったポップ・カルチャーの同時代性の中に、このトータルなSF的現代の中に、SF小説を読む自分がいるという安心感が、サイバーパンクを読む魅力であり、そのかっこよさの源泉であると思っていた。
今やバブルははじけ、90年代的日常の中ではあえて「SF的」などという言葉を使う必然すらなくなってしまった。SF的現代はまさしく現代となり、21世紀を目の前にして、未来のイメージはどこにも見あたらない。80年代半ばに『ニューロマンサー』を読んだ時のような衝撃が、今度はどんな作品で味わうことができるのだろうか。
1998年2月