ブックガイド SFで読み解く２０１３年
iPhone5s／5c発売――テクノロジーの拡がり、SFガジェット
大野万紀
早川書房「ＳＦが読みたい！ ２０１４年版」掲載
２０１４年２月１５日発行
■野﨑まど『know』
近未来の京都。人々は脳に〈電子葉〉を移植し、建物や環境に埋め込まれた情報材が構築するユビキタスなネットワークと、直接に通信できる社会。頭で思っただけで情報を検索できるのだ。主人公はこの超情報社会の中で魔法的な情報処理能力を発揮する中学生の少女「知ル」を恩師から託され、巨大なスケールの戦いに巻き込まれていく。魔法使い同士の戦いのような、静かで目に見えない、そして知的な戦い。その向こうには、情報のブラックホールと例えられるＳＦ的な驚きに満ちた宇宙観が広がっているのだ。セキュリティのレベルで分断化された社会。「調べる」と「知る」を同じ意味で使う〈電子葉〉を持つ人々。われわれの社会からほんの数歩先にあるこの世界の、さらに一歩先には恐るべき断崖が待ち受けているのかも知れない。
■グレッグ・イーガン『しあわせの理由』
作者の短編集の中でも評価の高い、九七年の作品である。しあわせも、人間的な感情も、脳内の化学物質がもたらす反応にすぎないとするテーマは、今となってはごく当たり前のように思える。それはずっと昔にヴォネガットが語っていた通りだ。イーガンはそれを突き詰め、ごく日常的なレベルで、誰にでも理解できるようにした。十二歳の時かかった脳腫瘍から生還したものの、治療の副作用で幸福感を感じることのできなくなった主人公。大人になった彼は、画期的な療法の被験者となる。それは脳内物質を自覚的にコントロールして、何がしあわせかを自ら決定できるようにするものだった。彼はこのガジェットを、ささやかな自分の日常の中で使って生きる。その「しあわせ」は贋物なのだろうか。いやそんなことはないと、誰もが思うだろう。
■伊藤計劃『ハーモニー』
人々は医療用ナノテクを体に埋め込み、病気が制圧され、政府ではなく生府と呼ばれるローカルな福祉コミュニティの複合体によって民主的に運営される福祉厚生社会。〈大災禍（ザ・メイルストロム）〉から復興したこの世界は、一部に紛争や貧困を残しながらも、誰もが互いを気遣い、助け合い、優しく親密に〈空気を読んで〉暮らす、きわめて均質な健康最優先の世界となっていた。だがそんな優しさ溢れる世界に息苦しさを感じていた一人の少女が、反抗のあげく自殺してしまう。その時生き残ったもう一人の少女は、世界保健機構に属する監察官として、紛争地帯を駆け巡っている。そして彼女の前に、あの自殺した少女の影が再び現れ、世界を破滅へと導こうとする。人間存在の外部化・ガジェット化というＳＦ的テーマの究極の姿を描く傑作である。
■小林泰三『天体の回転について』
この短編集の表題作である本編は、科学技術が失われた遙かな未来を舞台に、軌道エレベータのバーチャル案内嬢リーナが、好奇心から乗り込んだ主人公を月へと案内する物語である。触ることのできないホログラム像であるリーナは、彼にニュートン力学の概念を画像や言葉で説明してくれるのだが、残念ながらその言葉はほとんど通じない。それでも彼は、実際の体感とイメージから力学を再発見していくのである。そう、イーガンの『白熱光』と実はよく似た構造をもつ話なのだ。この小説の直接的なガジェットは軌道エレベータとその美少女型チュートリアルソフトということになるが、真のガジェットは科学そのものなのである。世界の構造を知り、理解しようとする知的な努力。言葉よりも、知ることへの貪欲さが彼を驚異へと導くのだ。
■木本雅彦『星の舞台からみてる』
ヒロインの香南は顧客の死後にＷｅｂ上での後始末を代行する会社の社員。ＩＴ関係の大企業、ソラゲイト社の創業者、野上の死後処理を任された。彼はこの世界のネットワークの中核をなすエージェントシステムを作り上げた人物である。香南に託されたのは、彼の経歴、履歴、人生を追うこと。エリートサラリーマンな辻河原、野上に心酔している、ちょっと謎な高校生の広野と、３人での調査が始まる。地道でリアルなお仕事小説のその裏で、人工知能と人間との関係や、自意識の問題など、エージェントたちの物語も同時に語られる。さらに、野上という天才的な変人の軌跡を追うことで、新しい社会の構図、信頼によるネットワークというものが浮かび上がってくる。さらにその後には、いかにも夢のあるＳＦ的な大団円が待っているのである。
■長谷敏司『あなたのための物語』
これは人間の死についての物語である。先端的な現代ＳＦだが、とても生々しいごく普通の「あなた」や「わたし」の物語なのだ。主人公の女性科学者サマンサは、疑似神経回路を生成して脳と直接インターフェースできる技術を開発した。それは脳内の疑似神経回路を発火させ、経験や感情、さらには意識そのものを伝達できる記述言語なのだ。彼女は死病に冒され、余命半年であるとわかる。社会性に乏しく、研究以外に生き甲斐をもたない彼女は、死に直面し、あらがい、怒り、苦しむ。彼女に対峙するのは、量子コンピュータ上で走る人工知能。彼は彼女のために小説「あなたのための物語」を書く。肉体に捕らわれた意識と、肉体を持たない意識の対比を、病気と死というきわめて肉体的な事象をもとに、生々しく赤裸々に描き出した傑作である。
■その他のオススメ作品
アップル社のiPhone5がdocomoからも発売されることで、日本中の三大キャリアで同じ機種が使えるようになった。
ＳＦは携帯電話の登場を予測し損ねた（似たようなものはずいぶん書かれていたのに）とは、よく聞く言葉だけれど、今さらそんなことをいってもしょうがない。
予測し損ねたとすれば、ガジェットそのものではなく人々がそれにべったりと依存するネット社会、そこに生じるネット人格のようなものについてだろう。ここで紹介する６冊はいずれもその辺りにも踏み込んだ傑作ばかりだが、あと２冊挙げてもよいとのことなので、菅浩江『誰に見しょとて』（ハヤカワＳＦシリーズ Ｊコレクション）と野尻抱介『南極点のピアピア動画』をこのテーマの傑作としてお勧めしたい。菅氏は究極のウエアラブル端末＝化粧というガジェットを文明史の観点から扱っており、野尻氏はボーカロイドをベースに集合知が世界を変えていくありさまを描いている。いずれも未来志向の傑作である。
２０１４年１月