ハードSF
大野万紀
早川書房編集部編「SFハンドブック」掲載
1990年7月15日発行
早川書房 ハヤカワ文庫SF
ISBN4-15-010875-7 C0195
SFは、本来「サイエンス・フィクション」の略だった。日本でも、昔は「空想科学小説」という用語が使われていた。この意味で、SFと科学とは切っても切れない関係にあったはずである。それがいつか、SFの意味する範囲が広がって、科学とほとんど無関係なファンタジイや冒険小説のたぐいもSFと呼ばれるようになり、本来の、より科学性の高いSFを「ハードSF]と呼ぶようになった。このように、「ハードSF」という用語は、拡大していくSFの領域に対する、SFファンの「本当のSFとはこんなものではなかったはずだ」という嘆きから生まれた、SFというジャンルの中での求心性をもった言葉であり(いや、昔はもっと簡単だった。SFをおおまかに「S派」と「F派」にわけていれば済んだのだから。ジャンル自体が小さかったので、同じSFの中の趣向の違い程度の意味しかなかった。クラークを読む人はブラッドベリも読んでいたのである)、したがって、その定義は読者の思いいれの強さによって大きく異なるというのが実状である。
このあたりの事情は英米でも同じであり、『SFエンサイクロペディア』のピーター・ニコルズも、ハードSF(ハードコアSF)という用語に具体的な適用例がかなり異なる二つの用法があると指摘している。その第一は「いわゆるSFの黄金時代に書かれたジャンルSFのテーマと、多くの場合そのスタイルを、反復しているような種類のSFをいう(浅倉久志訳)」。またその第二は「いわゆる〃ハード〃サイエンスを扱っているSFをいう」。従来、わが国でハードSFといえば、通常この第二の意味で使われていると考えても良かったのだが、先に述べたようなSFの〃浸透と拡散〃現象(この名は筒井康隆氏による)によって、第一の意味での使われ方が多くなってきた。このためそれに不満を感じるSFファンの間で、いくつかの論争も起こった(例えばJ・P・ホーガンの作品はハードSFか、といったもの)。いずれにせよ、これからSFを読んでみようとするみなさんには、最初に書いたように、数多くあるSFの中でとりわけ科学性の強いものをハードSFと呼ぶ、というくらいに考えておいていただければ充分だろう。
ハードSFの定義をもう少し紹介しよう。まず、最も〃ハード〃なのが、ハードSF作家で「ハードSF研究所」を主催されている石原藤夫氏のもの。氏によれば、真のハードSFとは、小説の〈問題意識〉、〈舞台設定〉、〈展開〉、〈解決〉のすべてにおいて、理工学的な知識に基づいた科学的ないしは空想科学的な認識や手法を生かしたものである。氏は特に「ストーリーの展開と解決とが〃科学的論理または科学的手法をもつ空想科学的論理〃によっていなければならない」と強調する。この定義に合致する作品としては、氏自身の作品や堀晃氏の作品がまず第一にあげられるが、海外作家でいえば、アーサー・C・クラークの数多くの短篇や『宇宙のランデヴー』、『楽園の泉』といった作品、ロバート・L・フォワードの『竜の卵』や『ロシュワールド』といった作品があげられよう。これらのSFをハードSFと呼ぶことに異論のある人はさすがに少ないだろう。
小松左京氏はハードSFを「科学の理論的追求が、そのフロンティアにおいて遭遇している〃問題〃について、文学的な〃処理〃を行う」ものと定義している。氏自身の作品の他、フレッド・ホイルの『10月1日では遅すぎる』、スタニスワフ・レムの『砂漠の惑星』などがこの意味でのハードSFにあたるといえよう。いくぶん思索的な色彩が濃く、「本格SF」と呼ばれる領域とオーバーラップしているようである。
もう少し広くハードSFをとらえるなら、作品の設定が科学的で、科学的な整合性が重視されているSF、あるいは、それを読んで得られる面白さの主な要因が読者の科学・技術的な想像力を刺激するアイデアや描写にあるようなSF、また別の観点から、それを読むことによって科学への興味やあこがれがより増すようなSF、こういったSFをハードSFと呼ぶこともできるだろう。『世界のSF文学総解説』(自由国民社)の欄外解説にある「SFというジャンルを、SFのもつ科学ムード的、イメージ的側面に重きをおいてとらえていった場合、その中核的な部分にあたる作品をいう」という定義も、科学そのものというよりもその雰囲気に重点をおいている点で、より一般的な定義だといえる。何しろハードSFの好きな読者のすべてが科学について充分な素養をもっているべきだなどとはいえないのだから(もちろんある程度科学知識があった方が、これらのSFをより楽しむことができるのは当然である)。専門知識はなくてもコンピュータが得意な人とか、学校の勉強は苦手でも星や宇宙が大好きな人とかは大勢いるはずだ。そういう読者にとって、広い意味のハードSFは(より純粋なハードSFと同様に)教科書的でない科学とのよい接点になりうる。科学をエンターテインメントにしたっていいのだ。いや、最先端の科学者たちが考えだした壮大なビジョンを、奇想天外なおもちゃにして遊び、味わい、楽しむこと、それこそハードSFの最も正統的な楽しみ方だといっていいだろう。
このようなハードSFの作家には、先にあげた他に次のような名をあげることができる。ラリー・ニーヴン、J・P・ホーガン、チャールズ・シェフィールド、グレゴリイ・ベンフォード、ポール・アンダースン、ジョン・ヴァーリイ、ポール・プロイス、ハル・クレメント、ジェイムズ・ブリッシュ、フレデリック・ポール……。
ハードSFは決して「難解なSF」ではない。むしろ最もSFらしい、最も純粋で愛すべきSFなのである。
1990年1月