ロバート・チャールズ・ウィルスン/茂木健訳
『楽園炎上』 解説
大野万紀
創元SF文庫
2012年8月21日発行
(株)東京創元社
BURNING PARADISE by Robert Charles Wilson (2013)
ISBN978-4-488-70609-8 C0197
本書はロバート・チャールズ・ウィルスンの二〇一三年の長編、Burning Paradise の全訳である。シリーズものじゃなく、単独長編なので、安心して買ってください。
ロバート・チャールズ・ウィルスンといえば、ごく普通の人々の日常生活や家庭内の人間関係を細やかに描きながら、その背景となる世界設定はわれわれの知っている世界からとっぴょうしもなく変貌しているというタイプの作品が多い。代表作といえる『時間封鎖』(Spin, 2005)、『無限記憶』(Axis, 2007)、『連環宇宙』(Vortex, 2011)の三部作もそうだし、『クロノリス――時の碑――』(The Chronoliths, 2001)もそうだ。『時間封鎖』では突然夜空から星々が消え、地球が漆黒の界面に包まれてしまうし、『クロノリス』では世界中に次々と巨大な塔が出現する。そして、そんな激変した世界の中で、物語は登場人物たちの日々の暮らしや、親子、兄弟姉妹の関わり合いをじっくりと印象深く描いていくのだ。
本書もまた、同じような作風だといえる。変貌した世界、その世界における人々の心理や社会のありさま、そして登場人物たちの、互いに愛し、憎み、許し合う、そんな心と感情……。ただ本書の場合、背景にあるのは『時間封鎖』などのような現代的、ハードSF的なものというよりも、もっと古典的なもの、あえていえば五〇年代SFのような、懐かしさとサスペンスに満ちた物語なのである。
本書の世界はこちらの、現実の歴史とは異なる時間線をたどった並行世界である。一九一四年に世界大戦が終わった後、第二次世界大戦は起こらず、小さな紛争は絶えないが、国家間の大きな戦争はない状態が続いている世界。百年間におよぶ平和と繁栄を祝って、休戦百周年の記念行事が予定される、そんな二〇一四年が舞台だ。
だが、そんな上辺の平和の裏側を知る人たちがいた。〈連絡協議会〉のメンバーである、科学者、研究者、そしてその家族たちである。彼らは真実を知り、その結果として惨劇に見舞われた。生き残った者と遺族たちは、それ以後ずっと、ひっそりと身を隠し、秘密を守って暮らしている。
その隠された真実とは、十九世紀末に発見されて以来、ラジオ、電話、テレビなど、あらゆる長距離無線通信の根幹となっている、地球を取り巻く電波層(ラジオスフィア)――電離層ではない――が、実は一種の知性をもった生命体であり、それがすべての無線通信を傍受し、改ざんすることで、人類の歴史に干渉し、操ってきたという事実である。無線通信の発明後、ずっと平和が続いているのもその干渉のおかげだった。それどころか、超高度群体(ハイパーコロニー)と名付けられたこの生命体は、彼らの手先となる人間そっくりの擬装人間(シミュラクラム)を作って、人々の間に紛れ込ませているのだ。
擬装人間は見た目は人間そっくりだが、独自の意識はもたず、アルゴリズムで人間のように会話する操り人形である。その体内には植物の汁のような緑色の液体がつまっており、赤い血はわずかしか出ない。真実を知った連絡協議会の科学者たちは、彼らの襲撃によって殺害された。
だがそれから数年、ふたたび彼らは動きだした。前回の襲撃時に両親を殺され、伯母のネリッサのもとで暮らしていた少女キャシーと弟のトーマスは、連絡協議会の定めた鉄則に従って決死の逃亡を始める。協議会の仲間を頼り、有力者のいる所へ向かって。一方、ネリッサの夫である科学者イーサンのもとへも擬装人間が迫る。ところがイーサンが捕らえた擬装人間は、意外な情報を彼に告げるのだった。
何が本当で何がウソなのか、誰が敵で誰が味方なのか、そもそも超高度群体はいったい何をしようとしているのか……。
人間に化けた生命体による侵略。疑心暗鬼の逃避行。「遊星からの物体X」を持ち出すまでもなく、SFやホラーでくり返し描かれてきたテーマである。第二次世界大戦という大きな変革をもたらす戦争がなかったせいか、本書の二十一世紀は、まるで五〇年代、六〇年代のような、少し古めかしく懐かしい感じに描かれている。そして本書のテーマもまた、五〇年代、六〇年代に多く書かれた、パラノイアSFの系譜を継ぐものだといえる。
戦後からベルリンの壁崩壊まで、二十世紀後半は東西冷戦の時代だった。その中でも特に六〇年代前半までは、いつ核戦争が起こっても不思議ではないような、不安な日常が世界を覆っていた。そんな重苦しい雰囲気を背景に、目に見えているものをそのまま信じることができない、にこやかに笑っている隣人がスパイや宇宙人かもしれない、いやこの日常そのものが何かの欺瞞(ぎまん)で、誰かに――政府に、敵に、宇宙人に――操られているものなのかも知れない、そんなパラノイアックな感覚をもったSFが書かれていった。すぐに思いつくその代表的な作家は、何といってもフィリップ・K・ディックである。彼の初期短篇は多くがそういった現実への懐疑とサスペンスを扱っているし、長篇でもほとんどの作品にそのような強迫観念を感じとることができる。
こういったパラノイアックなSFは、現実が見たままのものではなく、仮想との境界がきわめてあいまいなものだということを読者に突きつけるという意味で、現代のバーチャルリアリティを扱ったSFととても親和性の高いものだといえる。だが、現代のそういう作品が、主に主人公の主観、意識すら疑うという観点から描かれることが多いのに対し、昔の作品では、本当に世界の側が主人公を欺こうとするのである(ディックにはその両面があるのだが)。では本書の場合はどうかというと、擬装人間は実際に人間ではないのだし、主人公たちはそのことには何の疑いも持たない。そういう意味で、まさに古典的なパラノイアSFだといえるだろう。少なくとも、もうひとつのさらに恐ろしい真実が明らかとなるまでは。その時点で、本書はまぎれもない現代SFへと変貌する。
主人公たちの、不安と恐怖に満ちた逃亡生活。その中でわき起こる愛と疑惑。舞台はアメリカからチリへと広がっていくが、とりわけアメリカでの彼らの生活が、実にこの作者らしい細やかさで描かれていて、主人公たちの揺れ動く心情が胸を打つ。そのことが、さらに最終的な真実の暴露によって、より大きな衝撃を呼ぶのだ。
本書はまた、異質な知性とのファースト・コンタクトSFでもある。もっとも物語の開始時点ではすでにファーストとはいえなくなっているのだが。地球を取り囲む超高度群体。それは一つ一つは小さな石くれのような小球体が無数に集まった、蟻塚(ありづか)のような集合知性である。それは大気圏の上層をぐるりと取り囲み、人類が無線通信を発明するまで待ち続けたのだ――それにしても作者は、地球が何かに取り囲まれてしまう話が好きですね。
協議会の科学者たちを襲った惨劇。この不幸で悲劇的なファースト・コンタクトにより、超高度群体は〈敵〉となったのだが、本当にそうなのか。今度の、いわばセカンド・コンタクトで、新たな情報が明らかとなる。しかしそれもまた真実なのだろうか。
この点で本書は、現代SFの最もホットなテーマのひとつ、認知科学的な意識や心のあり方の問題とも関わってくる。これはコンピューターやロボットが自意識を持ちうるかという、SFにとってもたいへん興味深いテーマなのである。外から見ればまったく人間のようにふるまいながら、その内部には心も自我もない機械的な存在、いわゆる哲学的ゾンビというやつだ。もちろん実際にそんな存在があり得るのか、議論の余地があるところだが、彼らとは人間的な関係性を築くことはできないものなのか。本書の後半では、そういうテーマも立ち現れてくる。単にノスタルジックな、昔ふうのパラノイアSFというだけではないのだ。
本書のタイトル『楽園炎上』は、百年の平和と繁栄を享受する「楽園」が、その真の姿を暴かれ、「炎上」するという意味なのだろう。だが勝手に深読みするなら、そこにもっと違った、現代的な意味を見いだすことができるかもしれない。以下、少々蛇足ながら……。
もしかすると二十一世紀は、再び、新たなパラノイアの時代を迎えようとしているのかもしれない。むしろ冷戦時代よりずっとややこしく、気持ちの悪い状況となって。
確かに、電波層なんてものはこの現実には存在しないし、緑色の体液をもつ擬装人間も(たぶん)いないだろう。だが本書を絵空事だとはいいきれない。電波層を「クラウド」と、超高度群体を「天の声」とか「空気」とかいい換えれば、おやっと思うのではないだろうか。冷戦時代と違い、はっきりと敵味方に二分されているわけではないが、あいまいで見えにくい抑圧がある。国家権力や全体主義が強権的に支配しようとしているというよりは、もっと分散し、多様化し、隣人同士を互いに疑心暗鬼にさせるようなテロと抑圧と暴力。通りにあふれる監視カメラを望んでいるのは、国家権力以上にわれわれ自身だったりするのだ。
電波層はないが、かわりにネットが世界を覆い、仲間内のおふざけのつもりが、たちまち誰かの目にとまり、拡散し、炎上する。いつもは仲の良いあの人も、本当に信用できるのか。もっともらしく流れている情報の、どこまでが本物なのか。まことしやかなタイトルのメールを開くと、悪意あるウィルスに感染し、触れられたくないものすべてを流出させてしまう。それを面白がる者たち。彼らには本当に赤い血が流れているのか。意識なく反射行動をしているゾンビではないのか。洗脳され、自爆する少年少女のテロリストたち。彼らを動かすのは、特定の誰かというよりも、蟻塚の知性のような、集合的な超高度群体ではないのか。
まさにパラノイアだ。そう思えば、本書の擬装人間など、ずいぶんと大らかで平和的にすら感じる。
「真実を知るほうが、愚者の楽園で生きるよりずっとまし」と、本書の登場人物は語っている。また別の人物は「あとは、人間の良心と分別だけが頼り」とも。
だがその一方で「心や思考力などなくとも、大自然は卓越した詐欺師である」という冷徹な認識も本書にはあるのだ。
心のない詐欺師の世界で、良心と分別がどこまで頼りになるのか。その不安を抱えつつ前に進んでいくことこそが、炎上する楽園の中で生き抜くすべだということなのだろう。
リチャード・チャールズ・ウィルスン。実はぼくと同い年である。もしかしたら同世代感覚というやつかもしれない。彼の最新作は、The Affinities(2015)。まだ読んではいないのだが、近未来のSNSがテーマで、人間関係の変貌を扱った作品らしい。これもまた、炎上する楽園の話なのかもしれない。
2015年7月