ダン・シモンズ/酒井昭伸訳
 『エンディミオン』 解説

 大野万紀

 ハヤカワ文庫
 2002年2月28日発行
 (株)早川書房
ENDYMION by Dan Simmons(1996)
ISBN4-15-011389-0 C0197(上)
ISBN4-15-011390-4 C0197(下)


 ぼくらはもう結末を知っている。

 あなたは『ハイペリオン』を読んでいる? まだ読んでいない?
 あなたは『ハイペリオンの没落』を読んだ? まだ読んでいない?
 あなたは本書をハードカバー版でもう読んだ? まだ読んでいない?
 あなたは本書をハードカバー版で読み、『エンディミオンの覚醒』ももう読んでいる?
 あなたが、以上のどれにあたるにしても、本書を手に取ったからには、ぜひ買ってほしい。初めて読む人はもちろん、すでに読んだという人も、ぜひ再読していただきたい。決して損はしないはずだ。
 本書はもちろん『ハイペリオン』と『ハイペリオンの没落』の続編である。が、その三百年後の物語であり、前作を読んでいなくても独立して充分に楽しめる。もちろんあなたが『ハイペリオン』をまだ読んでないのであれば、ぜひ読んでほしい。というか、本書を読めばきっと読みたくなるに違いない。でも順番を守らないといけないということはありません。
 もう読んだ、というあなた。とても楽しかったというあなた。せっかく文庫版で出たのです。これなら通勤や通学の電車の中でも読めます。ぜひもう一度読みましょう。可愛いアイネイアーにまた会いましょう。みんなでテテュス河を下りましょう。デ・ソヤ神父大佐の不屈の精神に涙しましょう。

 そう、本書は〈ハイペリオン・サーガ〉四部作の第三作であり、『エンディミオンの覚醒』へと続く新二部作の第一巻にあたる。もちろん本書だけでは物語は終わっていない。本書を読み終わると、あなたは一刻も早く『覚醒』を読みたくて仕方がなくなるだろう。にもかかわらず、本書は本書だけ独立して読んでもたっぷりと満足感が味わえる作品なのである。こんな本は珍しいよ。
 何がそんなに面白いのかって? そりゃもう、ありとあらゆるSFの面白さがつまっているところ。そして、現代SFらしい重層的なテーマが込められているにもかかわらず、むしろ大スクリーンの冒険活劇としてひたすら軽やかに、スピード感とユーモアにあふれた筋立てで、息をのむような美しいシーンや大迫力のスペクタクルシーンが次から次へと現れ出てくるところ。本質的には(その最良の意味において)ハリウッド的な娯楽超大作であり、神話的な物語の面白さを堪能させてくれる作品なのである。
 思えば『ハイペリオン』では(特に『没落』では)まだ肩の力が抜けてなかったように思える。それが本書のあっけらかんとした伸びやかさはどうだ。『覚醒』になるとまた重い議論も出てくるのだが(まあそれが物語の妨げにはなっていないのがさすがだ)、本書ではひたすらヒロインとヒーローの一党が逃げ続け、敵方がそれを追っかけるというだけ。こんなシンプルな話に作者はこれだけの分量をかけ、情熱を注ぎ、ぱっと視界が広がる大画面と繊細で深みのある描写を使い分け、キャラクターたち一人一人に愛情を傾けてその人柄を語っているのである。とりわけ主人公たちの遍歴する様々な惑星の描写は圧巻で(これは『覚醒』でもいえることだが)、もう本当にその筆力には圧倒される(それをうまく日本語におきかえている訳者の力でもある)。ジャングルの惑星、氷の惑星、海の惑星、砂漠の惑星、それぞれにその世界の環境があり、景観があり、生態系がある。視覚的に絵として見るだけではない。その暑さ寒さ、湿気、匂い、重力の感覚、そういった全てを感じさせてくれる文章の力がある。ハリウッド的大画面の魅力があるからといって、映画化すればいいってもんじゃない。コトバが脳の中に描き出すバーチャルなトータルスコープは、まだまだ映画の技術では力が及ばないのではないだろうか。

 以下、本書の内容にふれるので、ネタバレ的なものはいっさい読みたくないという人はご注意を。でも、この程度のことで本書の面白さがわずかでも損なわれることはないと、ぼくは確信しているのだが。

 さて、本書の主人公は惑星ハイペリオン出身の青年、ロール・エンディミオンである。このロールくん、本書の語り手でもあるが、背が高く、純朴で、熱血で、頼まれたらイヤとはいえない性格。おいおい、そこまでやるか的な無謀さや、もうちょっと賢くふるまえよ的な直情径行さは、ほとんど少年マンガの行動派ヒーローのノリである。ささいなことから死刑を宣告された彼は、『ハイペリオン』と『ハイペリオンの没落』――二篇あわせてこの世界では『詩篇』と呼ばれている――の作者、マーティン・サイリーナスその人に救われる。齢千歳にもなろうとするこのやたらと人間くさい伝説的な老人は、彼にとんでもない使命(ほとんど試練ですな)を与える。
 連邦の崩壊後、この世界を牛耳っているのは、死者の復活を可能とする聖十字架を擁するカトリック教会〈パクス〉。彼らは今、最強のスイス護衛兵三千を含む三万の精鋭で〈時間の墓標〉を取り囲み、過去から一人の少女が現れるのを待っているという。その少女とはアイネイアー。未来の救世主であり、〈教える者〉であるが、今はまだ十二歳の女の子にすぎない。
 老人はエンディミオンに、彼女を〈パクス〉の大軍団から救出してほしいと依頼する。
 それだけじゃない。その他にも、老人は色々と彼にやってほしいことを指示するのだ。これがなかなかすごいので、書き出してみよう。
 まずは、四十二時間以内に北の〈馬〉大陸へ行って、三万の〈パクス〉精鋭を突破し、アイネイアーを救出すること。それから宇宙船に乗って旧連邦の一番近い惑星へ逃げ、テテュス河を通って、惑星巡りをすること。
 テテュス河というのは多くの惑星のそれぞれの水域を転移ネットワークで――『ハイペリオン』二部作を読んだ人なら知っているが、連邦時代には〈ワールドウェブ〉という「どこでもドア」のような瞬間転移ネットワークがあった――つないだ単一の大水路であり、その昔は観光や交通に使われていたものである。ネットワークの崩壊で、今はもう役に立たないはずだ。
 それから、アイネイアーといっしょに、地球を見つけること。地球は〈テクノコア〉――神にも等しい力をもつといわれるAI――によって盗まれ、マゼラン雲へと運び去られたらしいのだ。老人はロールに、その地球を見つけだし、もとの場所に戻してほしい、という。
 それから、〈テクノコア〉のもくろみをさぐりだし、そのもくろみをくじくこと。
 それから、〈アウスター〉――宇宙空間に適応し、人類とは違う人類になった宇宙の蛮族――に相談し、老人に真の不死を提供できるか確かめること。
 それから、〈パクス〉を滅ぼし、教会を権力の座から追いやること。
 それから、シュライクがアイネイアーを狩りたて、人類を滅ぼしさるのをくいとめること。
 これらすべてをやりとげ、アイネイアーを守って、その使命が全うされるまで彼女を支えてやってほしい、と。
 われらがロールくんは、半ばやけっぱちながら、この申し出に、オッケー、まかしといてと答えちゃうんですね。
 さすがは、「床屋で散髪するヒーロー(等身大で日常的な、という意味だと思うが、口の悪いサイリーナスのいうことだから、素直にはとれないなあ)」だ。やるなあ。
 彼がそのかわりに求めたのは、アンドロイドのA・ベティックを同行させてほしいということだけ。
 かくして、ロール・エンディミオンは、空飛ぶホーキング絨毯に乗って、まだ見ぬアイネイアーを救いに出かけるのだ。
 もう、たまらないでしょう。まさに神話的ながらユーモラスで軽やかさのあるヒーローの誕生だ。
 A・ベティックはこれまた典型的な執事タイプ。落ち着いていて献身的で、でも川下りの最中に大昔の観光ガイドに読みふけっていたりして、なかなかお茶目な面もある。
 かくして、エンディミオンとアイネイアー、そしてアンドロイドのベティックとおしゃべりな宇宙船(この宇宙船もすてきだ)による、惑星巡りの逃避行が始まる。
 逃避行であるからには、追いかける側もいる。
 それがカトリック教会から特命を受けたデ・ソヤ神父大佐であり、彼の腹心の部下であるグレゴリウス軍曹、キー伍長、レティグ上等兵――アイネイアーを捕らえようとしたパクス兵の生き残り――だった。これがまた強烈なのだ。
 本書を読んだなら、多くの人がデ・ソヤ神父大佐に共感することになるだろう。敵役ながら、この人はすごい。どこか間の抜けていて頼りないところのあるエンディミオンに比べ、彼は鋼鉄のような不屈の精神の持ち主であり、任務に忠実でありながら情にもあつい、正義感あふれる人物で、まさに真のヒーローというにふさわしい。とことん悲惨な目にあいながら――何しろ、彼らがアイネイアーらを追いかけるのに使う高速宇宙船〈大天使級急使船〉は、恐ろしい加速度を出すので、乗っている者はみなおぞましい死をとげざるを得ない。そして目的地に着いてから聖十字架の力によって復活するのだ。時には復活に失敗してもう一度死に、再度復活するなんてこともある。SFではこれまで数限りない超光速航法が描かれてきたが、こんなとんでもない航法がかつてあっただろうか――彼はまるでルパン三世を追いかける銭形警部のように、何事にもくじけず、任務を全うしようとするのだ。それだけでなく、彼は惑星の地方行政組織の不正を暴いたりといったことを、ついでのようにおこなってしまう、にくいキャラクターである。とりわけ海の惑星マーレ・インフィニトゥスでの大活躍には、ロールたちに逃げ切ってほしいと思うと同時に、デ・ソヤ神父大佐がんばれ、もっとやれと声援をおくってしまうことだろう。
 そしてきわめつき、最悪の敵役、ネメスの登場だ。
 前二部作でとびきり不可解な存在として現れ、恐るべきパワーを発揮して殺戮の限りを尽くしたシュライクという存在。本書でもやはり強烈な破壊力を全開にしているのだが、ネメスはそれに充分対抗できる存在である。アイネイアーを巡るシュライクとネメスの戦いは、ハイペリオン・サーガではあいまいにしか描かれてこなかった、人間たちの世界よりもっと上位の次元での物語に属していて、本書で描かれるのはまだほんのジャブの応酬にすぎない。すべての謎が解かれる次巻ではさらに本格的な対決が待っている。とはいえ、謎めいているだけにむしろ、本書での印象は圧倒的で、この凶悪さにはほれぼれしてしまう。こっちはデ・ソヤと違って本当に悪役なのだけれど、それでもつい応援したくなったりして。そりゃ、わけのわからんシュライクよりは、悪意が露わなだけずっと人間的だもんね。

 とまあ、こういった人物やアンドロイドやAIや謎の存在が入り乱れ、様々な次元での思惑が交錯しつつも、物語は追いつ追われつの基本に忠実に、しごくストレートに展開する。これだけのボリュームがあり、複雑な背景をもった小説であるにもかかわらず、読者はまったく混乱することなく(あるいは混乱するヒマもなく)あれよあれよという間にページをめくり、SFの面白さを堪能することができる。決して読者を退屈させないというシモンズの、驚嘆すべき腕の冴えがいかんなく発揮された作品だといえるだろう。
 ぼくの周囲にいる年期の入ったSFファンで、本書を読んだ連中は、誰もが文句なく面白かったと語り、本書がハイペリオン・サーガ全巻の中でも最高傑作だという者も何人かいる。それは奥の深さを秘めながらもあくまでシンプルに、ストレートに物語りを語るという本書のある意味の潔さが高く評価された結果だろう。
 ハイペリオン・サーガは、ありうべき未来の科学技術による社会や人間性の変化をリアルに考察するようなSFではなく、また宇宙における人類の運命を考えるような哲学的SFでもない。現実の日常性の裂け目から異世界をかいま見るようなタイプの作品でもなく、あえていえばファンタジーに近い原型的、神話的な冒険SFであり、全体としては往年のスペース・オペラや、異世界冒険もの、ワイドスクリーン・バロックと呼ばれるタイプのSFに近いものである(もっとも『ハイペリオン』の個々の挿話のように、また違うタイプのSFもその中に混在しているのだが。お得なSFの福袋といったところか)。その世界観は現代的で、何よりも世界の多様性を重視し、ラブ&ピースを求め、心と心を繋ぎ、人と人、自然や環境との共感と調和をよしとし、そして楽しいことや悲しいこと、快感や苦痛、そういった人間の自然で生き生きとした感覚を肯定すること、そんな素朴でユートピア的な感覚が背景にある。ニヒリズムに満ちた世界で、このような楽天的でハッピーな志向を持ち続けようとすると、それだけでSFになってしまうのかも知れない。もちろん作者はそんなユートピアへと至る道がいかに困難なものであり、その裏でどれだけの悲劇が起こりえるのかということを、このシリーズの中でも明らかにしている。楽しい、美しいシーンに続く、残酷さや苦痛に満ちた痛みの描写が印象的なのも、そんな背景があるからではないだろうか。
 作者は本書の中で主人公たちの旅を『オズの魔法使い』になぞらえている。物語の構成そのものがキーツの『エンディミオン』からとられているということだし、そういった過去の文学やSFからの照り返しがいく重にも物語を覆っている。原型的・神話的な感覚というのもそのような多重性がもたらしているものだろう。ぼくの周囲でも、本書からディレーニイの『エンパイア・スター』やコードウェイナー・スミスの「クラウン・タウンの死婦人」、それからゼラズニイやヴァンスの諸作を思い起こさせるという意見が多かった(ヴァンスは作者本人も言及しているのだが)。それにマーク・トウェインも入るかも知れない。さらには映画のスターウォーズ・サーガまでが渾然一体となって、この宇宙のイメージを豊かで奥行きのあるものとしているのだ。

 ダン・シモンズは作家になるまえ、一八年間小学校の教師をしていたという。ハイペリオン・サーガの原型となるような物語はそのころから彼の頭にあり、子どもたちに話して聞かせていたそうだ。その様子がわかるような作品「ケンタウルスの死」がアンソロジー『20世紀SF (6)1990年代』(河出文庫)に収録されている。この作品はハイペリオン・サーガがまさに語り聞かせの物語であり、SF要素の強いインタラクティブなファンタジーRPGゲーム(語り手と聞き手の相互作用の産物として)にとても近しいものであることを示唆している。シモンズはホラーも書き、純文学も書き、SFというジャンルにはとらわれない作家であるが、少なくとも本人が熱烈なSFファン(SFをその骨肉としている)であることだけは間違いないところだろう。
 ハイペリオン・サーガのその後だが、シルヴァーバーグ篇のアンソロジー『遙かなる地平 2』(ハヤカワ文庫)に、シリーズの後日談である「へリックスの孤児」が収録されている。これが外伝として終わるのか、新たなサーガの幕開けへとつながるのか、作者自身はどちらかというと否定的なようだが、ぜひ後者であってほしいものだ。

2002年1月


トップページへ戻る 文書館へ戻る