キム・スタンリー・ロビンスン/大島豊訳
『グリーン・マーズ』 解説
大野万紀
創元SF文庫
2001年12月21日発行
(株)東京創元社
GREEN MARS by Kim Stanley Robinson(1994)
ISBN4-488-70704-1 C0197(上)
ISBN4-488-70705-X C0197(下)
本書は一九五二年生まれのアメリカ人作家、キム・スタンリー・ロビンスンのヒューゴー賞受賞作 Green Mars (1994)の全訳である。ネビュラ賞を受賞した前作『レッド・マーズ』Red Mars (1993)の続編であり、これまたヒューゴー賞受賞のBlue Mars (1996)へと続く三部作の第二部にあたる。
さて、以下の解説では前作『レッド・マーズ』の内容にふれる場合があるので、未読の方はご注意願いたい。本書は前作から連続した未来史を構成しているので、本書を読む前にぜひ『レッド・マーズ』をお読みになることをお勧めします。
この三部作は人類の火星への植民と火星のテラフォーミング(地球化)、そして植民地の独立を描く大河SFである。ロビンスンは火星テラフォーミングという、すでにSFから科学の領域へと入り込んだテーマをとことん深く掘り下げ(ただし、〃SF的〃に。いくら何でもわずか百年そこらで火星をテラフォームするためには、科学的には目をつぶらなければいけない事がたくさんあるはずだ)、まるで実際に目の前にあるかのように火星の風景を、そして徐々に改造されていくそのさまを描き上げる。前作でも本書でも、過酷で美しい火星の大自然を描写するとき、ロビンスンの筆は冴えわたる。
それは科学的な事実から演繹される美だ。例えば空の色。上巻二八〇ページからのサックスの考察を見て欲しい。青い空、あるいはピンクの空というとき、その背景にいかなる科学的事実があるのか。このような美こそ、まさにサイエンス・フィクションとしてのSFが描くべきものだといえるだろう。あるいは砂漠の植生、氷の下の青い光、氷河のふるまい、そういった静かでダイナミックな力に満ちた光景の数々は、いつか本当に火星のテラフォーミングが行われるとき、われわれの目にするものにきわめて近いことだろう。
そういう火星を見たい。赤い火星だけでなく、緑の火星を、そして青い火星を。それがこの三部作全体を通じての最大のテーマであり、本質的な、物語をドライブしていくテーマだといえるだろう。そういう意味で、作者も、そしてそのことに共感するわれわれも、基本的には〃グリーンズ〃なのである。もちろん荒々しい生のままの赤い火星も美しい。それを守ろうとする〃レッズ〃の気持ちもわかる。だが太古の青い海が復活し、陸も海も生命にあふれる新たな火星こそ、SFファンであるわれわれがこの目で見たい、できれば行ってみたいと思うロマンティックでどこかノスタルジックな異世界なのだ。
もちろん、九〇年代の小説であるこの三部作は、それが決して安易でロマンティックなものではなく、シリアスで複雑できわめて政治的な問題であることを第二のテーマとしている。科学的・技術的にも決して簡単なことではないが(とはいえ、そこはSF的に大変短い時間で解決できるとした上で)、政治的・経済的にはとんでもない大問題なのだということを。とりわけ第二部である本書では、それが最大のテーマとなっている。そもそも火星開拓などという大事業はロマンだけで実現できるはずがない。資源の開発というだけでも弱い。地球の人口問題といった危機的な状況があって、はじめて政治的・経済的に可能となるものだ。また植民地の独立も、圧政からの自由を求めて戦うといったアメリカ人好みのストーリーで可能となるようなものではない(本書にも、短絡的にそう考える者がたくさん出てくるのだが)。そこで、この大河SFでは、政治・経済に関する細かな考察と、政治的自由の獲得へ向けての長い、挫折に満ちた道のりが描かれる。基本的にリベラルで、アメリカの草の根的自由と多様性を信奉しているように思える作者だから、本書でもその西海岸ユートピア的な指向性が(色々と遠回りをしながらも)しだいにその姿を鮮明にしているように感じられる。たとえば、本書のクライマックスである独立宣言に向けての部分、また地下組織が開く全体会議の部分などに、それが色濃く現れている。本書で登場した、地球側のシンパとなる超国籍企業体のトップにいたっては、サーフィンが大好きという設定なのだ。
火星に人類が到達したのは、この三部作の歴史では二〇二〇年。そして二七年には〈最初の一〇〇人〉と呼ばれる人々が植民者として火星に住み着く。四〇年ごろから国連の名のもとに超国籍企業体による大規模なテラフォーミングが開始され、五〇年ごろから人口が急増。五〇年代の終わりに軌道エレヴェーターが完成し、人口の流入はさらに加速される。かくて様々な矛盾が表面化してゆき、二〇六一年の革命、そして大崩壊へとつづく。これが『レッド・マーズ』で描かれた火星の歴史である。本書では、その後、地球の超国籍企業体による支配に反発して地下に潜った〈最初の一〇〇人〉の主要メンバー一人一人の動きを追い、新たな火星生まれの世代の台頭と、抵抗運動の公然化、テラフォーミングの進展、地球側での動向、そして独立への道のりが描かれる。
長命療法により、〈最初の一〇〇人〉はほとんどがまだ存命している。このSF的アイデアのおかげで、(おそろしく短縮されているとはいえ)テラフォーミングの長い時間が同一人物の視点から眺められるようになっている。歴史物語の連続性を表現するのにこのことが効果を上げているのだ。本書でも前作同様、視点人物が切り替わりながら物語が進んでいくが、時系列は前後せず、ストーリーも直線的なので、混乱することはない。『レッド・マーズ』では、登場人物がみなエキセントリックで、人間ドラマの部分に感情移入しにくいという批判があったが、本書ではみな年をとったせいか、大人しくなっていて、はるかに読みやすい。さらに、地球から来たアートや、火星生まれのニルガルのように、ユーモアやバランス感覚をもった、理解しやすい人物が活躍するので、前作が読みづらかったという人でも十分楽しめるだろう。
次作『ブルー・マーズ』では、ついに海をもつようになった火星が描かれ、さらに太陽系の他の惑星や衛星のテラフォーミングへと話が広がっていく。三部作の終章として、期待に違わない傑作であり、翻訳が待ち遠しい作品である。
ところで、この文章を書いている現在、火星軌道には二機の探査機が周回している。九七年から写真撮影を続けているマーズ・グローバル・サーベイヤーと、二〇〇一年十月に火星周回軌道に乗った二〇〇一・マーズ・オデッセイである(マーズ・オデッセイは、『二〇〇一年宇宙の旅』をもじって命名された)。九九年にあいついで二機の探査機が火星探査に失敗しており、オデッセイには大きな期待がかけられている。この次に予定されているのは二〇〇三年に打ち上げられ、〇四年に火星着陸予定の二〇〇三・マーズ・ローバーだ。これは九七年のソジャナーのようなロボット探検車で、火星の地上を走り、岩石や土を調査するための腕を備えている。同じころには日本の探査機プラネットBも火星軌道に到達している(かも知れない)。宇宙開発が全体的に停滞している状況ではあるが、火星に夢を見るすべての人々にとって、これからの数年はまた新たな発見の期待される年となることだろう。ロバート・ズブリンのノンフィクション『マーズ・ダイレクト』によれば、やる気になりさえすれば今ある技術だけでも有人火星探査は可能だという。またNASAの一部では二〇一四年に六人の宇宙飛行士を火星へ送る計画が検討されているという(本書の有人火星着陸より七年も早い!)。本書が「SFじゃない」と言われる日が早く来て欲しいものだ。
【キム・スタンリー・ロビンスン 著作リスト】
2001年11月