ISBN978-4-15-012003-0 C0197 ISBN978-4-15-012004-7 C0197

 オースン・スコット・カード/中原尚哉訳
 『死者の代弁者 [新訳版] 』 解説

 大野万紀

 ハヤカワ文庫
 2015年4月15日発行
 (株)早川書房
SPEAKERS FOR THE DEAD by Orson Scott Card (1986)


 本書は、一九八五年に発表されてヒューゴー賞とネビュラ賞を同時受賞した『エンダーのゲーム』の続篇であり、前作に引き続いて翌年のヒューゴー賞とネビュラ賞を同時受賞した、八〇年代を代表する宇宙・異星人SFである。
 そしてまぎれもない傑作だ。
 本書は単独でも読めないことはないが、『エンダーのゲーム』の直接の続篇なので、主人公エンダーの背景や、バガーと〈窩巣(ハイヴ)女王〉のことなど、前作を読んでいることが前提となっている。以下の解説も、読者が『エンダーのゲーム』をすでに読んでいることを前提としているので、もし万一まだ読んでおられない場合は、今すぐ買って先に読むことをお勧めします。いやほんと、すごく面白いので、絶対損はしません。

 よろしいですか? ではまず簡単に前作のおさらいから。 エンダーことアンドルー・ウィッギン少年は、六歳にして「バトル・スクール」に入営し、人類の敵である異星人〈バガー〉と戦う仮想ゲームで、すばらしい成績をおさめる天才少年だった。
 昆虫型の異星人バガーによる二度の侵攻により地球は荒廃した。人類は三度目の攻撃に備えて宇宙空間に「バトル・スクール」を設立し、優れた素質をもつ幼い子どもたちを集めて、次代の戦闘指導者を育成しようとしていた。エンダーはその中でも群を抜いて優秀であり、戦士としても指導者としてもまさに天才といえる逸材だった。だが彼は、それゆえに孤独で、過酷ないじめや抑圧に耐えるつらい日々をおくっていた。彼を支えるやはり天才的な姉のヴァレンタイン、彼とは対立するが野心的な兄のピーターとともに成長したエンダーは、コンピューター・ゲームによる仮想戦闘で何度も勝利をおさめ、ついには十歳にして、バガーの母星を殲滅する大艦隊の指揮をとるというシミュレーション・ゲームをまかされることになる……。
 ここから先はネタバレなのだけど、本書の冒頭で盛大にバラされているので書いてしまうと、それは実はゲームなどではなく、エンダーは本当に人類の艦隊を指揮して戦っていたのだった。彼の作戦により、人類はついにバガーを殲滅する。しかしそれは、人類が初めて接触した異星の知的生命体を絶滅させてしまったことを意味する。その事実が明らかとなったとき、エンダーは人類の救世主から一転し「史上最悪の人間である異類皆殺しのエンダー」の汚名をきせられることになった。
 本来、厳しい倫理観と繊細な感受性をもつ少年であるエンダーは、虐殺の罪をつぐなうため、姉のヴァレンタインとともに星々へと旅立つ。そしてある惑星で、バガーの最後の生き残り〈窩巣(ハイヴ)女王〉の繭と出会い、彼女とのテレパシーによって、バガーらに新たな安住の地を見つけることを約束する。
 『エンダーのゲーム』の最終章で、エンダーは〈死者の代弁者〉というペンネームを用い、『窩巣(ハイヴ)女王』という書物を書いて、バガーという失われた種族を代弁する役割を果たす。その書物は人類の世界にあまねく広がり、真実の物語としてひとつの宗教にまで発展し、誰とも知れぬその著者〈死者の代弁者〉は深い尊敬を受けるようになる……。

 それから三千年──。
 人類はついにバガーにつぐ第二の知的生物、ピギーを発見する。
 ピギー族は科学技術は未発達ながら、道具を使い、言葉を話す。今度こそバガー虐殺の二の舞にならないよう、銀河の人類世界全体を統治するスターウェイズ議会は、人類とピギーの接触を厳格に制限するよう法律を制定する。
 本書はピギーの生息する惑星、主にブラジル系の移民が小規模な植民地を築いているルシタニア星が舞台である。
 ピギーの住む森と人類の居留地の間には高いフェンスが築かれ、異類学者(異星人を研究する文化人類学者)や異生物学者も、限られた接触しか許されていない。異類学者のピポは、息子のリボとともに、森に入ってピギーの研究をしていた。ピギーの中には人間の言葉を理解し、話すことのできる者もいる。彼らの生殖方法など謎も多いのだが、そこには心の交流のようなものも生まれている。
 ところがある事件の後、ピギーの手にかかり、恐ろしく残虐な方法でピポが殺害されてしまう。少女のころからピポを父のように慕い、リボと恋人になっていた異生物学者のノビーニャは、彼の死のきっかけが自分の発見にあると思い、〈死者の代弁者〉にピポの生と死の真実を語ってくれるよう、超光速のアンシブル通信で依頼を発信する……。
 そして、二十二光年離れた惑星にいたエンダーは、通信を受け取り、またアンシブルのネットワークに生じた恒星間ネットワーク知性体のジェーン(その存在はエンダーだけに明かされている)の勧めもあって、窩巣(ハイヴ)女王を再びよみがえらせるという思惑を秘めつつ、ルシタニアへと向かう。

 この宇宙では、通信はアンシブルにより超光速で可能なのだが、移動は光速を超えられないため、二十二光年の旅行には二十二年以上かかる。しかし相対論効果によって、主観的には一週間ちょっとの旅にすぎない。バガーの虐殺があってから地球では三千年がたっていたが、恒星間をあちこち旅してきたエンダーは、まだ三十代の半ばなのだ。
 そしてルシタニアに到着した〈代弁者〉エンダーを待っていたものは……という物語は本書を読んでいただくとして、本書は『エンダーのゲーム』とはずいぶん違う読後感の物語となっているはずである。それは、重く、深く、共感と倫理、赦(ゆる)しと癒(いや)し、善悪についての厳しくて強い確信に満ちた物語である。旧版『死者の代弁者』の解説で、森下一仁氏はそれを「聖者のよう」と評した。そう、本書でのエンダーは、『ゲーム』での暗い目をした少年ではなく、真実について強靭に語る「聖者」なのである。
 本書ではいくつかのテーマが複雑にからみあっている。しかもそれが破綻せず、互いに強化し合っている。作者の尋常ならざる筆力のなせるわざだといえるだろう。
 まずは、ピギー族の謎にせまる、異星の生態系を描く生態学SFのテーマがある。これは本書の始めから終わりまで一貫しており、それが殺人事件の謎とあいまって、本書の中心的なテーマとなっている。さらに、ここにはジスコラダ病という、続く作品でも重要なポイントとなるアイデアが含まれている。
 本書の後半で明らかとなるピギーの生態とは、実に驚くべきものなのだが、実際そんな生態系が可能なのかどうか、科学的にはちょっと厳しいようにも思われる。もっとも「ぼくのSFでのサイエンスは、作品にリアリティをあたえる程度の意味しかない」と語っているという作者のことだから、それをあれこれ言う必要はないだろう。
 本書でもっとも重要なのは、もちろん聖者〈代弁者〉としてのエンダーが語る「真実」のテーマである。惑星ルシタニアはカトリックが人々の心を支配しており、エンダーと司教との対決も大きなポイントとなっているが、教会の告解室で告白すれば許されるようなことを、エンダーは容赦なく公衆の面前で真実として暴露する。これは恐ろしくショッキングなことだ。その意図が善意から発するものであれば、行為や結果がどうあろうと、それは善であって許されるという信念は、俗人であるぼくなどには理解できるものではないが、敬虔なモルモン教徒の宣教師でもあった作者には、正しくゆるぎのない信念なのだろう。そのゆるぎのない容赦なさこそが、本書を読み応えのある、強く心に響く小説としているのも事実である。
 エンダーが暴露するのは、SF的な大きな物語ではなく(実際にはメインテーマとも深くからみあっているのだが)、ノビーニャの家族の真実、家庭内暴力を繰り返したあげく病死した、彼女の夫マルカンについての「真実」だった。それは彼女自身や子どもたちにとって、つらくて恐ろしい、ひどい悲しみをもたらすような「真実」だったが、その痛みの中から欺瞞ではない、本当の「物語」が姿を見せるのだった。
 しかし、現実の世の中では、何か事件が起これば、いかにもありがちな「物語」が作られ、報道され、ネットをにぎわすことになる。エンダーの〈代弁〉とはずいぶん異なる。それはつまり、善なる心をもった聖人が洞察した「物語」ではなく、面白がって理解した気分になりたい俗人がでっち上げた「物語」だからなのだろう。たぶん。
 そして、エンダーに万能といっていいほど大きな力を与えている背景として、機械知性ジェーンの存在がある。SFとしてはよくある設定ではあるが、本書の後に続く作品でも大活躍するジェーンは、エンダーとは対照的に通俗的だが魅力的な女性として描かれており、いわば壺の中の精霊であり、「かわいい魔女ジニー」であり、重いテーマを扱う本書の中で、読者をほっとさせてくれる存在なのである。八〇年代のサイバーパンク運動と同時期に書かれた作品ではあるが、サイバーパンクは人間のクズを書くから嫌いだと公言する作者らしく、このネットワーク知性体はとても人間的で、しかも「善良」なのだ。

 エンダーのシリーズは本書の後も『ゼノサイド』、『エンダーの子供たち』、『エンダーズ・シャドウ』、『シャドウ・オブ・ヘゲモン』、『シャドウ・パペッツ』が翻訳されている。どれか一つを選ぶとすれば『エンダーズ・シャドウ』をお勧めしたい。これは『エンダーのゲーム』をエンダーの副官だったビーンの視点から描いたものだが、その面白さは圧倒的だ。
 作者オースン・スコット・カードの近況については、『エンダーのゲーム〔新訳版〕』の堺三保氏の解説に詳しい。二〇一〇年から書き始めた新しいSFファンタジーのシリーズで『道を視る少年』(ハヤカワ文庫SF刊)を第一作とする〈Pathfinder〉は、二〇一四年のVisitors で完結した。歳を取ったとはいえ、まだまだ六〇代前半のカード、これからもすばらしい作品を書き続けてくれることだろう。

2015年3月


トップページへ戻る 文書館へ戻る