ジョン・ヴァーリイ/浅倉久志・他訳
『ブルー・シャンペン』 解説
大野万紀
ハヤカワ文庫SF
平成6年8月31日発行
(株)早川書房
BLUE CHAMPAGNE by John Varley
(1986)
ISBN4-15-011071-9 C0197
あなたはもう結末を知っている――コードウェイナー・スミスの「クラウン・タウンの死婦人」(『シェイヨルという名の星』ハヤカワ文庫SF)はそんな言葉で始まる。はるかな未来の語り部が、歴史上の出来事を読者に語っているのだ。未来の歴史――未来史は、SFのきわめて魅力的な道具(ツール)の一つである。
SFでは世界構築という作業が非常に重要だ。そこは一体どんな世界なのか。SF作家はその技術的なディテール、社会的なディテール、そして歴史的背景を想像して、登場人物たちがその中でどのように行動するかを考える。これは重要で、なかなか大変な作業だ。そのようにしてせっかく出来上がった世界を、たった一つの作品で終わらせてしまうのはもったいない。というわけで、同じ世界を背景にした連作というものが生まれる。主人公も同じなら単なるシリーズだが、世界のみが共通で、物語はそれぞれ独立している時、それは未来史となる。
ジョン・ヴァーリイの描く未来史は〈八世界(エイト・ワールド)〉と呼ばれる。二〇五〇年、地球は異星人に侵略された。人類は地球を追われ、月や水星、金星、火星、外惑星の衛星や冥王星といった過酷な環境の中で生きねばならなくなった……。異星人は人類とは全く異質な存在で、太陽系に生き残った人類とのそれ以後の接触はなかった。人類は〈八世界〉に新しい社会を築き、冥王星の彼方に発見された〈へびつかい座ホットライン〉という異星のネットワークから情報を仕入れて、独自の文明を作り上げた……。
しかし、ヴァーリイの場合、これらの設定はとりあえず現実のわれわれといったん断絶した、もう一つの社会を精緻に作り上げるための方法としてあり、未来史そのものが目的でないことはもちろんである。だから、本書のように未来史としての〈八世界〉とは直接の関係が薄い短編集であっても、その背後にある「別の世界」の日常感覚は共通しているのである。
この「別世界の日常感覚」は、特に初期の作品において圧倒的だった。クローン技術により同じ人間が何度も死んでは生き返り、男女の性がころころと変わり、部品を取り替えるように身体を改変し……そういった個々のアイデアとしては特別目新しくないものが、あっけらかんとした日常感覚で統一されて、全く独自の世界を作り上げていたのだ。そこには若々しい軽さがあった。ハイでポップな感覚。それを〈ディズニーランド〉の感覚といってもいい。にぎやかな巨大テーマパークの日常。ちなみにヴァーリイの作品では〈ディズニーランド〉は普通名詞であって、月や冥王星の地下に過去の地球の日常を再現したものとなっている。この世界は世界そのものが〈ディズニーランド〉であり、そこから帰るべき普通の日常なんてものはない。〈八世界〉では人々は気ままに楽しく遊んでいるように見える(まあ彼らなりの悩みはあるのだが)が、彼らは地球を追放された身であり、帰るべき家(ホーム)をもたないのである。
彼らはみな自由だ。われわれの現実からすれば考えられないような自由を享受している。個人の自由意志が最も尊重され、何らかの社会的拘束を受け入れる時も、自由意志でもってそれを選択するのである。様々な超技術もそれをサポートしている。
しかし彼らの自由は、ハインラインの登場人物たちが常に勝ち取ろうとしているような「大文字の」自由とは異なる。ヴァーリイの〈八世界〉は閉ざされたシステムであって、あらゆるところにその閉塞感が重くのしかかっている。彼らの自由はとりあえずの、つかの間の、いつまで続くかわからないモラトリアムの中での自由なのだ。この認識が、帰る所のない〈ディズニーランド〉の感覚を、あるいは永遠に続く〈学園祭〉の感覚を、重く苦いものにする。
その苦さは、本書に収められたような八〇年代の作品では、さらに強くなる。八〇年代の現実は、古いイデオロギーが打ち倒され、男女の問題や差別の問題、環境保護や人権意識の問題が、少しづつであれ理想に向けて前進して行くように見える一方で、価値観が多様化し、ただ一つの理想は存在せず、ほんのわずかな条件の変化で、すべてがまたカオスに呑み込まれる可能性のあることを示したのである。ヴァーリイは、未来と人間に対する悲観と楽観を、障害のある者、差別される者、現実の社会にとけ込むことのできない者、いわば聖なる傷を負ったフリークたちを中心に描くことによって、ややグロテスクに表現している。
この暗く重いグロテスクなイメージは、しかしヴァーリイの作品においては、明るくハイでポップなイメージと常に同居しているのだ。ヴァーリイは困難な問題をきれいに解決して見せようとはしない。渾沌としたもう一つの現実として、そのままそれを読者に提示する。そこに、新たな認識の衝撃が生まれるのだ。これもまたSFのセンス・オブ・ワンダーだといってもいいだろう。
それでは、本書収録作品について一言。
「プッシャー」
一九八二年度ヒューゴー賞短編部門、ローカス賞短編部門受賞作である。〈八世界〉とは関係ない。ここに描かれたテーマに関しては、実は過去にも色々なSFが書かれている。ヴァーリイは、それをいわば「ロリコンの変態おじさん」という切り口で、鮮やかに再話して見せた。軽いショートショートだが、妙に心に残る作品だ。
「ブルー・シャンペン」
一九八二年度ローカス賞ノベラ部門受賞。ヒューゴー賞ノベラ部門ノミネート。この作品と、次の「タンゴ・チャーリー」は、〈八世界〉の未来史とは直接の関連はないが、背景となる世界には共通性がある。もしかすると〈八世界〉の地球侵略前の月なのかも知れない。アンナ=ルイーゼ・バッハの登場する作品は、本書の二編の他にも、「バガテル」や「バービーはなぜ殺される」(いずれも第二短編集『バービーはなぜ殺される』創元推理文庫に収録)がある。ヴァーリイはこのシリーズにかなり愛着をもっているようだ。〈八世界〉よりも現在に近く設定されていることから、重要な要素である身体改変が、〈八世界〉でのようにあっけらかんとはしておらず、グロテスクなフリークとして(ただし、それがやがて世界を変えていく、いわば聖痕を帯びた者として)の意味あいを持たされている。そのため、読後感はずっしりと重い。
「タンゴ・チャーリーとフォックストロット・ロミオ」
一九八七年ローカス賞ノベラ部門ノミネート。「ブルー・シャンペン」の続編である。ここでも、AIDSを思わす奇病が、ヒロインの少女を内部からサイボーグ化している。サスペンスフルで一見メロドラマ風な展開にもかかわらず、流される涙の味はとびきり苦い。この苦さが、八〇年代のヴァーリイの味なのだといえるだろう。それはあらゆる悲劇がTVカメラの眼でとらえられ、型どおりの物語として解釈された上で提示される、今の現実の世界の苦さでもある。
「選択の自由」
一九八〇年ネビュラ賞ノベレット部門ノミネート、ローカス賞ノベレット部門二位。〈八世界〉の重要な要素の一つである〈変身〉――服を着替えるように、気軽に性転換できる技術――をテーマにした作品である。ヴァーリイの作品では性転換が当たり前で、そのことが人間性の変容を示している場合が多い。しかし、この作品では、地球侵略後百年という、〈八世界〉の中では比較的過去に属する時代を扱っているためか、〈変身〉はまだ当たり前の行為ではなく、現在のわれわれにも理解できるような、心理的葛藤をもたらすものとして描かれている。社会が、家庭が、その変化を受け入れようとする過渡期の苦悩。でも、ヴァーリイの結論はずいぶんと楽観的だ。
「ブラックホールとロリポップ」
この作品は本書の中で最も書かれた年代の古い作品である。『バービーはなぜ殺される』にも収録されていた。〈八世界〉の孤独な太陽系辺境での、ブラックホール探索にまつわるエピソードを描いている。この作品が書かれた当時はブラックホールがブームになっており、そのころ数多くかかれた〈ブラックホールSF〉の中でも、きわめてユニークな発想の作品である。七〇年代の作品だけに、ハイでポップなヴァーリイの側面も表れているが、それでもテーマはアイデンティティと狂気であり、結末はリドルストーリーとしても読めるようになっている。
「PRESS ENTER■」
一九八五年度ヒューゴー賞ノベラ部門、ネビュラ賞ノベラ部門、ローカス賞ノベラ部門受賞。日本の星雲賞も受賞した。本書の他の作品と違い、ほぼ現在のアメリカを舞台にした、ホラー味の強い小説である。女ハッカーが活躍するので、よくあるコンピュータ・サスペンスのようにも読めるが、むしろ現代社会に遍在する狂気についての物語といえるだろう。ここでもまた、男の主人公は単なる語り手であり、社会への不適応者である。バイタリティあふれる女性主人公は魅力的だが、アメリカ人にとっての異人であり、サイバーパンクと同じような、〈不可解なアジア〉への視点がある。グロテスクでフリークな作家としてのヴァーリイが、より強く表れた作品だといえよう。でも結末に、どうして「電波」が出てこないんでしょうね。
本書はジョン・ヴァーリイの第三短編集 BLUE
CHAMPAGNE (1986)の翻訳である。本書は一九八七年度のローカス賞短編集部門を受賞した。なお原書に収録された作品のうち、"The
Manhattan Phone Book (Abridged)" (1984)と、"The
Unprocessed Word"(1985)の二編は、小説ではないということで、日本語版からは割愛されていることをお断りしておく。
ヴァーリイの経歴や、近況については、先頃出版された最新長編『スチール・ビーチ』の訳者あとがきをご覧いただきたい。この長編も、ヴァーリイの魅力をたっぷりと含んだ傑作である。本書とあわせて、ぜひ一読されることをお勧めしたい。
本書収録作の原題と初出一覧は以下の通りである。
1994年7月