チャールズ・シェフィールド/山高昭訳
 『ニムロデ狩り』 解説

 大野万紀

 創元推理文庫
 昭和63年5月6日発行
 (株)東京創元社
THE NIMROD HUNT by Charles Shefield (1986)
ISBN4-488-69301-6 C0197


 本書はチャールズ・シェフィールドの最新作 The Nimrod Hunt (1986) の全訳である。はるかな未来を舞台にして、人々の愛と闘い、そして人類の進化と変容を描いた、本格的な遠未来宇宙SFである。

 シェフィールドといえば科学者作家の一人であり、しっかりしたハードSFを書くことで定評がある。『プロテウスの啓示』の整体技術や〈マッティン・リンク〉、『星ぼしに架ける橋』の宇宙エレベーターなど、彼の描く魅力的な科学的アイデアの数々は、邦訳された作品でご存じの方も多いだろう。しかし本書では、近未来を扱った彼の他の作品とは違い、ハードSF的な科学技術の描写は作品の背景に退いている。様々な科学的アイデアが盛り込まれてはいるのだが、作者の力点はそれらを説明することよりもむしろ物語を語ることの方に置かれているのだ。本書では多くの個性的な人物が登場し、逃亡した危険な人工生物〈ニムロデ〉を中心に複雑なプロットを形作っている。

 今から一〇〇〇年近くたった遠い未来(はっきりした年代は明示されていないが)。人類は恒星間宇宙に進出し、太陽系を中心に半径五八光年の〈既知の球形宇宙〉内に、他の異星人と共に〈ステラー・グループ〉を構成している。この時代、人類の中心は小惑星帯にあり、地球は退廃的で保守的な惑星として太陽系文明から隔離されている。こういう舞台背景の中で、物語は逃亡した凶悪な人工生物の追跡を縦糸に、主要な登場人物である三組のカップルのそれぞれの愛のかたちを横糸にして、様々な未来の風景を織りまぜながら展開していく。そして人類の次の未来を暗示する感動的なクライマックス……。

 本書には至るところに肉体の変形や遺伝形質の加工を伴う、人間の意味の変化が描かれている。しかし、最近のサイバーパンク派のSFとは違い、根本的な人間性の変容はなく、むしろヒューマニスティックなモラルが重要視されている。そこにシェフィールドの作家としての限界を見る人もいるだろうが、逆にいうとそれゆえに感情移入がしやすく、娯楽作品として優れたものになっているということができるだろう。心優しい人間的な異星人たちも、安易といえば安易だが、本書の魅力の一つなのである。

 チャールズ・シェフィールドはイギリス生まれのアメリカ作家。ケンブリッジ大学で数学を学んだ後(その時の先生が、有名な天体物理学者でSF作家でもあるフレッド・ホイルだった)理論物理学の方へ進路変更する。初め核物理の研究をしていたが、六二年にアメリカに渡り、宇宙開発関係の仕事につく。六五年と六六年のNASAのルナ・オービター計画ではとりわけ重要な役割を果たした。アメリカ宇宙航行学協会の会長を務めたこともある。現在はアース・サテライト・コーポレーションで研究開発部長の要職につきながら、人工衛星からの画像データの解析に従事している。子供の頃からたくさんのSFを読んでいたが、ニーヴンの『リングワールド』を読んで一念発起し、自分でもSFを書くようになる。SF作家としては七七年のギャラクシイ誌に"What Song the Sirens Sang" でデビュー。翌年の初長篇『プロテウスの啓示』が好評で、七九年には新人に与えられるジョン・W・キャンベル賞にノミネートされた。その後毎年のように力作を発表しているが、それらはたいていローカス賞などにノミネートされている。彼はまたファンダムでの活動もなかなか活発に行なっている。

 本書にはビーンストークやマッティン・リンクといった、他の作品に出てくる用語がほとんど説明なしに使われている。実際、シェフィールドの作品には背景を同じにするものが多く、本書も『プロテウスの啓示』や『星ぼしに架ける橋』の、続編とまではいえないまでも、同じ未来史に属するものといっていいだろう。もっとも未来史といってもあまり厳密なものではなく、背景となるアイデアを共通にする作品群ととらえたほうがいいかも知れない。彼の短編の多くも同じ背景を持っている。これはシェフィールドの作品を続けて読む人には、作品世界を広げる有効な手段である。しかし、まだまだ邦訳の少ないわが国の読者にとっては、いささか不親切ともいえるだろう。とはいえ、こういう聞いたこともないような特殊な用語を説明せずに多用して、読者にある種のめまいを起こさせる手法は、最近ではサイバーパンクの作家たちがよく使っているものだ。意味がわからなくても、その方が未来的な雰囲気があってかえっていいのかも知れない。

 それはともかく、実際問題として本書には耳なれない用語が次から次へと出てくるので、読者への便宜のためということで、いささかやっつけ仕事ではあるが、本書に出てくる用語集を作ってみました(間違いを見つけたら自分で直して下さいね)。


 【用語集】

アディスティス
微小化した擬似構成体にプレーヤーである人間の意識を載せて、昆虫などと戦う体験をする戦争ゲーム。
アナバシス
遠征の意。逃亡したリビア・モーガン構造体を追跡し抹殺するために、ステラー・グループによって設立された組織。
ヴァルカン中枢施設
太陽の表面近くを回る 軌道上の巨大なエネルギープラント。
エルガ・タンドロモルフ構造体
天王星の大気の下で建設作業をするために作られた人工生物。
エンジェル
カペラ星系の植物型知的生物。知能をもつシンガーとそれを保護し移動する暗緑色の葉状体チャッセルローズとの共生体である。なぜか人間のことわざをよく使う。
オールト雲
太陽から四〇〇〇億キロの彼方にある彗星の巣。一〇〇〇億個の彗星源物質が薄い雲のように分布している。
オールト収穫設備
オールト雲にある有機物を収穫し、糖、脂肪、蛋白に加工してリンクで太陽系へ転送する、惑星くらいの大きさのある巨大な円筒形の装置。
隔離封鎖部
太陽系政府の機関で、地球を太陽系文明から隔離封鎖するために設置されている。
カーネル
カー=ニューマン・ブラックホールの略称。オールト雲に多数存在するミニブラックホールで、宇宙船などのエネルギー源となる。
ガリモーフリ
地球にある巨大な地下都市の名前。
擬似構成体
いわゆるシミュラキュラ。人間や他の知的生物に似せて作られた人工物。
既知の球形世界
太陽から半径五八光年内にある人類が探検した二〇〇〇以上の惑星系を含む領域。その中に生命を維持できる惑星は一四三個ある。これはまたマッティン・リンクによる即時移動が可能な領域でもある。
キャップマン変形体
『プロテウスの啓示』に登場するロバート・キャップマンが作った新しい形態の人類。
Q船
惑星系全体を隔離封鎖する能力を持つ強大な武装宇宙船。
クリスタル
太陽系の標準通貨。
コロマー
トラヴァンコールにすむ芋虫に似た準知的生物。
シェルバック
バルハンの〈夢の海〉にすむ準知的生物。
処女
かつてのアメリカ西部にある核による荒廃地帯。
スカッヴィー
地球の地上をうろつく犯罪者たちの総称。
スカトラン
カシオペア座エータ星系にあるパイプ=リラの故郷の惑星。
ステラー・グループ
〈既知の球形世界〉内の文明を持つ知的種族の連合体。人類、ティンカー、パイプ=リラ、エンジェルの四種族がある。
セレス
太陽系最大の小惑星。この時代太陽系文明の中心地である。
ソーラー語
太陽系共通語。
太陽シミュレーター
地球の地下世界を照らす人工太陽。
ティンカー
フォマルハウト星系メルカントル星に住む知的生物。ハチドリに似た翼を持つ小さな個体が無数に集まって形作る、集合知性をもつ複合体である。
デムブリコット
フォマルハウト星系にある一惑星。アナバシスの訓練地がある。
ドミヌス
太陽系全体を管理する超コンピュータ・ネットワーク。
ドライ・トーチュガ群
太陽系の外縁、太陽から一光年の距離にある岩石群。謎の遺跡が残されている。
トラヴァンコール
おおぐま座イオタ星(タリサ)を巡る植物に富んだ惑星。リビア・モーガン構造体のうち一体はここへ逃げ込んだ。
トルコフ刺激装置
境界線上の知能をもつ生物に対し、脳を刺激して精神活動のレベルを上げ、高い知能をもたせるための装置。
ニードラー
地球にいる違法な遺伝子工学者たちの呼び名。禁じられた人間のDNAを使って、人工生物を作っている。
ニムロデ
聖書に出てくる大狩猟家。トラヴァンコールに逃げたリビア・モーガン構造体に追跡チームがつけたニックネーム。
パイプ=リラ
カシオペア座エータ星系スカトラン星の知的生物。人類が最初に発見した異星人である。節足動物に似た円筒形の体をもつ。
ハイペリオン
土星の衛星。かつてのダイアモンド鉱山だった巨大な地下洞窟がある。
パラドックス
地球で使われている麻薬の一つ。
バルハン
カシオペア座エータ星系にある砂漠の惑星。アナバシスの訓練地の一つ。
パン・インオルガニカ論理回路
人工知能の一種。
ビーンストーク
地球から静止軌道へと上る宇宙エレベーター。『星ぼしに架ける橋』の時代に建造されたが、リンクの発明によって廃れ、今では古代の記念碑となっている。
フェスティナ・レンテ
辺境保安隊のモットー。「ゆっくり急げ」。
フロイトホッパー
略してフロッパー。精神分析医の超未来の形態。サイコダイバーみたいなものかな。
辺境層
〈既知の球形世界〉の最外殻をなす厚さ三光年の辺境星域。
ホールス
太陽の黄道面と五九度の傾斜した軌道面をもつエジプシャン群小惑星の一つ。拘禁センターがある。
マッティン・リンク
薄幸の天才科学者ジェラルド・マッティンが発明した超光速の物質・情報転送装置。
マッド・ワールド
太陽系文明から見放された地球の蔑称。
マリコア
コロマーの繁殖時の形態。
リビア・モーガン構造体
リビア・モーガンが誤って開発した狡猾で凶悪な人工生物。一体で都市一つを破壊するほどの強力な戦闘能力を持つ。ステラー・グループの知的生物に対して殺意を抱く危険な存在。

 お役に立てただろうか。最後にシェフィールドの著作リストを載せる。SF以外ではノンフィクションがいくつかあり、その中で人工衛星から地球を写した写真集『宇宙衛星から見た地球』『宇宙から見た地球文明』が邦訳されている(いずれも旺文社)。

 【著作リスト】(SFのみ)

1988年2月


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