スティーヴン・バクスター/古沢嘉通訳
 『天の筏』 解説

 大野万紀

 ハヤカワ文庫SF
 平成5年12月31日発行
 (株)早川書房
RAFT by Stephen Baxter (1991)
ISBN4-15-011043-3 C0197


 イギリスからハードSFの新星が登場した。本書の作者、スティーヴン・バクスターである。本書『天の筏』 Raft は一九九一年に発表された彼の処女長編であり、重力定数がこの宇宙の十億倍も大きい別の宇宙を舞台にした、本格的なハードSFである。

 今、サイバーパンク以後の海外SFでは、本格SFやハードSFが、新たな書き手を得て活性化しようとしているように思える。科学的なリアリティをもって描かれた異様な世界のセンス・オブ・ワンダー。そこでの主役は個々の登場人物ではなく、〈人類〉であり、あるいは〈世界〉や〈宇宙〉である。本邦初紹介のバクスターもそのような作家の一人であり、本書もその真の主役は、重力定数が十億倍という、異様な宇宙そのものなのである。

 物理定数が異なる世界を描くというのは、ハードSFにとってとても魅力的な挑戦だ。この宇宙の法則は基本的な物理定数によって規制されている。宇宙の法則それ自体は変えないで、物理定数が違う宇宙を考えることは、科学的であると同時に異様でエキゾチックな世界を作り出す便利な手段となる。法則を変えてしまっては何でも可能となるので、あまり面白くない。方程式はそのままで定数をいじるところが面白いのだ。そうすることによって、日常では現れてこないような物理法則の効果が、身近なレベルで感じられるようになる。
 例えば光速度が異なる世界。古くはジョージ・ガモフの『不思議の国のトムキンス』(もっともこれはSFではないが)、近いところではジョン・E・スティスの『レッドシフト・ランデヴー』(ハヤカワ文庫SF)があり、これらは真空中の光速度という物理定数を小さな値にすることによって、相対論的効果を身近に味わうことができる世界を描いている。アイザック・アシモフは『神々自身』(ハヤカワ文庫SF)で、この宇宙とは強い相互作用の定数が少し異なるため、こちらでは存在できないような元素が存在する平行宇宙を登場させている。プランク定数をいじれば量子力学の効果が巨視的なサイズで現れてくるだろうし(ルーディ・ラッカーの『時空の支配者』(新潮文庫)がそんな話だ――といってもいいだろう)、基本電荷が異なれば電磁気に関係する様々な現象が異様な姿を見せるはずだ。
 物理定数が異なる世界に興味を示すのはSF作家だけではない。むしろ本物の科学者の方がより積極的にそのような世界を研究してきたといえる。それには今はやりの〈人間原理〉にかかわる事情があるのだ。〈人間原理〉とは、われわれのいるこの宇宙で様々な物理定数がなぜ今のこの値になっているのかを解明しようとして考えられた原理である。あのスティーヴン・ホーキングも著書の中で〈人間原理〉について解説している。科学的には物理定数が現在測定されている値であることに、何も必然性はない。それがなぜこの値になっているのか。それはこの宇宙にわれわれ人間が存在しているからだ、というのが〈人間原理〉の答えである。もちろん実際はもっと色々あってややこしいのだが、とにかく多くの科学者が物理定数の異なる宇宙を思考実験してみた結果、どうも物理定数が今の値と異なるとろくなことはない、そんな宇宙では知的生命が進化したりするとは思えない、したがって今われわれ人類が存在している以上、この宇宙の物理定数はこの値でないといけないのだ、というわけである。
 そういった物理定数の中で、最も注目されて研究されたのは重力定数である。科学者たちの結論は、重力定数が大きい世界では星の寿命は短く、星と星との距離は近く、放出されるエネルギーは大きくなる。したがってとても人間の住める世界ではない、というものだった。
 ところが、本書でバクスターが変化させたものこそ、その重力定数である。それも、この宇宙の十億倍という非常に大きな値にして、そこに人間を住まわせてしまったのである。これを力技といわずして何といおうか。

 物語の中では主人公の冒険に従ってだんだんと説明されることなのだが、ここで本書の世界の設定をまとめて紹介しておこう。
 舞台となるのはこの宇宙とは別の奇怪な宇宙である。重力定数が十億倍大きく、逆に宇宙のサイズがとても小さい。恒星の大きさは直径数キロほどで、一年くらいで燃え尽きてしまう。そんな恒星が集まった〈星雲〉も直径せいぜい八千キロ(地球より小さい)、星々は生まれては燃え尽き、〈星雲〉の中心にある直径八十キロほどの〈核〉へ落ち込んでいく。〈核〉の中には小さなブラックホールがあるらしい。〈星雲〉は呼吸可能な大気で満たされている。そこには飛行する樹木や様々な生物も生息している。大気やその他の有用な物質は星が燃え尽きる時に放出されたものだ。この宇宙にはそのような〈星雲〉が無数にあるが、ひとつの〈星雲〉の寿命は数千年しかない。それだけたつと新たな星は生まれず、すべての星が年老いて、最後は〈核〉へと落ち込んでしまうのだ。それが〈星雲〉の終末である。
 この〈星雲〉に住む人類は、われわれの宇宙からブラックホールを通ってこの宇宙へ迷い込んでしまった宇宙船の乗組員たちの子孫である。彼らはわれわれと同じ人間だ。だがこちらの世界に来てから数百年がたち、過去の技術は大半が失われている。かつての高度な機械たちが、本来の目的とは違うつまらない力仕事に使われている姿が、なかなかに哀れをさそっています。
 この時代、彼らは大きく二つのグループに分かれている。宇宙船の残骸を浮遊する森につなぎ止め、直径八百メートルほどの円盤状の筏の上で暮らしている〈ラフト〉のグループと、燃え尽きた星が〈核〉を回る軌道に乗った直径五十メートル弱の〈星核〉の周囲にバラックの寄せ集めのような〈ベルト〉を築いて暮らしている〈ベルト〉のグループである。〈ラフト〉の人々は過去の遺産である食料供給機のおかげで比較的楽な暮らしをしている。そこには科学者のギルドもあり、それなりの文化的余裕もある。一方〈ベルト〉の人々は、交替で危険な〈星核〉へ降りていってはそこの鉱物を採掘し、〈ラフト〉と交易して食料を手に入れている。ここでは厳しい労働と苦しい生活が一生続くのだ。
 物語は、その〈ベルト〉に生まれた一人の聰明な少年が、息の詰まりそうな〈ベルト〉の暮らしに耐えられず、知的好奇心にかられて〈ラフト〉へと密航するところから始まる。彼はそこで科学者のギルドに加わり、この〈星雲〉がもうすぐ終末を迎えようとしていることを知る。星々は年老い、赤色星の不気味な赤い光で空は満たされつつある。有用な物質も枯渇しつつあるのだ。このままではせっかく生き残った人々も次の世代では絶滅してしまう。彼らはこの運命にどのように立ち向かっていくのか――。

 重力定数のことをのぞけば、この物語の設定はラリイ・ニーヴンの『インテグラル・ツリー』(ハヤカワ文庫SF)によく似ている。大気のある宇宙空間、様々なエキゾチックな動植物、その中での技術文明を失った人類の末裔たちの冒険。バクスターの作風は、がちがちのハードSFというよりは、ニーヴンタイプの冒険主体のハードSFだといっていいだろう。それでも、開放的で、カラフルで明るいニーヴンの作品に比べ、バクスターはさすがにイギリス作家だけあって、閉塞された、陰鬱な暗いムードをよく出している。死にかけた宇宙。苦しい生活。希望のない未来。だが、このような暗い設定だからこそ、好奇心豊かな少年の活躍が光るというものだ。そして結末の壮大な、センス・オブ・ワンダーにあふれたハッピー・エンド! そう、心配する必要はない。少年の成長と人類のすばらしい未来という、SFの黄金の輝きが本書にはあるのだ。

 さて、重力定数の話に戻ろう。この十億倍という数字はなかなかよく考えられた数字なのである。もともと重力は物理学の世界では非常に小さなものである。電磁力に比べ、十の四十乗近くも小さいのだ。十億倍(十の九乗)したところで、根本的な違いはないといっていい。従って、これくらい違っても、化学作用や生命活動の基本的な部分にはほとんど影響はないはずだ。影響が出てくるのは恒星の寿命といった、重力が大きな役割を果たす巨視的な部分である。一般相対論的な問題は出てくるかも知れないが、それは解説者の能力を超えるのでここでは考えない。もっと日常的なレベルでいえば、これだけ重力定数が大きいと、惑星のサイズではなくて人間くらいのサイズであっても、それが重力源になるのである。これが面白い。重力定数G(地球の表面重力のGではない)は、メートル単位系でいえば六.六七×十のマイナス十一乗だから、十億倍すると六.六七の百分の一となる。これからざっと計算すると、百キログラムの人がいて、その人から一メートル離れたところでのその人による重力はおよそ〇.七G(このGは地球の表面重力)ということになる。本書の中でも、人間に近づくと引力を感じたり、二人の人間が互いにその質点の回りの軌道を描きながら運動するなんて描写があったりするが、こういう力を感じているわけだ。君に引き寄せられるんだ、なんて言葉が文字どおりの意味をもってしまう世界なのだ。
 バクスターのトリックは、あらゆるもののスケールを小さくしてしまったことにある。〈星核〉だって直径五十メートルしかなく、しかも中はガスを含んでスカスカだという設定になっている。そのため重力定数が十億倍でも、重力はせいぜい数Gというわけで、みんなぺちゃんこになってしまわないのはそのためだ。ロバート・フォワードの『竜の卵』(ハヤカワ文庫SF)は、中性子星上の、重力が六百七十億Gの世界を描いているが、それとは違うのである。誤解する人がいるかも知れないので、念のためにもう一度書いておくが、重力定数が大きいことと重力が大きいことは別のことなのだ。重力定数というのは非常に小さなもので、惑星のような巨大な質量(地球の質量は六×十の二十四乗キログラム)ではじめて効いてくる。それが十億倍になって、さらに距離がごく近いという条件で、日常サイズのものから同じくらいの重力が発生することになるのだ。ちょうど強い磁石をもって金属製のロボットたちの間を歩くようなものだろうか。このような世界では、なるほど作中にあるように、重力井戸を文字どおり傾斜した井戸として感じとることができるのかも知れない。
 もっとも、本書の描写がこの設定を科学的にどこまで正確にシミュレーションできているのかは、解説者にはにわかに断言できないところである。小説上のやむを得ない妥協点を除いても(例えば、この宇宙で生命が進化していること――〈人間原理〉が正しいとすればあり得ないことだ)、いささか怪しげな部分もあるようだ。けれど、そういった作者のあらを見つけだすのも、ゲームとしてのハードSFの楽しみ方の一つである。それで本書の本質的な面白さが損なわれるわけではないのだから。

 スティーヴン・バクスターは一九五七年生まれのリバプール育ち。まだ三十代前半の若い作家である。ケンブリッジ大学で数学の学位を取り、さらにサウサンプトン大学で工学の博士号を取った。現在はイギリス南部バッキンガムシアに奥さんと住み、情報科学関係の仕事をしながらSFを書いている。ちなみにケンブリッジ大学といえばあのフレッド・ホイルを始め、チャールズ・シェフィールドなどハードSF作家を輩出した大学である。グレゴリイ・ベンフォードも一時期ここで研究していた。もしかしたら、何かそういった雰囲気があるのかも知れない。シェフィールドはケンブリッジでバクスターの直接の先輩にあたり、「SFのSが知りたければ本書を読め」というすてきな惹句を本書によせている。
 〈インターゾーン〉誌に載ったバクスターのインタビュー記事によれば、彼は子供のころからSFに読みふけっていたようだ。

「十一歳のころ、レイ・ブラッドベリの『ウは宇宙船のウ』を図書館で見たのが大人向けSFとの出会いだった。それからブラッドベリやブリッシュを好んで読むようになった。特にブリッシュが大好きだった。ちなみにブリッシュの「表面張力」はある点でぼくの『天の筏』と比較することができる。それからラリイ・ニーヴンの作品にでくわした。ぼくはそれにのめり込んだ……彼の作品はいつも科学がはっきりと描かれ、面白いストーリーとあいまってとても視覚的に訴えてくるね」

 アシモフの短編集にあったエッセイの影響と、学校での先生のすすめもあって、彼はノートにSFを書き始めた。そのいくつかを出版したいという野心もあったが、七十年代当時のイギリスはSFの暗黒時代だった。アメリカにも送ってみたが、壁は厚かった。それから十年ほどはSFを書きたい彼にとって苦悩の時期が続く。しかしやがて〈インターゾーン〉誌が創刊され、一九八六年、"The Xeelee Flower" という短編でついにデビューを果たす。それからの彼は精力的に同誌に宇宙SFの短編を発表し、一九八八年には "Blue Shift" で〈未来の作家コンテスト〉に入選した。
 このころの彼はグレッグ・イーガンやエリック・ブラウンと並ぶ〈インターゾーン〉の期待の新人として、人気投票で常に上位にくる実力を備えていた。そして一九九一年、本書でついに長編デビュー。本格的な宇宙ハードSFとして高い支持を得た。一九九二年には長編第二作、Timelike Infinity を発表。これもまた大変な力技のハードSFである。今度の舞台はワームホールが実用化された千年後の太陽系。その時代からさらに千五百年後の世界からワームホールを通じて未来人たちがやってくる。未来の地球は異星人に占領されており、彼らはその支配から逃れるために過去へ亡命してきたのだ。こうして数千年の時間をまたにかけた異星人との戦いが始まるのだが、そこへ人間原理だの、量子力学の観測問題だのがからんでくるのだ。なお、この作品は、バクスターがデビュー作以来、愛着をもって書き続けている〈ジーリー〉のシリーズの一編にあたる。〈ジーリー〉というのはこの宇宙を支配する超種族のことだ。彼の作品の三分の二あまりが、なんらかの形で〈ジーリー〉とからんでいるという。この点について彼はインタビューでこう語っている。

「そこには何か宗教的な底流があって、それがぼくにアピールするのかも知れない。作家として、ぼくはこういう壮大なタイムスケールを扱っている時が、間違いなく幸せなんだ」

 彼の最新長編は一九九三年の Anti-Ice である。これまたハードSFではあるが、今までとは毛色が違い、ギブスン&スターリングの『ディファレンス・エンジン』を思わす改変世界ものとなっている。一九世紀に核エネルギーに匹敵するエネルギー源である〈アンチ・アイス〉が南極で発見され、時の大英帝国の独占するところとなる。普仏戦争を背景に、巨大な飛行船や〃陸上船〃がうごめき、手作り飛行船が月旅行したり、〈アンチ・アイス〉をめぐってスパイが暗躍したりする中での、主人公たちの冒険譚が描かれる。〈ダーク・ジュール・ヴェルヌ〉と評されるような、味わい深い雰囲気のある作品だ。

 最後に最近の〈インターゾーン〉誌に載ったうそみたいなエピソードを紹介しよう。

「ぼくはあるアンソロジーに「スティーヴン・ホーキングを暗殺してほしい」という文句で始まる作品を書いた。で、先週の週末に、ぼくはケンブリッジの書店でサイン会をやっていた。それが終わって車で町を出たんだが、突然、どこからともなくライトが接近して来た――何だったと思う――電動車椅子が道路を横切ってぼくの目の前に飛び出して来たんだ。ぼくは急ブレーキを踏んだ。事故にはならなかったけど……車椅子に乗ったおっさんは大げさににやにやと笑っていた。心配そうな顔をした女性が走って来て、彼を歩道に連れ戻した。偉大な人物っていうのは、えてしてこんなたぐいの悪ふざけをしたがるって聞いたことがある。というわけで、ぼくはもうちょっとで自分の小説を地でいくところだったのさ。おっそろしい……」

 ところで本書の結末はいかにも続編を予想させるような終わり方になっている。バクスター自身、続編を書く気は十分にあるようだ。いずれ、主人公たちかその子孫たちの、新たな冒険が読めることを期待しよう。

1993年11月


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