ラリイ・ニーヴン/小隅黎訳
 『スモーク・リング』 解説

 大野万紀

 ハヤカワ文庫SF
 昭和63年9月30日発行
 (株)早川書房
THE SMOKE RING by Larry Niven (1987)
ISBN4-15-010788-2 C0197


 広大な原野、遥かな海原、そして果てのない大空……。ごみごみした町や箱庭のような風景の中で暮らすのに慣れているわれわれには、誰しも雄大な世界への憧れがあるのではないだろうか。地平線まで広がる大草原や無限の宇宙空間。日常を離れ、そういった世界に心を遊ばせることはなかっただろうか。

 あなたがSFファンならあったはずだ。すべての細々とした日常が取るに足らない小さなものとなるような、そんな大きな大きな世界。なんといってもこの地球は狭すぎる。シベリアの大平原でもまだ足りない。もっと広い、もっと巨大な、もっともっと壮大な空間を! そう、宇宙だ。ワーオッ!

 現代のSF作家で、そういう巨大な世界を描かせて右に出る者がないのが、本書の作者ラリイ・ニーヴンである。なにしろ、あの『リングワールド』の作者なのだ。巨大な世界を描くのはお手のもの。しかも彼の描く世界は単に物理的に巨大なだけではない。巨大で、しかも生きているのだ。そこには奇怪な生物群が栄え、文明が興亡し、幾多の冒険が語られる。ニーヴンはわくわくするような冒険の舞台としての、エキゾチックな世界の創造者なのである。

 ニーヴンの描くエキゾチックな世界は、一見したところファンタジイの舞台装置とよく似ている。様々な怪物が生息し、ヒーローが冒険の旅を続け、野蛮な部族の襲撃がある。けれども最も根本的な相違は、その舞台が単なる空想の産物ではなく、科学的に有り得るものなのだということにある。なんだと思われるかも知れないが、これが結局SFとファンタジイを分かつところなのだろう。この点に関して、ニーヴンにはそのものずばりの「巨大な世界」と題された空想科学エッセイがある(SFマガジン一九七七年四月号、小隅黎訳)。一九七四年に書かれたものだから、データ的にはちょっと古いのだが、なかなか面白いのでここで紹介することにしよう。

 ニーヴンがこのエッセイで書いているのは当時の最新の科学知識で可能と思われる居住可能な〈巨大な世界〉のカタログである。それらはいずれも宇宙空間に存在する、ふつうの惑星とは異なったエキゾチックな居住空間なのである。

 最初に来るのがハインラインの作品などでおなじみ〈多世代宇宙船〉。これはまあ巨大な世界というにはちょっとせこいが、何世代もかかるような長期の宇宙旅行をつづける、巨大で、人工の重力を持ち(遠心力や、一定の加速をつづけることで)、一つの町ほどの人口を何十年、何百年も養うことのできる大きな宇宙船だ。そのなかで生まれた子供たちにとっては、それが世界そのものである。このアイデアの発展したものとして、リング状の構造の内側に都市を作り、それに屋根をつけて飛ばすという〈環状飛行都市〉をニーヴンは紹介している。さらにこういった考え方を進めると〈マクロ・ライフ〉となる。惑星に植民するというのではなく、自給的な人工環境の中で、宇宙そのものを生活の場とするのだ。小惑星をくり抜いたもの、環状飛行都市をつなぎ合わせたものなど、色々なアイデアが語られている。

 ニーヴンは次に巨大な世界のきわめつきともいうべき、太陽をすっぽりと覆う超巨大な球殻〈ダイソン球〉を紹介する。これはマクロ・ライフ系統のような移動能力こそもたないが、SF的想像力を刺激するとんでもない規模の人工物だ。なにしろその内側は地球の十億倍の表面積をもつのだ。そのマイナーバージョン、だがより実用的なものとして、彼は〈リングワールド〉を提案する。なんといっても夜空が見えるし、重力の生成も簡単である(回転させれば済むことだ)。ダイソン球がかなり異常な世界になるのに対し、リングワールドはそこに住む者にとっては地球とあまりかわらない(ように見せることができる)。その結果は……もちろん『リングワールド』を読んでいただきたい。

 よりエキゾチックな世界として、ニーヴンはさらにダイソン球を二重にし、その間の空間を利用するというオルダースンのアイデアを紹介している。この場合、それは広大で居住可能な三次元の無重力空間となるのである(これは本書のスモークリングの世界と良く似ていると思いませんか)。さらにとほうもないものとして、銀河系の中心部を中にすえたとんでもない規模のダイソン球〈メガスフィア〉を考えることができる。そこで「われわれは、自由落下の状態で、直径数千光年の球体の表面、そして数十光年の上空まで希薄にならない大気の中に住むのである」そして「この果てしなく大気のひろがる宇宙の中で、われわれは、桁はずれに大きな、リングワールドなみかそれ以上の構造物を構築することができる……メガスフィア上での生活は、楽しく、詩的なものであろう。宇宙にかかる平坦な大地から、実際に、白鳥の引く二輪馬車にのって、近くの月へおもむき、そこで月の住人を見つけるといったチャンスもありそうだ。空気のはいった壜をもち歩くこともナンセンスではなくなるだろう」これはまさに神々の世界である。ニーヴンはこの他にも、太陽のまわりに火星から木星の軌道ぐらいの半径の平べったい円盤を紹介している。この〈アルダーソン円盤〉は両面に居住が可能で、大気も重力もあるという特徴を持っている。ニーヴンによれば、「この平円盤世界は、ゴシックものや剣と魔法小説に、すばらしい舞台を提供してくれるだろう。大気は正常だし、ほんものの怪物もいる。考えてみたまえ。われわれが住めるのは、円盤上の、太陽から適当な距離にある一部分だけなのだ。もっと暑い地域や寒い地域に住む異星人と、円盤を共有するわけだから、建造の費用も割り勘にすればいい。水星人や金星人は太陽に近いほう、火星人は外縁のほう、他の星系からきた異星人たちも、それぞれ自分に合った場所で生活する。数万年もたつうちには、変異と適応が生じて、人口希薄な辺境にも移り住むものが出るだろう。ここで、文明が崩壊すると、話はいくらでもおぞましく興味深いものになっていく……」

 この引用でもわかるように、ニーヴンはエキゾチックな冒険譚には、それにふさわしいエキゾチックな舞台が必要だと考えているようだ。そしてそのお話がたとえ剣と魔法の物語であっても、その舞台の成立ちには科学的なバックボーンが必要であると。それは『リングワールド』でもそうだし、コンピュータで作られたゲームの世界を舞台とする『ドリーム・パーク』でも基本的には同じことだ。こういう姿勢が、先にも述べたように、SFと他の小説とを分ける大きな違いとなるのだろう。

 それは本書でもいえることである。本書の舞台〈スモークリング〉は、いわば三次元のリングワールドである。しかもリングワールドが超科学の産物であったのに対し、スモークリングは純然たる自然現象なのである。ここでは無重力で空を飛ぶことと空気を呼吸することが矛盾しない、まるで夢みたいな世界なのだ。本書はファンタジイではなくて純然たるSFだが、ハードなテクノロジイを描いたものではない。どちらかといえば原始的な生活が描かれた冒険小説である。けれども舞台そのものの成立ちからして、本書は優れたハードSFだといえるのだ。

 本書は、『インテグラル・ツリー』の続編にあたる。できれば前編を読んでから読まれることをお勧めする。また本書は(特にシリーズというわけではないが)『時間外世界』と同じ宇宙が舞台となっている。

1988年8月


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